想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

故郷に帰りたい Take me Home, Country Roads

2011-08-30 00:49:34 | Weblog
ジョン・デンバーの歌、ジブリの映画でも使われ今の若い人もよく
知っている名曲だ。
ある日、カーラジオから流れてきた。
耳に馴染んでいるけれど、昔はそんなに好きでもなかった歌だった。
なのに、じんと胸にしみる。歌声はジョンでもオリビアでもなかった。
日本語詩の、透き通るような女性の声だった。誰だか今もわからないまま‥。

20年も30年も我が家へ帰れないなんて言われたら、戦火で焼け出されたのより
津波で家を失ったのより悲しいことではないか、我が身に置き換えて考えると
混乱する。実際、混乱し、怒りをどこへもっていけばいいのかわからず悲しみを
分かち合う相手もなく、独りうちひしがれているかもしれない誰かのことを、
その来し方と、これからを思う。この歌のメロディと詞が頭の中で重なる。

大地震と原発爆発のあとは、さまざまな事象と物がそれ以前の印象と異なって
見えてしまう。
好きではなかったカントリーソングのメロディが胸に沁みたりするのは歳のせい
ではないだろう。遭遇した諸々がわたしの神経を過敏にしてしまった。



カレースパイスの味見にハマったり、窓辺に置いた小さな鉢植えの接ぎ木の
成長を毎朝熱心に見たり、小さな世界で生きている。
はい、わたしはこんくらいの(てのひら)世間でね、小さな世界でね、
と言うと、呆れられたり笑われたりする。ほんとうなのだからしかたがない。
しあわせは小さいのがいい、小さいところにしあわせがあるから、という哲学
は揺るぎなく、小さいからさらに内へ内へと向かっている。
春以降に襲った災難で多くの人が失ったのは、そのささやかさである。

仮設住宅に大型地デジ内蔵テレビがあってもお年寄りは嬉しくはない。
莫大な義援金を家電に使うという発想は簡単で、ガサツな金儲けでしかなく、
ビジネスとも商いとも違うし、もちろん支援などにはほど遠い。
人の暮らしを見ないで、会議室でそろばんを弾くのはヒトデナシな仕業だ。
(家電は日赤に集まった義援金で日赤が配布した、日本赤十字社!)
心が潤うために必要なものは金では買えないのだ。
でもおもいやる気持ちが少しあれば、金はそれにともなって動くものだ。
活かすも無駄に捨てるも人しだい、金に転ぶも救われるも人しだいだ。

「絆」とか嘘くさい、と被災地では吐き捨てるように言われる。
裏切られ続けた人の心は荒んでいく。
荒んだ心を抱いたままでもまだ故郷がある者は一縷の望みを信じられる。
土を踏んでいるからだ。

踏む土がない者は、何を信じるのだろうか。
道が続いていることが希望だったはず‥、バリケードで進入禁止になった
故郷への道。














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