想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

「漱石山房の冬」

2016-04-10 14:41:29 | 
芥川龍之介全集6の9番目にある短編、
(のような随筆)。

芥川が漱石先生の書斎を訪ねた折、
言われた言葉を書いている。

「文を売って口をコ(しょくへんに胡、
かゆ、くらすの意味、生活を保つこと)
するのも好い。しかし買ふ方は商売で
ある。(略)貧の為ならば兎も角も、
慎むべきものは濫作である。」
先生はそんな話をした後、「君はまだ
年が若いから、そういう危険などは
考えていまい。それを僕が君の代りに
考えてみるとすればだね」と云った。




先生が歿後七年の頃、芥川は友と一緒に
書斎を訪れ、生前の日々を回想した。
先生の小さな机のある場所は、床板
から風が入って寒かった。
天井は鼠が穴を開けたままだ。
塞いだはずだが、また開いていた。
先生は京都あたりの茶人の家と比べ
て見給えと言い放っていた。


(利休梅)



先生がいた時とほとんど変わらない
ままの書斎は、先生の不在でますます
寂寞としていた。
冬の冷たい隙き間風と鼠公の開けた
穴は、芥川の喪失感と寂しさと悔いを
表している。

漱石は有名作家であったが借家住まい
のまま生涯を終えた。家賃35円だった。
漱石山房と称された家は、漱石の死後、
家人が朝日新聞の退職金の一部で買い
取り、書斎を切り離して改築した。

「書斎は此処へ建て直った後、
すっかり日当りが悪くなった」と
芥川が冒頭に書いたのはそのこと
だろうと思う。けれども書斎の中へ
入ると、前とそのまま変わらなかった。

師の言葉を胸のなかで噛みしめる
芥川は、かたわらにいる旧友の
軽薄さを「憎みながら」帰った。

 * * * * * * *

(カメが春の苗植えに備えて花壇を修理してくれたのであるよ)

わたしの師、カメ先生は賃貸
マンションの一室が仕事場である。
ずっと同じところにおられるので
十年ぶりに訪ねて変わらないことに
感動した人がいた。そういう人は
よくいる。
始めから中古マンションでそれに
年季が入ってさらに古びた。
古いですね、とは聞いたことが
ないが思っている人はいるかも
しれない。

応接用のテーブルの脇に小さな机
があって、そこに先生の原稿やら
書類やら辞書やら置かれていて、
その隙き間に、小さな置き物が
ちょこっとある。
凝った文鎮や兎の香炉や猫の写真。
アエオニウムの鉢もテラスの前で
のんびりと育っている。
壁に絵が一枚。
陽射しのよく入る部屋である。
他に何もない。
一年じゅう作務衣の先生は訪れる人が
いてもいなくても、そこに居られる。
先生が居られるだけである。
訪れた人は心地いい。

芥川が漱石先生の書斎で奥様の話を
聞きながら思っていたことが、じんと
胸に響いた。
蕭条とした書斎で、先生が考えていた
ことが何か、大切にしたものが何か、
芥川はわかったのだった。

カメ先生の清貧さを知らず、あてにする
ばかりの人に対して変わりなく優しい
先生を知っているわたしは自分の中にも
芥川の友を「憎む」気持ちがあることを
認める。それはそのまま自分への戒めだ。
「まともに吹きつける埃風の中、
黙然と歩き続けた」気持ちそのままである。






 







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