Que ma vie est belle!

私とは、美しいもの、美味しいもの、楽しいものの集合体。

幻想交響曲@楽友協会

2018-01-12 17:56:46 | Gustavo Dudamel

1年ぶりの楽友協会。再びGustavoのマーラー交響曲第10番(adagio)とベルリオーズ幻想交響曲。彼らがやったら間違いなくexciting、ということで、はるばるウィーンへやってきた。

今回もオーケストラ近くの素晴らしい席で、自分がファーストヴァイオリンを弾いているような気持ちで、Gustavoを見ながら鑑賞。

マーラーのパート譜は手書き。。。見づらいだろうな、と思いながら。こんな高音、こんな不協和音、我々が弾いたら、本当になんだか訳のわからんものになりかねないが、どうしたらこんな澄んだ音になるのだろう。マーラーは何を言いたかったのだ、この不協和音で?9番では、ああ、ここはセカンドヴァイオリンなんだ、と思ったことがあったけれど、10番はヴィオラ大活躍。アマオケでは大変だな。。。

ベルリオーズ、これこそ、私が高いお金を払ってわざわざ東京からここへ来る理由。名人芸になると、奏者が楽しそうに微笑む。Gustavoの演奏会のうち、どこよりウィーンフィルを選ぶのは、何よりこの楽しそうなperformance。演奏会前のクラリネットも楽しそうだったし、演奏会に入ってもヴァイオリンは「どや!」な笑みがあちこちで漏れる。音色も七変化。皆がとても同質な音ではあるけれど、隣にいたおぢさんのヴァイオリンの音、とっても綺麗だった。楽器をみただけではこういう音がするなんて、想像がつかないけれど。

(しかし、どう聴いても難しい曲だ。。。来年自分が弾くときにはこんな風には絶対に弾けないし、一生、こんな風には弾けるようにならない(なるわけない)、ということを確認しにきただけなような気もする。。。どうしよう。)

Project managementの話をするときに、よく持ち出す指揮者の話。弾けない奏者がいるからといって、冷たく当たっても、決して良いoutcomeは得られない。それより、やる気にさせて、持てる力を出し切らせるのがProject leaderの役割、なんていっているけれど、こんな風に、自分の想像を上回る力を持つ人々がチームメンバーだったら、どうだろう?Gustavoに聞いてみたいー彼らはあなたのexpectationを上回っているのか、そんなときにはどうするのか。あるいは、こういうオケを振っているうちに、求めるものがもっと高くなるのか、それとも、もともとGustavoの求めているものは、遥か先にあったのか?

明日はモナコ。今日の演奏とどのように同じでどのように違うのだろう。Gustavoはモナコに行くのが初めてだといっていた。彼は好きだろうな。。。


New Year's Concert @ Musikverein, Vienna

2017-01-01 11:15:00 | Gustavo Dudamel

いよいよニューイヤーコンサート@楽友協会 by グスターボ・デュダメル & ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の本番。

今日の席は、後方だが少し高くなっており、また中央で、舞台はよく見渡せる。

盛装の方も多く、また会場には例年のように花(と果物)が飾られ、華やか。昨年までニューイヤーコンサートの中継を見るたびに、一生このコンサートに行くことはないのだろうな、思っていた。ご縁があって、家族でこの場所に来られたことに感謝。また、この1年はこの日のために働いてきたかと思うと感無量(笑)でもある。

席がよいからか、昨日よりはずっと良い演奏に聞こえる。硬さがないといえば嘘になるかもしれないが、ここからはそれほど気にならない。今日で3回目なので、こちらも大分曲にも慣れて、あっという間に前半が終わってしまう。

後半一曲目は今回の曲目の中でも、特にGustavo&VPOがノリノリになる。昨日は調子が乗りすぎてしまったのか指揮棒が飛んだ曲。今日は無事終了。一番多くの拍手。コンマスの隣の方に、指揮棒が飛ばなかったことについて説明しているのか、指揮棒を示しながら話をしている。

バレエも綺麗。ストーリーの仕立ても面白い。Musikvereinの館員のような人は本物なのか、劇団か何かの人なのか。ちょっとどこか(ロンドンのwigmore hallのようなところ)で見たことがあるような感じの人。

Gustavoはいつも、とても幸せそうに指揮をするので観ているこちらが元気になる。この演奏会は世界中に中継され、多くの人が観ていると聞く。この幸せが、少しでも多くの人々に共有されることを心から願う。それが、どんなに理想主義的で青臭い考えだと言われようとも、幸せな人の数はゼロサムゲームで決まるのではない。ゼロサムゲームにしているのは、我々自身なのだから、変えて行くことはできるはず。。。

さて、「美しく青きドナウ」は最初の拍手のタイミングがよく分からない。どこでするのが正式なのか?最初の日の演奏では、最初の1st Vnのトレモロのところで拍手を入れて欲しいように見えたけれど(「拍手、まだ?」的な)。今日は拍手が始まっても、ホルンまで入ってきましたけれど、いつもこんなに長く弾いていました??

