想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

賢しら

2013-10-17 16:43:09 | Weblog
(アホでんねんw、ミートゥ!)

学者の賢しらについて異議申し立てのような文になってしまい
それこそミイラ取りがミイラであるなと反省したので更新せず。
一晩明けて(というか深夜に書いたので数時間後)つらつらと
考えていたら、あれはよくない…と気がついたしだいである。
だから保存したのを捨てて、ああ勢いでクリックせずによかった
とアホな自分によしよしと言ってやった。

さかしら、という語感はよくない。意味をしらずともよくないことと
わからない? そんな感じしない? 当ってる?
というような遊びかたもできる「賢しら」である。ご存知の通り、
かしこぶること、物知りぶること、利口ぶること、差し出口、等
意味はよからぬ態度のことだ。

昔も今も学者というのは大概が先進や最新を競っている。
日本は8世紀には唐モノに振り回され漢学から次は蘭学、
エゲレス語、亜米利加モノと浮気をしながら海の彼方から異国
の知恵を持ち込んでは、追いつき追いこせと気張ってきた。
取り入れ消化し我がものとすることを得意とする、などと言われ…。

我がものとするとはどういうことか…はたして我がものにできて
いるのかどうかはわからない。そう思えばそうなる。
取り入れた新進の文明を知らなければ恥ずかしいと思う人が
いるので新しいものはすぐに流行る。
次々に流行り廃り、これをくりかえしている。
これこそがと言っていたはずが命が短い。どんどん短くなって
進歩と喜んで振り返らない。

またまた悪口みたいになってきたのでちょっとこのへんで
落ち着いて角度を変えてみよう。
賢しらという言葉を取り上げたのは、本居宣長が古事記を研究し
注釈をしていくなかで当時の儒者の言説をさし、しきりに言った
言葉だからだ。古事記は古代人から受け継いだものである。
ふるごとが書かれているフミである。ふるごとは古い言葉で書かれ
今(当時江戸時代)の人には意味がわからない。
調べ、吟味し、それでもこれだとわかるわけではない。
わかったつもりになってこれだといいきってしまっている態度が
あまりに儒教かぶれなのでかの国のふるごとでもあるまいしと
宣長さんは「儒者の賢しら」と憤っているのである。

知ったかぶりしているわけではなく、本人はそうだと思い込む事
もはたからみれば賢しらに映ることがある。岡目八目。
だから「知」には「日」がついて智になるまで油断してはならない、
それがふるごとを忍耐強く眺め眺め撫でまわすようにして吟味
した宣長さんにはあたりまえのこととしてわかっていた。
大上段に構えた態度には鼻白むだけだが、それが多勢を占める
となると弱気になるのが人情で、ゆらゆら、ふらふらとそちらへ
寄っていきそうになるものだ。
しかし宣長さんは断固として賢しらに挑んで古事記伝を完成
させている。

迷うとき、踏みとどまり、熟考するのが肝心だ。
何のためにか。志である。
それがなければ、私に迷い、私心に引かれ、道に迷う。
迷ったあげく後付の理屈をこねまわすことにもなるだろう。
学者の言葉ほど信用ならないものもない、とわたしは常々思って
いる。宣長さんは国学者だが、それ以前に人であったので別格。

旧事本紀との比較対照をするために古事記関連書を漁歩して
かなりくたびれる日々である。
そしてぐるっとめぐって、やはり元の位置へと戻る。再確認できて
疲れた甲斐があったというもの、と自らを慰めているがそれに
しても気がめいるような作業だ。
なぜなら、行けども行けども賢しらにぶつかる。
研究書の類は専門家がものするものだからあたりまえといえば
それきりだが、どうしてこうもいいかげんかと…。

先人のした仕事に難癖つけてはならないという気持ちはある。
時を経て時に耐えて、認識が新たになるということは当然だからだ。
けれどもそれを差し引いても、こと日本文化の根本に位置づけられる
古典研究が、日本のいにしえを懐かしみ敬う感覚とかけ離れた動機
でなされていることは残念に思えるのだ。

カメに旧事を学んできた動機は明確で、それは最初から今に至る
まで変わらない。
カメの言葉を借りると
「知識を増やすためではありません。物事の本質を知り、考える
ことができるようになるため、と言ったほうがいいでしょう。
もちろん考えるために知識が必要になるけれども、それを得て
知っているだけでは自己満足の域を出ないことになります。
知った、だからどうするという、その先までわかっていなければ
本質に触れたことにならないのです。このことはあらゆることに
通じます……」
宣長さんは「神は尊し」ありがたいと、とても単純に言い切った。
その注釈文について現代の学者が「本居宣長は興奮のあまり
熱狂し我を忘れた」と皮肉に論じた。その感性は如何に?
その著名な先生の論説を引き継いだ弟子が連綿と続き、
日本のふるごとはもはや迷子の様相、ではなかろうか。

何が嫌かって?
古事記の神代編に登場する神々を、漫画のキャラのような扱いで
笑いながら語れる感性である。
私には絶対にできない、そこんとこ譲れないのである。
あ~、書き直してもあまり変わらんかな…。








コメント
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