懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

コメントに滲む

2018-06-02 01:30:04 | Weblog
羽生結弦選手の国民栄誉賞受賞で、一番心を動かされたのは、その受賞コメントだった、のは、私一人ではないだろう。

自分が、TVニュースの速報で見たのは、以下のもの(本当は、もっと長いのかも)

「大変名誉ある賞をいただき、身に余る光栄です。私がスケートを続けていられることも、日本のフィギュアスケートがこれほど脚光を浴び続けていることも、フィギュアスケート界の偉人の方々がこれまで切り開いてくださったからこそだと感じております。また、被災された方々からのたくさんの激励や想い、今まで一人の人間として育ててくださった全ての方々の想いがこの身に詰まっていることを改めて実感し、その想いが受賞されたのだと思っております。

この賞が被災地やスケート界にとって明るい光になることを願っております。」

こういうコメントは、ただ頭がいいとかで言えることでもないと思うし、常日頃から、考えてきて、自分の実になってるものがないと言えない言葉だと、羽生選手のコメントの中で、一部優れたものに出会った時、いつも同じような事を、自分は感じている。

目線の高さ、志の高さを感じる、聞いていてはっとさせられるコメントだった。

※国民栄誉賞自体は、もう、五輪金メダル後に、授与されるんじゃないかと言われていて、ワイドショーとかが言ってたのは、安倍首相が授与したいと言い、菅官房長官が反対し、そして、若すぎるんじゃないかとか、一方で、国民栄誉賞は乱発してて、ど~なのか、とか、もし、羽生選手が受賞なら、それならなぜ、例えば、体操の内村航平選手とかは対象にならなかったのか、とか、ど~のこ~の、言われてて、で、結局、その話は、そのままフェードアウトしていた。
 
常識的に考えると、よく知らないけど、たぶんこういうのは、五輪後が本来のタイミングなのかな、とは思うし、このタイミングで来たのは、何か、政治家の人気取りとか、他のことから目くらまし、みたいな、政治的な意図があるのかしら??と、普通なら、穿った見方をするものなのだけど。

そんな雑念から解放してくれるのもまた、この方の非凡さ。

たまたま、国民栄誉賞受賞というチャンスを、有効に着地させてみせる。

乱発、ってのは、自分は知らなかったけど、たまたまもらった賞でも、意義あることに変えていく。

菅官房長官の授賞理由コメントには、被災地の事は入ってなかった(短くする関係かもしれんが)けど、

羽生選手の方のコメントには、しっかりと、被災地の事も入っていて、ああ、もう何年もたつのに、そして彼は海外へ行き、国際的なスターになったのに、忘れてないんだなあ、と、ちょっと、うるっときた。
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※一方で、(比較することはできないけど)内村選手とかが貰ってないじゃないか、という話については、自分は、こういう賞にそんなに興味があるわけではないけど、(違うかもしれないけど)やっぱり、実力だけじゃなくて、人気、って言うのも、今の日本には重要なキーなのかしら?っては、思う。

羽生選手は別格で、やってることがめちゃくちゃで、死ぬほど心配させられるし、あんなハードでリスクのある事、あまり、他の人にはやってほしくないけど。

(昔、他の選手とぶつかって怪我して、頭包帯巻いたまま、試合に出ていい演技してたし。平昌五輪でも、ちゃんと滑ってたけど、怪我の後、まだ痛み止めのまないと、とべない状況だって、私ら知らずに試合見てた。何とかなって良かったけど、他の人に、羽生選手の今までやったことは、真似ない方がいい、とは思う。)
あんな凄絶な羽生選手に否が応でも人気出てしまうのは、仕方ない事だけど。

一方で、他ジャンルとの比較で言えば、ほんと、人気も大事で、・・・。羽生選手が応援してくれる激あつファンに特に感謝するのは、客観的に見ても合理的はことなのかも、とは、しみじみおもう。

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と、脱線したが。
賞、は一つのきっかけかもしれなくても。
羽生選手のコメントには、国民栄誉賞を授与された所で終わらずに、これを機に、被災地の人に力になったり、自分が属するフィギュアスケート界の利にかなったり、賞を現実的な、有効なものに変えていくベクトルを感じた。

国民栄誉賞が乱発、ってはじめてしったけど。

そういう事情に関わらず、貰った国民栄誉賞を、本当の国民栄誉賞に変えていく力、みたいなものを、自分は羽生選手のコメントから感じた。
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今日の夜の報ステで、いきなり冒頭で、羽生選手の出演している「ファンタジー・オン・アイス」(今日の?)の、アイスショー演技、何と「ノーカット」で放送していて、ああ、つけといてよかった。しらずに終わる所だった。(ジャンプが綺麗だったけど、ショーでは技術、頑張りすぎてほしくない気も。試合に取っといて欲しいとか、体休めてほしいとか。本人は、ショーで皆の前で跳べるのが嬉しそうで幸せそうに見えたけど。)

こないだこの、幕張公演のをTV放送してたけど、その日のより、今日の演技の方が、自分主観では良かったと思うので、一回見たからもういいや、ってなりがちなのだけど、こういう機会は、やっぱり録画できたら、録画した方がいいのかも。幕張公演は、プルシェンコのニジンスキーとかの存在感、芸術性、舞台での磁力、などが印象に残った。ついでに、神戸公演を6月17日深夜放送予定なので、忘れないように録画チェックだったり。

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余談。…。ちょっと立派過ぎる羽生選手なのだけど。

一般的には、青年の青春期で。こんな、破格の23才の非凡すぎる青年に、感心するばかりの私としては、でもでも、一般的な23歳の男性が得ているような幸せも,あったらいいなと思った。女の子と関わって、エネルギー得たりとか。(思っても、こういう所にかくべきではないのかな?)優等生なのはわかったけど、優等生過ぎずに、普通に失敗したりしながら、生の充足の中でのことが、スケートの表現の中で、そういう生活の中で得たエネルギーの部分が役にたって、厚みや深みが増せば、何割かたかのファンは、結婚しようが女の子と色んな出会いとかあろうが、納得してくれるんじゃないかなって思うんだけど。(ごめん、ファンの人によっては、こういう意見は怒るかも?だけど。一応、書いてみた。)

若くして、立派過ぎる羽生結弦という人を見ていると、でも、多少失敗とか、間抜けな部分もあっていいのが人だから、国民栄誉賞貰って良かったかもしれないし、ネームバリュー高くなりすぎて、偉大な人になりすぎてしまうかもしれないけど、そういう「名の重さ」とは別に、年ごろの青年らしい幸せがあったらいいな、と思ったりもした。

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激おっかけ系ファンでもない、通りすがりの一ファンの勝手な意見なので。とりあえず。






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