ここでお約束の挨拶。Gustavoが曲を止めて振り返ると、昨日に続きなぜか笑が漏れる。実はこれ、気になって過去のニューイヤーコンサートのVTRを見たところ、昨年のヤンソンスでも笑いが漏れていた。演奏会の後、地元の方と思しき方々が声をかけてくださったので、これについて理由を尋ねたところ、「だって、彼は西洋人じゃないし」との回答。。。まあ、あの大舞台でドイツ語を話さなければいけないと多少緊張していたからか、後からYouTubeをみたら、楽団員にも笑われていたかわいそうな(愛されキャラの?)Gustavo。

ラデツキーマーチは昨日に引き続き、なかなか観客パーカッションパートに対しての要求は厳しかった。斜め前方に日本人のテノール歌手らしき方がいらして、彼の手拍子は手抜かりもなく、流石だった。彼は途中の曲が終わったところでBravoもかけていらしたが、同じ気持ちだったので、これまで全く意識していない歌手の方だったが、とても素敵な方に感じられた。

30日には、特に後半が長いコンサートに思われたが、こうして3日とも終わってしまうとあっという間。また彼がニューイヤーコンサートに再来するときには一緒に戻ってこられるように、今年も1年頑張ろう。


指揮棒が飛んだ!ー New Year's Eve Concert

2016-12-31 19:30:00 | Gustavo Dudamel

今日は昨日と同じプログラムでNew Year's Eve Concert.

会場は明日の本番と同じように花が飾られ華やかになっている。演奏も思ったより、ずっと、昨日と違う。残念ながらあまり良い意味ではなく。少し緊張しているのだろうか、それとも、指揮者の後ろにあった転落防止用の柵がなくなって、昨日のように体を支えながら指揮ができないからなのか。

2曲目のLes Patineurs. Walzer, op. 183でも、ホルンの出だしが。。。決して、昨日の場所が良すぎたからではなく、なんとなく、全体の様子として昨日より滑らかでない印象。

それでも、後半になると、昨日も大変に受けのよかったOuvertüre zu Pique Dameで、大分ノリノリに。少々ノリすぎたのか、なんと曲の終了とともに、指揮棒が飛んだ!これでさらに大受け。指揮者的に指揮棒が飛ぶのって、どうなのかしらん?ヴァイオリニストが弓を飛ばすのとは違うのかしらん?

その後、美しく青きドナウでは、今日も最初の「お約束」の拍手が寂しい感じ。Gustavoが挨拶をしようと客席を振り返ると、なぜかそこで笑いが起こる。ドイツ語で話すので何を言っているのかわからないし、何がおかしいのかもわからない。話の内容なのか、彼の発音の問題なのか。。。

ラデツキーマーチは、昨日と同様、登場しながら曲を開始するも、昨日のようなひょうきんな歩き方にはならず。拍手のコントロールは、昨日より「遊んでいる」感じ。ただ、「大勢のパーカッショニスト」に関して言えば、昨日の方がセンスがよかったような気がする。

失敗はGPでやっておけ、とはオケの先生方が共通しておっしゃること。今日たくさん???を感じた分、明日は期待できるはず。



Preview Performance of the New Year's Concert

2016-12-30 11:00:00 | Gustavo Dudamel

ニューイヤーコンサートのプレヴュー。

曲目は(ウィーンフィルのWebsiteより)

Franz Lehár
Nechledil Marsch aus der Operette Wiener Frauen 

Émile
Les Patineurs. Walzer, op. 183 

Johann Strauss, Jr.
S' gibt nur a Kaiserstadt,s' gibt nur a Wien. Polka, op. 291 

Josef Strauss
Winterlust. Polka (schnell), op. 121 

Johann Strauss, Jr.
Mephistos Höllenrufe. Walzer, op. 101 
So ängstlich sind wir nicht! Schnell-Polka, op. 413 

-- Pause -- 

Franz von Suppé
Ouvertüre zu Pique Dame 

Carl Michael Ziehrer
Hereinspaziert! Walzer aus der Operette „Der Schätzmeister“, op. 518 

Otto Nicolai
Die lustigen Weiber von Windsor (The Merry Wives of Windsor), Moon Choir 

Johann Strauss, Jr.
Pepita-Polka, op. 138 
Rotunde-Quadrille, op. 360Johann Strauss, sen.

