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想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

しあわせのツブツブ

2010-06-18 21:17:51 | Weblog





朝、ベイビーと散歩していると近くの別荘の主が珍しく声を
かけてきた。コレータベマセンカーと手に何か平たいものを
持って小走りにやってきた。

何かと思ったら、シイタケだった。あまりに立派でびっくり
していると、置いとくと黒ずんでしまうんです、だから食べて
くださいと言われる。

シイタケのお礼に何もないのでちょうど咲いた赤と白の薔薇を
あげようと思った。バラは次のつぼみのことを考えて短くしか
切れないのでお店で売っているバラのようにスーッとしていない。
短いけれど、花は大きくてこんもりしたブーケになった。
急ぎ届けたら、さっきまでいたのに留守。
花なので玄関に置いてくるわけにもいかず、持ち帰って花瓶に
活けた。
部屋に香りが広がって、しあわせのツブツブが降ってくる。

シイタケは玉こんにゃくと一緒にしょうゆでサッと煮た。
仕上げに唐辛子を振って、出来上がり。
料理上手になったツモリになれる旨さ、シイタケのちから。
しあわせのツブツブがしいたけに乗って運ばれてきた。

生きていると醜いものにたくさん触れる。どんどん汚れていく。
禊という言葉、その汚れを灌いで本来の清さを取り戻すこと。
穢れなき心が本来の姿、神道の教えである。
悪人が出直しを図るために便宜上使いすぎてもはや言葉の効力
が薄れてしまって俗な感じさえする。
美しい方へということが大事、そういうことなのだけど。

朝起きて禊、一日を終えて禊、と日々行うのが本当は正しい。
リセットして生まれなおす、生きなおすという方法。
誰のためでもなく自分のために自分自身が行う禊、禊もしないで
頼みごとばかりしてもなあ、出直してこいと神さまは言わないし。

神さまに頼んだはずの己の欲、穢れていれば届く相手が違う。
つながる先は己につりあう相手なんだから、神さまは遠い遠い。
邪の道なら、オワシマスは蛇と昔から決まっている。
自分の姿を要チェックである。清いか? 汚れていないか?

美しい方へ、そんな世界はないと昔は思っていた。
その頃は毎日がさびしく、悲しかった。悲しいことだらけ。
そして、わたしもずいぶん汚れまくっていたんだった。

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