懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

「ニジンスキー・ガラ」~マラーホフに導かれて

2007-10-10 00:10:57 | Weblog
9月半ば、東京バレエ団&ゲストによる「ニジンスキーの伝説」公演に行った。

本来この企画のメインゲストだったマラーホフのコンセプト、「ニジンスキーの世界を我々に見せる」、という公演の意図は、よく伝った。

膝の再手術により降板を余儀なくされたマラーホフではあった。

が、その不在が、かえって公演の背後にあるマラーホフの芸術への情熱を意識させるものとなった。

同じような演目の公演は、例えば「ボルドー・オペラ座日本公演」などで見ている。

そして、かつて見た、くどい存在感のアンドリス・リエパの「ペトルーシュカ」の方が、今回よりも誰が主役なのか、はっきりわかる舞台だった。

にもかかわらず、改めて「ニジンスキー作品」を強く意識したのは、今回がはじめてだった。

ペトリーシュカの美術がひとつひとつ、心に入り込んできた。

冒頭の、不思議な、マンガのようでもありかつ詩情を湛えた目玉が飛び出し夜空を飛んでいるような不思議な絵。

人形たちの部屋の鮮やかな色彩の壁画。

くねくねと南国の植物が枝を壁に這わせ、背景が真っ赤だったような。

その前でムーア人とバレリーナの逢瀬が交わされる。

そのドアには、六角形の魔方陣のような幾何学的な絵。

振られるペトルーシュカが一人残される。

寓意に満ちたこれらの絵。

今までの公演では、一切意識したことはなかった。

指揮もバレエ指揮者ソトニコフで安心して見ていられる。

作品の内容に注目したのは、ヌレエフに強い影響を受けたイレールが、開幕前に作品への思いを語っていたからかもしれないが。

フォーキン「牧神の午後」も含め、これらバレエ・リュスの当時としてモダンな作品群が改めて「面白い」と感じ入った。

金のために芸術があるのじゃない、芸術のためにお金がある。

マラーホフの仕事を見てると、そんな気がしてくる。

ただ、食うために生活資を得るために日本に踊りに来た、そんな感じがいつも微塵もないダンサー。

名声を得て尚、「お客さんに質の良いバレエを見てもらいたい」と、志の高さを感じさせる芸術家、それがマラーホフだと思う。

でも。
私の行った日はいなかったが公演の後半、舞台挨拶に現れたそうで、来ないで欲しいのに・・。バレエファンとしては心配するじゃないか。
ドクターストップかかってるのにやめて欲しい。

2月の「マラーホフの贈り物」公演、、「ロビンスの牧神の午後」を無事に踊れますように・・・。

ダンス雑誌「DDD」最新号では、相変わらず憎たらしいくらい元気一杯、自信に溢れたインタビューと写真の表情を披露している・・。

どうも、公演前は「見なくてもいいか?」と思っていたマラーホフ「ペトルーシュカ」(ナルシスっぽそうで)、「薔薇の精」(若い頃の花には及ばない?)、
「レ・シルフィード」(同上)、怪我降板によって「とりあえず名のある代役で見たが、やっぱりマラーホフで見たかった」と私的感想が変化してしまった。
「牧神の午後」(普通のフォーキン版)は想像もつかないけど。

怪我の功名?

舞台は、1階前列のイレールのファンが、今、思い出すと微笑ましかった気がする。

「牧神の午後」はニジンスキーの映画の中で、初演の衝撃的なシーンが出てくるが、あの映画を見た日のショックと感動の方が、強かった。

もちろん、安定していい出来ではあったけど。

映画「ニジンスキー」の光景は、ただの舞台鑑賞ではなく「事件」だったのだ。
ニジンスキー役の若い俳優さんが、ひたすら純粋に演じていて、心を打たれた。
実際のニジンスキーはどうだったのだろうか。





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