Indianer-Galopp. op. 111 

Johann Strauss, Jr.
Die Extravaganten. Walzer, op. 205 

Josef Strauss
Die Nasswalderin. Polka mazur,op. 267 

Johann Strauss, Jr.
Auf zum Tanze! Polka schnell, op. 436 
Tausend und eine Nacht. Walzer nach Motiven der Operette "Indigo"
Tik-Tak. Polka schnell, op. 365

ニューイヤーコンサートと全く同じプログラムを演奏する。今回は、Parterre - Loge 2, 左側、1列目の1−3番、とこれ以上良い席は考えられない素晴らしい座席。

YouTubeに今回の全プログラムをまとめて載せてくださった方がいらして、そちらにて予習をしていたけれど、生で聴く、とはどういうことか、その差には驚くばかり。

Gustavoが振ると、本当に楽しい。彼は相変わらず指揮台の上で飛んだり跳ねたり。そして、この席からの眺めの特典は、彼が顔で、表情で指揮をすることがきちんと眺められること。これはTV中継ならば明らかだろうけれど、会場でこれが確認できるのは本当に嬉しく楽しい。

まだ35歳のGustavo。50年後、彼はどんな指揮をしているのだろう。飛んだり跳ねたりができなくなった後の彼は、どんな指揮をするようになるのだろうか。その時に、また、ここで聴けるだろうか。

美しく青きドナウは、ニューイヤーコンサートでは、トップの2人が最初の音を弾いたところで会場から拍手が沸き起こり、新年の挨拶をすることになっているのだけれど、今日は皆、そうして良いのか悪いのか様子眺め。奏者が困っている風だったので、何人かとほぼ同時多発的に拍手。ここでGustavoはドイツ語での新年の挨拶の練習(多分。ドイツ語は全くわからない)。

最後のラデツキーマーチは、入場しながらスネアドラムに演奏開始を指示。会場からも手拍子が始まると、ユーモアのある彼は、足を大きく上げながら歩き、指揮台へ登壇。皆から笑いが漏れる。会場のパーカッショニスト(=聴衆)に対しても非常にわかりやすく指示。ff、ppだけでなく、クレッシェンドやデクレッシェンドの指示もあり。皆、指示に忠実に応える、なかなか優秀なパーカッショニストでしたよね(自画自賛)、マエストロ?

とても楽しい演奏会で、明日、明後日への期待は膨らむばかり。

 


グスターボ・ドゥダメル & ウィーンフィル @ 楽友協会

2016-04-10 11:00:00 | Gustavo Dudamel

Gustavo & ウィーンフィル、楽友協会にて。


Sergej Rachmaninow
Die Toteninsel, op. 29 
Max Reger
Vier Tondichtungen nach Arnold Böcklin, op. 128

Modest Mussorgski
Bilder einer Ausstellung (Orchestrierung Ravel)

 
「死の島」が不満だったわけではない。むしろ、とても良い演奏だったと思う。でも、このあとに起こったことがあまりに印象的であったので、そちらに注力する。
 
Regerの曲は初めて聴いたけれど、とても美しく楽しい曲で、Gustavo&ウィーンフィルのコンビにはぴったり。なぜ今まで自分は作曲家になろうと思わなかったのだろう。こんな風にGustavoに演奏してもらえるのならば、作曲家になればよかった(どれだけ作曲家になるのが難しいかまるでわかっていない発言)。
楽友協会は、天井に近い壁面部分が曇りガラスの窓になっていて、外の光がガラスを通して入ってくる。雨模様の天気から、だんだんと明るい空へ。美しい音とともに、なんだか幸福度が増す。最近のコンサートホールでは考えられないことだけれど。教会で演奏を聴くような効果だ。
最後はウィーンフィルの名人芸。こんな風に弾けたら幸せだろうな。ベルリンフィルがポルシェなら、ウィーンフィルはマセラティだろうか?
 
展覧会の絵。
始まった時には、もう少しGustavoとウィーンフィルの息がぴったり合った頃に、来週にでも聴きたい、やっぱり来週来てしまおうか、と思っていたけれど、Gnomusの終わりだったか、彼がこうしたい、と思っていたことができたのだろうか、最後フレーズが終わった時、Gustavoとコンミスが目で「よし、うまく行った」とばかり頷きあった。そのあとも彼は折に触れ、コンミスと目で合図し合う。
最初の不安感はどこへやら。ウィーンフィルの美しい弦の音が、Gustavoを見ようと少し斜めになっている体の左側、左耳に寄せてきて、無視できなくなる。本当に美しいヴァイオリンの音。自分が真剣に弾くようになって、余計に気になる。弓の持ちかた、動かし方、コンサートミストレスのよく動く右腕。。。
この曲線、いつも思う、この曲線。誰でも、この曲線が美しいことはわかる。例えば彫刻に見る美しいドレープのように。私たちは容易に、美しいドレープと、いまひとつ垢抜けないドレープを瞬時に見分ける。そんな感じ。でも、どうやって、「この」曲線だと、決められるのか。曲線の数は無限だというのに。でも、彼に曲線を提示されると、そう、そう、これ!と同意せずにはいられない(もちろん、他にも可能性はあるに違いないが、それならそれを示さなければならない)。しかも、自分で描くのではなく、楽団員に描いてもらう必要がある。楽団員が優れていることは必要条件だが、彼ら彼女らをそのように持って行ける、それができるところが、また素晴らしいと思う。
キエフの大門が始まったところで、あれ、なんだか物足りない、と思ったのだけれど、その後、フィナーレに向かって、どんどんと盛り上がって行き、最後はもう、涙なしでは聴けない!状態に。何人も目頭を押さえている人を見た。楽友協会、ホールが楽器そのもののようなホール。初めてここで音を聴いたら、きっとそんな風になる。
 
