想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

青年、初詣へ。神頼みの秘訣を伝授の巻

2014-01-02 20:28:08 | Weblog

まずはこちらから~



お肩もみもみで~ごまをする。
神じゃなくてジョリちゃんに甘える江戸ヒメ。



赤ちゃんがおっぱいを吸う時に小さな手でママ猫のおなかを
右左右左と押すのである。あの癖がいまも抜けない江戸ヒメは
ジョリちゃんの背中、ある時はおなかをモミモミして遊んで…



ジョリがしょうがないわね~と耐えているのをいいことに



いつもこういう体勢でひなたぼっこしている。
猫神さまに守られている。

タイトルに秘訣と書いたので、気をもまれている(笑)方が
おいでかもしれないので、さっさと本題に入ろう。

元日に初詣に行くという若もの君がいて、さてどこへ行くべきか
というのでささっと調べた。
基本、願掛けなら無理やよ、と言い放ったのだが、そこは正月、
若ものがせっかく張り切っているので知恵を貸すことにした。
見返りを求めない年長者らしいところを年始早々行動に移した、
ふふふふ。

探せばあるのものだ。
ネットでさっとピックアップした中に、「少彦名命」を祭神に
した古社があった。合祀されているのが菅原道真公というのも
理にそっていておかしな組み合わせでないのも合点がいく。
かたや人ではあるが、腕力とか栄達とかではなく「智慧」ある
ところが共通点だ。道真公は学問の神様、少彦名命は大貴己命
の智慧袋で國造りを輔けた天神の御子なんであるからして、
なかなかご利益がありそうなのだ。

「お願いごとしたいの」
「え、まあ、せっかくなので、そうです、したいです」
若ものは珍しく本音をハキハキと言うのであった。
正月は奇跡が起きないともかぎらない。
「じゃあね、そこの少彦名命さまに純粋な気持ちでお願いを
してみたらどう? お願いします、とちゃんと言ってね」
「はい、そうします」
なかなか素直である。普段とはやや違う。
すでに神がかったか?

「お詣りしました、帰りまーす」とメールまでよこした。
奇跡はすでに起きたかもしれん、と思ったのであったが、
化かされているのがあるいはこちらかもしれん…と用心は怠らない。
ふだん、まったく信仰心もない青年が神頼みする、解せないこと
だが、それが日本の正月と思うことにした。

神名には意味がある。
それぞれのハタラキを表し、役割がある。
有名どころに行き、(例えば天照皇大神)賽銭をちょっと奮発し
今年も良い年でありますように、しあわせになりますように、
こんなかんじのざっくりとした口上、あるいは胸中のつぶやきで
二礼二拍手一礼は一応キマリ通りにしたからヨシ、こんな感じ?
残念だが何かを期待しようにも、とうてい何も起きようもない。
けじめがついた感じで自己満足のいい気分だけは残るのだが。

自分の思いと行いを一致させるべく、ある意味宣言するような
ここちで、神の前で誓うのに、見当違いの神さまのところで
やってもしようがないのである。
神とはハタラキである。何かを期待する、起きて欲しい何か、
その何かをまず自分の中で明確にしているか、そこも大事で。

気はハタラキの乗り物であるからして、純粋にというのは
気を乱さず集中せよ、ということで重要なことだ。雑踏の中でも
集中する、それができるのが神前である。だれも笑わない。
そして、そして、目当ての神さまのところ(そこにおられるとは
限らないしほぼ不在だと思ったほうがいいが)詣でる。
そして、思いをまっすぐに申し上げる。
賽銭は多寡ではなく気持ちが籠められているかどうかだ。

これが気分よく清々しくやれたなら、三日くらいはしゃきっと
働けるのではないか、三日続けばあと三日も勢いでいけて
しまうかもしれないではないか。
そうやって一ヶ月くらい乗り切れば、あれれ、なんか違う風が
吹いてるような気がするぞ…気のせいか…いや違うぞ…ということも、
もしやあるかもしれんということなのです。
気持ちが晴れ晴れとしてきて、それが十日も続いたらたら、
しめたものです。
神さまにお礼を忘れずに。

神頼み、みなさまはどこかへ参られたでしょうか。

うさこはずっと雪見です。
そして書棚から貴重な文献を探しだし、ほくそえんで正月二日目を
過ごしました。
「日本書紀」の書紀なるものの謂い間違いについて折口信夫が
大正15年くらいに書いた小論ですが、帝紀についても触れた
箇所があり、それを探していたのでした。
記紀、旧事本紀、帝紀、帝紀本紀と諸々の呼称のそれぞれの
位置づけを再考し、明らかになった旧事本紀の意義をまとめる
作業をする中で、直感の人である折口信夫の言葉には多いに
勇気づけられます。
神事の真の意味を骨抜きにしその権威主義だけを残してしまった
学者の誤りは悪徳政治家に利用されてきました。
知るものの責任として伝えようと思っています。

混迷を極め続けるこの国の行方に憂える新年ではありますが、
いにしえの紀や教えを為政者の都合で改ざんされたままに
しておくまいてと、非力微力ながら頑張ろうと思います。
(頑張るなんて言ったことないので、ちょっと恥ずかしいです)
古伝の中には、人がいかに生きていくかという智慧が満載で
権威づけのために都合のいいところだけ抜いて使われるなんて
もったいなさすぎます。

エコもベジタリアンも、日本人の古代の教えから考えれば
ごく当たり前の事で、それは私が最も気にしている脱原発にも
まっすぐにつながっています。
拙いことだらけですが、今年もどうぞよろしくお願いします。




コメント
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