想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

居場所をみつける天才である

2011-08-20 12:18:45 | Weblog

居場所は簡単にみつかりそうで実はそうでもない、
人にとっては。
生きていくことの大事な要件の一つがいごごちの
いい自分の場所を得ることだ。
よければそこに長く留まれるし、居たいと思って
いてもそうはいかなくなることもある。
居ていいと言われても自分が納得できなかったり…。
あるいは移り気な性分ゆえに自ら転々としたり…。
落着ける場所とは現実の場、そして心を鎮め、又、
活き活きと生きられること、この二つがそろって
居場所といえるだろう。

いま、居る場所があなたの居場所ですか?
ほんとうの居場所ですか? 
ずっとこれから先もそこにいますか?
そう尋ねられ、ええ、ここは私の居所ですよと
はっきりと即答できる人は多くないのではない
だろうか。

なんとなくなりゆきでここにいることになった、
ここにいるからいるのだ、特段、いいわけでも
悪いわけでもないが事実いるからいるのだ、とか。
居るにしても受動的だったりするから。

居たくはないが他に行くところもなくて…と嘆く
人もいるかもしれない。
あまりに長いこと迷い続け、考えるのを止めて
しまった人、あるいは今宵、闇にまぎれて夜逃げを
企て、衝動に任せて飛び出した人もいるだろう。
落着く先のあてなどない事に気づいた時は遅く。

人間はいきとしいけるものたちを支配してわがもの
顔で地上を占有してきたはずである。
けれど個々にばらけてみると、そう自由でもなく
むしろ不自由な生き物だ。
少しばかりの摩擦でも血を流す柔かな皮膚で被われ
道具や物がなければ弱いのだった。

弱さを隠すため小ざかしく頭を使う。そして勘違いや
早とちりをしょっちゅうする。柔かなのに鈍い肌。
第六感なんてとうの昔に錆びついて、とろいのだ。
まちがいばかりで、なかなかみつからない居場所、
安らいでのびやかにいられる場所が欲しいのに。

家族も会社も地域も、地べたも、どこもかしこも
夜の大海原のように掴まるところもなく、よるべない。
それに気づくまでは、鈍く、他人を羨んでばかりだ。



雨が止んで静かになったのでふと外を見た。
シマコ姫がこんなところに座ってる! あれま!
それは親分が長いこと使ってたお布団であるよ、
もう捨てようと思って、でも捨てるまでそこで
日干しにしてたんだけど、かえってほこりがついて、
そんなんでいいの?よかったら、あーたにあげる。
犬の匂いつきでもいいんかい?

もうアタシのって顔して、ずっとそこにいるシマコ。
出かけて戻ってきたらまた座ってて、気に入ったね。
あちこちに、たぶん想像以上のあちこちに匂いを
つけ歩き陣地を広げサバイバルしてきたシマコに
気にいってもらえたら、親分も満足だろうね。



組織からはみ出す人がどこにもいる。
大きくても小さくても人が集まって一つの組織に
なれば、郷に入れば郷に従えという日本の慣習がある。
それになじまない者が飛び出していく、そう考える
のは簡単すぎて実際にそぐわない。
出る者、入る者、ぐるぐる回って組織は依然として
進路を変えることはない。

「君が辞めても代わりはいるよ、地球は回ってるし
これからも回り続け、周りつづけるんだよ」
組織のせいで出ていくというより、個人の意識が
大きな原因で、考え方次第では組織を動かすことも
できるのだ。

人より早く出世したいという望みは悪くはないが、
人より、と思い描いた段階でもう失敗している。
比べる相手は己自身でなくてはならない。闘う相手
は己の我欲、それが仕事をするときの秘訣だ。
己の不足を克服し上へ上へと昇っていく秘訣だ。

けれど自信がいつか慢心になり、仕事に活かされて
生きていられるのを忘れてしまう。
無心に仕事に没頭していたときの純粋さをつい忘れる。

個の輝きの実体は、魂の輝きにほかならない。
純粋な光だけが外へ放たれて、他人にも賞賛される
こととなり、結果、勝てる、勝たせてもらえるのだ、
他の人々に。それは正確には勝つではなく譲られる
というべきところ。
(元々、勝とうなどと驕ってはならないわけで)

組織の力を信じなくてはならない。競争に走る人は
それを忘れがちである。
組織とは枠ではなく、中身なのだ。中身とは人の力で、
それを寄せ集めたものが組織力である。
どこが欠けても歯車はうまくは回らない。
針の穴一つ水は漏れ、ネズミの穴一つで壁は崩れる。

一人の才能を持ち上げ、基盤で支えるのが組織だ。
組織をあなどり、オレがオレがとケチな考えを隠し
持つ者が増え、言ったもん勝ち、やったもん勝ちの
下品な風潮が蔓延しているので、そうかオレも遅れ
を取らぬと合点して、勘違いをする。
そういう者の行く末は、そう失敗と尻拭いのための
心の切り売りと決まっている。一度手を汚すと後戻り
は難しく、我欲に負けた人にはムリなのだ。

いやなに、原発の話、永田町の話ではなくそこらへん
にころがってる話である。
天才シマコを眺めていると、つくづくと人の愚かさを
思わざるをえないものだから。



どこにでもいて、どこにもいない、そんなふうな
のが憧れだったりしたなあ…、ずっと前は。
うさぎ穴がみつかってからというものの長いこと
ここ、一つところにいるようになったけど。



居場所だと思えるようになるまで長かったような
短かったような…。
うさぎが自分はうさぎだと知ったその日からかな、
居場所に気づいたのって…。



花を植え、水をやり、人にもやさしい気持ちを
抱けるようになった。
あんなに人嫌いで、生きるのも厭だったのにな、
あの頃、うさぎはひねくれた猫だった。
偽もの猫だから、天才みたいにはいかなかったわけだ。

どこ行っても、ここじゃあない、わたしの場所は
ここじゃない、どこか別のところ、そう思ってた。
思い上がっていた。跳ねすぎて、地を忘れてた。
上ばかりみて、つまらなくて、さみしかった…。
いつもピリピリ、ゴロワーズをスパスパ。
意固地な猫だったからね、あたりまえさね。

森全部を味方につけたみたいにしてほくそえんでる
シマコ、犬小屋の内も外も屋根も自在で、表札など
無用ってね。
君の自由さをカメは愛してやまないんだなあ。
何にも持たず、ぜいたくだなあ。
いつ死んだっていいって顔して、で、毎日元気だ。



君がしあわせでなくて誰がしあわせになれようか。
神さまはいつもみていてくれる、とてもフェアに。

追記:放射線量は地上10センチと50センチ、1mで
計測される。都会の濃度は地面に近いほうが高く、
森林や公園は地面近くと、そして樹木が茂る場所は
高度が高いほうが濃くなる。
森で安全圏は子どもの身長。そして犬猫は最も危険な
レベルに晒されている。
犬小屋の屋根1mくらいかなあ…天才天才。






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