想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

秋の夜長の~

2013-10-01 23:11:03 | 
夜には冷えるようになってきたけれど、まだ外にいられる
ていどの気温だ。日ごとに深まる秋を肌に感じながら、
戸外で過ごせるのはやはり気持ちがいい。

十数年前と同じようにライトで照らして夜間作業中。
晴れた日の週末にしか屋根の塗装ができないから大事な
一日を有効に使うわけだ。
でも昔は若かったけど、おっさんになって(笑)へろへろ
しているのが下から見ていてわかる…みんなが若くてカメが
今のみんなと同じくらいの年齢だった。
先生は強かったなーなんて、情けないよ~と野次ってるのは
アタシです。満天の星空の下!



アメリカの詩人、大好きなメイ・サートンがこんなことを
書いている。
母親が70歳で亡くなりその五年後に父親がなくなったことが
思い出された時、〈70歳は若い。服を着替えるのにも苦労
するなんてことを知らないままに死んでしまったのだと思った〉
そのメイは81歳で、歩くことや身の回りのことをするのも
大好きな庭へ降りることも一人では危うくて出来ないように
なっている。それでも詩作と読書、日記を書くという創作活動
を止めない。老いを受け止めるというよりも、生をまっとう
しようとしている姿が、素直な言葉、しかし普通の老人なら
言わないような言葉で綴られている。(「82歳の日記」)

メイの「独り居の日記」はいつも傍らにある愛読書で、特に
内省的な時間に手にとる。そしていつものように元気、元の
自分に戻れる効果を受け取る。
ほんの数ベージめくればもう戻っているのを感じて、閉じる。
わたしにはまだじゅうぶんに時間があるとも、もう残り少ない
とも、どちらともいえるだろうけれど、服の脱ぎ着も面倒に
なる時はおそらく来るだろう。82歳まで書き続けたメイの
思索のあとをたどりながら。
そして、今好きなもの、大事にしている事をそのときも好きな
ままでいられたとしたら、幸せだ。

メイはこんなことも書いている。
〈庭に花を摘みに、何ヶ月かぶりに降りてみた時、そこには花壇
ではなく雑草の園。園芸店から40ドルで購入した種だったのに、
コスモス、百日草、キンセンカ、芥子、矢車草はどこへ行ったの?
猛烈に生い茂った草のほかなにもない!〉
メイは驚き嘆いて、しかし庭の世話を月400ドルで頼んでいる男
を責めてはいない。絶望的なほど衝撃を受けてしまい、ただ憂鬱
でがっかりしたのだ。
花は食べ物と同じくらいに大切なもの、メイにとってはそうだから。

ある日、摘んできた水仙の香りにつつまれて、
〈この美しい場所に生きていることに、また独りでもからだを
動かせられたことに感謝してこの日を終えた。わたしは幸せ。〉
と書いているくらいに。

肉体の限界はかならずやってくる。
ただ、精神の衰えは老いとかならずしも比例などしない。
むしろ反比例に成熟し、完成し、実り豊かなものとなっていく。
それがあればこそ、弱っていく身体を自分自身で支えることが
できるということだろう。
身体のあれこれに振り回されるのではなく、魂に導かれて
生きる人はいつまでも輝いて、その人自身だけでなく周囲にも
明るい光をなげかけてくれるものだ。

それにしても昔青年たちは足腰が弱いわ、ナマッちまった~と
笑ってごまかしていたが、回復も昔通りにはいかないよなあww
都会生活は便利だかんね、身体能力は使わないと退化するね。
あ、頭も使わんと、いや、気も使わんと、いやいや心はもっと
死んでしまうもの…かな。

















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