想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

世俗の塵を払う

2011-02-07 11:40:55 | Weblog

そんな言葉は耳慣れているけれども、実際には都会が好きな
人が多いんじゃなかろうか。
いやだいやだと言いながら人ごみにまぎれ買い物へ行くし、
いやだいやだと言いながらテレビを消さないし、テレビ派
ではないなら流しっぱなしのラジオ。DJの軽薄なおしゃべり
(軽くしゃべるのが仕事だかんね)が続き時々は耳を傾けたり
する。

離島の暮らしをテレビで見て、今度の旅行はあそこにしよう、
自然っていいよねーとか女子会で話すOLさんはまぎれもなく
都会好き派である。ネイチャー、エコツーリングは流行に過ぎず
行って帰ってきても生活も生き方もなんら変わらない人の方が
断然多いのである。
仕方がない、ってことはなく、変えないだけである。



世俗の塵を払わないのは、自分が塵だからであって、塵は塵を
塵と認めたりしないのであるね。



知ることの第一、第一はいろいろ言われている気もするけれど
己を知るの知るは、己が塵同然であることを思うことからじゃなかろうか。

すると、世俗の塵を払うんではなく、離れるということしかできず
払うというのは上から目線であることに気づく。
離れれば孤独である。この孤独を逃れるために人は俗世と交わる。
交わらないと不安なのである。
しかし、それは本当の交わりなのか。縁はそこにあるのか。

孤独は消えたか。
世俗の中にいて感じる孤独と、山ん中にいる孤独とどっちが辛いか?
そりゃあ、いわずもがなのことで前者に決まっている。
それもたいていの大人は知っていることであるね、うさこが
ここで書かんでも。

だからどうする、のこの先はまた今度にしよう、本日お疲れ様の日。
治療院へ行ってあったまって(インディバ療法)きまーす。

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