Que ma vie est belle!

私とは、美しいもの、美味しいもの、楽しいものの集合体。

あなたに会えて本当によかった@バービカン、ロンドン

2011-01-28 19:30:00 | Gustavo Dudamel

ドゥダメル&LA Phil2日目はマーラーの交響曲第9番。昨年、イェーテボリ交響楽団との演奏で聴いている。

第1楽章から、ぐいぐいと演奏に引き込まれてゆく。勿論、マーラーの力によるところが大きいことは分かっているけれど、いや、イェーテボリでここまで引き込まれただろうか?

第2楽章はイェーテボリの時と同様、ドゥダメル独特のアーティキュレーションを楽しく見る。

ドゥダメルの生み出す演奏は、彼の指揮にしても生み出される音楽にしても、流線型だ。例えると非常に肌理細かくホイップされたクリームが自然にある曲線を成形するかのような、そんな美しさ。

第3楽章の躍動感。作曲家の多くはその命を削るようにして音楽を生み出してきた。一方、演奏家にはどこか冷静な部分が要求され、演奏とは十分な才能と練習によって常にwell-controlledで、作曲家の意図を聴衆に伝えるものと思われていないだろうか。カラヤンのような徹底的な美学追及型演奏は一つの模範だろう。

一方、Gustavoの演奏はその対極にあるような気がする。まるで、彼もが命を削るかようにして、全力で音楽に対峙する。おそらく、そうしようとしているのではなく、演奏を始めると自然と没入してしまうのだろう。そして、結果としてそこに美が生まれる。

あまりに素敵で、よく皆この楽章が終わったところで拍手を我慢できたなぁ、と関心してしまった。ザルツブルクで「春祭」を聴いた時は、これで暫く他の「春祭」は聴けない、と思ったが、今回は、きっと家に帰ったら、このCDを聴いてしまうのだろうな、と思った(で、実際聴きながらこれを書いている)。

第4楽章。この世のものとは思えないほど美しい音楽。この音楽を涙なしで聴くのは不可能ではないか。もし私が億万長者であったなら、Gustavoに頼んでこのマーラー交響曲第9番の第4楽章をお葬式に演奏してもらいたい-いや、折角だから生前葬にして自分も楽しみたいけれど。

「あなたに会えて本当に良かった、嬉しくて言葉に出来ない」という古い歌詞が浮かんだ。