懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

「黄金時代」のタンゴPDD

2013-08-26 02:05:41 | バレエ
じっさいに足を運んだ公演よりも、ネット画像の方が印象的という、状況が続いていて。

最近見たものの中に、年代物画像で(80年代後半か90年代?)、ショスタコーヴィッチ曲「黄金時代」(グリゴローヴィチ振付)の、後半のナイトクラブシーンのPDDがあって。

ナイトクラブの踊り子リタ役:アッラ・ミハリチェンコ、彼女に横恋慕するギャングのボス役:ゲジミナス・タランダ。
この二人は恋仲だったこともあるだけに、息もぴったり。

周囲の群舞のダンサーの男女も、妖しい夜のクラブの、いかがわしさがよく出ていて、表現面では近年のリバイバル上演の画像より、大人っぽく色っぽく、本格的。
逆に近年の方が、舞踊的な見せ場はもっと決めてくる。

この作品は、ソ連時代の発想で、本当は新経済政策でこえ太ったブルジョワをこき下ろしたもの、ということになってるのだけど。
むしろ、このナイトクラブシーンが、全編の中でも特に目を引くので、ここだけ見ると、資本主義の退廃を批判してるって言うより、資本主義を賛美・推奨してるみたい。
こ~んなクラブがあるなら、私も行ってみたい。

特にミハリチェンコの踊り子さん。こ~んなセクシーでゴージャスな踊り子さんが出るんなら、私も男なら通いたい

不幸なことに、2000年代に私がこのPDDを生で見たときは、リタ役はステパネンコだった。当時は作品を見られただけでも良かったとおもってた。
でも、2011年に画像でカプツォーワのリタを見て、さらに今回、ミハリチェンコで見て、異種の美女リタを複数見ると、欲も出てくる。

グリゴローヴィチ振付は、同じ作品でも、配役によって多少印象が違っていて、それぞれのダンサーの妙味が味わえる所もいい。それと、「明るい小川」に比べて、ショスタコーヴィチの音楽が良く聴こえる。これは、振付家のキャリアの差もあるから仕方ないかもだけど。

さて。元々の作品のストーリーは、ムハメドフ位の人が演じないとかなり白ける勧善懲悪みたいなのだけど。新経済政策ネップによって肥え太った資本家たちがいて、彼らが集うナイトクラブ「黄金時代」があって、そこの踊り子のリタ、彼女に恋するギャングのボス、ヤーシュカ、その情婦がいて、そこへソ連推奨の清く正しく美しい好青年ボリスが登場して、リタの心を射止め、そして悪を仲間とともに一網打尽にして、最後は皆で赤旗を振って踊りながら、ハッピーエンドでおしまい、っていう、見ようによっては馬鹿馬鹿しい話。(ゴメン)(しかも、その赤旗のたなびき方が、アーティステックで苦笑する。)

で、正義の味方ボリスに美女リタは惹かれて、本来の筋では敵役のヤーシュカは振られ役なのだけど、タランダとミハリチェンコの短いPDDには、恋のドラマが凝縮されていて、
このリタは、ヤーシュカのワルの魅力に、多少心惹かれていて、最後はそれを振り切るように断っているんじゃないか?と勝手に思った。

ミハリチェンコはそういうつもりで演じてるわけじゃないかもしれないけど、そう思ってみた方が、面白い。それほどタランダのヤーシュカはセクシーで魅力的。強引さもセクハラにならずに、魅力になってしまう。

リタはヤーシュカを振ったというよりも、このいかがわしい男に惹かれる自分の心から逃げた、あのパドドウの最後、リタが袖に逃げていくのはそういう意味じゃないか、と思ってみた。ついでに、二人の踊りが妖艶で、この二人、既に男女関係なんじゃないか、と妄想しながら見た。(実際のストーリーを意図的に歪曲してるんだけど、そう思ってみた方が、ますます楽しい。)ただの振られ男にするには、タランダが魅力的すぎる。

同じタランダでも、相手がベスメルトノワだと、もっと大人しく従順な女性像で、こういう性的な葛藤を感じる部分は弱くなる。ベスメルトノワのリタは、ボリスだけをひたすら思う、貞淑な女性像を感じさせる。貞淑も美徳だし、ベスメルトノワの女性像って大和なでしこみたいだけど、でも、ミハリチェンコ&タランダ組の方が、ドラマが深い。

同じミハリチェンコでも、ルグリとの「ジゼル」画像には失望した。
それぞれにあうパートナーがあるのだろうと思った。

一方、2011年にカプツォーワ、ドミトリチェンコで踊られた同じシーン、「ゴールデンエイジ」のPDD画像は、片思いっぽい男女の関係が分りやすい。
パーフェクトビューティーのカプツォーワは、ミハリチェンコのリタみたいな、誰かの愛人さんみたいなセクシーさよりも、手の届かない高嶺の花の神秘的な感じがまさった。

若造っぽさに染め金髪、浮いた口ひげのドミトリチェンコは、派手な衣装もやや浮いていて、夜の商売にギャング兼業してる、いきがってる若者、と読むのはたやすい。
カプツォーワ=リタに振られた時、少し悲しそうに見えるのが、タランダとは異なる面白さ。全体に女性の魅力と振付の魅力を体現しようと踊ってる様子は分るんだけど、タランダたちほど表現的ではなくても、夜の闇に生き、高嶺の花に恋し、すげなく振られる青年の心をみてとるのは難しくない。

タランダのヤーシュカとは異なった、等身大の青年の機微をみてとれる、これはこれで説得力のある美女と片思い現代青年の恋物語のパドドゥになっていた。

さらに、メルクリエフのボリス&美脚とテク披露:アントニーチェワのリタ組の全幕画像も出てきて、それぞれが別の面白さを体現していて、なかなかでした。
筋はほんとにど~ってことない話なのを、振付家とバレエ団ダンサーの集団創造の力で面白くしてる。音楽の魅力を引き出してるのは、ダンサーと管弦楽の両方の一体感。

ほか、コジョカル&コボーの「オネーギン」とかアユポワ&マラーホフの「マノン」寝室PDDとか、見ごたえがあった。マラーホフは直近の公演のより、画像の方が全然いい。悲しいが。

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