想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

紅葉と天皇…

2013-11-03 02:00:26 | Weblog
(10.27撮影)
台風が海側に沿って北上するというニュースに安堵しながら、
雨が上がるのを待った。
夏の大雨に比べるとたいした量ではなく風だけ台風らしく、
樹々を激しく揺らしていった。

電力会社が電線にかかるという理由で枝を切り落とした際、切る
箇所を間違えて(知らなかったのか)伐採し過ぎ、立ち枯れて
しまった樹が4本、敷地の縁にあった。いつか蘇るときがあるかも
しれないと淡い期待もあったが、もうこの数年は諦めていた。
その樹々が見事にひっくりかえって枯れた根を宙に晒していた。
立っていた時よりも横倒しになった樹は大きく見えた。
続いた大風で、とうとう立っていられなくなったということだった。
カメが重機で片付けてくれるのを見ていた。
ぞんざいに扱わずにていねいにそっと…少しづつ動かしている。
生きていた時も、息絶えた今も、カメには同じ樹のようだ。
「芽を出すかもしれないと思っていたんだけどね」と言われた。

自然のなかにいると人間が主役ではなく木々や草花、生きもの達
もみな平らな一つの地平に存在する命同士だとわかる。
だんだんと人間のさかしらな角がとれて、やさしくなれる。
言葉がいらない世界だ。



森では常時接続のネット回線はないから直接触れることがすべて。
東京で時事ニュースに鬱々とする生活から解き放たれる。
それにしても、象徴天皇の意味が本当に理解されていないことが
山本太郎議員へのバッシングで露見した。

敗戦後の日本を行幸され国民を励まし続けられた昭和天皇のことを
人々は忘れてはいないだろう。政治家はどうだろうか。
象徴天皇こそが本来あるべき神に仕える御姿で、世俗へひきずり
おろして政治利用してきたのは明治の薩長とその輩、戦後の自民党
政治であった。天皇陛下は政治権力に固執などされなかった。

山本太郎議員はよくよく思慮を重ねた上での行為であり、純粋さ
以外にない単純ストレートな行動だ。
どうにもならない難題を思い倦ねた子が親へ訴えたの図である。
反原発の山本太郎と天皇陛下を拝し願いを託する山本太郎は少しも
矛盾しない。正しくないことが行われない世の中を心から願っている。
園遊会でニコニコとお世辞に機嫌良くして過ごせない人である。
だからこそ60万票の支持を集めた。
それは目先の利を考えられないバカ者か世間知らずと指さされても、
政治利用などという見方はあたらないのではなかろうか。

そういううがった見方は山本氏の存在がよほど都合の悪い人々だろう。
何をしても目立ち、人気があり、権力にこびずに独りではっきりと
物を言うのだから、そりゃあうらやましくて嫉妬もするだろう。
特定秘密保護法の必要性をいう破綻した屁理屈と同じラインにある
稚拙な話だ。鬼の首でもとったかのように大声でやれ辞職せよと騒いで
いるのも国民の代表なんだから…鬱陶しい。そんなことになったら
世も末だ、いや、今すでにそうだから鬱陶しいのだが。

天皇を論ずるととかくレッテルを貼られ、簡単な話ではない
(いや明快なことなのだが長い話になってしまう)ので省くが
日本はミステリアスと言った人がいたけれど、本当だわと思う。
よくわからない「天皇」を千年以上も頭上に拝し続ける一方で
現人神だの不可侵だの強制されることに逆いもしないのでは。

紅葉は明日あたりが一番の見頃になりそうだ。
黄いろちゃん(黄檗)は今年はイマイチの色づきだけれど、やっぱり
やさしい黄色。
人間の悪に惑わされないように、樹々の宴に招かれていようっと。







コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 牛のデイジー | トップ | 言葉もなく…眼を瞑り »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。