演奏に、皆、とても満足していたと思う。
Gustavoに会いに行く。列の前の人々との彼のやりとりからも、彼が満足しているように聞こえる。機嫌がよさそうだ。
何人もの人が、数え切れないくらいの人が泣いていたことを伝えたら、え、みんな不満で泣いていたの?なんて、こんな軽口をたたく時のGustavoはとても調子(そして機嫌)が良い。
 
本当に素敵な演奏だった。ニューイヤーに、家族と必ず来ます。あなたの楽しい音楽をまた聴きに。
 
 
 

グスターボ・ドゥダメル & ロスフィル @ Philharmonie de Paris 第2日目

2016-03-20 16:30:00 | Gustavo Dudamel
Gustavo第2日目はマーラー交響曲第3番。
 
Gustav Mahler
 Symphonie n° 3
 
Los Angeles Philharmonic
Chœur de femmes de Radio France
Maîtrise de Radio France
Gustavo Dudamel
Tamara Mumford
Sofi Jeannin
 
今日は1階席前方、中央やや舞台に向かって左寄り。
この席でも、素晴らしい。第一楽章最初の金管の音がbrillianに響く。しばらくしてスネアドラム、その微かな音すら明瞭に響き、音楽全体が見えるような錯覚に陥る。昨日のAmerican Programの時よりも、明らかな静寂が感じられる。ロスフィルの管楽器はとても安定していて、安心して聞くことができる。ハイトーンでもpppでも。これで弦楽器に弾ける以上の何かが加わったら、恐るべき集団になる気がする。コンマス、最初のソロでは少し緊張が伝わってきたけれど、その後いい感じになっていった。かなりのパッセージでも、少なくとも1stヴァイオリンは僅かの例外を除いて曲を通してとてもよく揃っていた(揃っていないプロオケをロンドンではたくさん聴いた)。やっぱり弾けるっていいな。日本に帰ったら、もっともっと練習して、いつかはマーラーでも何でも不自由なく弾けるようになりたい。できればTiempoではないけれど、Gustavoの指揮で(欲が出る)。
 
第1楽章の終わりで案の定拍手。でも、これだけ美しくて派手だと、気持ちはわかる。
 
ウィーンのリズムというのだろうか、直線ではなく、曲線的な、まさに器用さがないと作れない揺らぎ。これがGustavoは得意だと思う。厳密に言ったら、ウィーンの曲線とラテンの曲線は違うのかもしれないが、少なくとも東洋人の私には聞き分けられないとても綺麗な曲線が形作られているように思う。
 
第4楽章で、歌が始まったとたんに、後ろの女性が泣きはじめた。え、ここ泣くところなの?でも、その人的にはここだったのかもしれない。そして、第6楽章では後ろのご老人の咳がとまらなくなって、曲に没入できず。昨年3月のサントリーホール、Gustavo & ロスフィルでのマーラー6番最後の5分のような感動を覚えることができなかったのは残念。集中力が足りない、修行が足りないのだろう。。。
 
第6楽章スコア31番に入るところところだったか、Gustavoが少し長めにとったように思われる間。ホールの響きが存分に活かされていた。素晴らしい演奏だと、ブラボーしたい気持ちもわからないでもないけれど、せっかくの素晴らしい音響のホール、残響を楽しんでも良いのではないかしらん。

グスターボ・ドゥダメル & ロスフィル @ Philharmonie de Paris 第1日目

2016-03-19 20:30:00 | Gustavo Dudamel
グスターボ・ドゥダメル & ロスフィル @ Philharmonie de Parisの第1日目はAmerican programともいうべき下記メニュ。

John Williams
 Soundings (création française)
Alberto Ginastera
 Concerto pour piano n° 1
 
Andrew Norman
 Play: Level 1 (création française)
Aaron Copland
 Appalachian Spring
Los Angeles Philharmonic
Gustavo Dudamel
Sergio Tiempo (Pf)

John Williamsだけあってまるで映画音楽のよう。舞台の上にはシンセサイザーのようなkey boardとMacBookだろうかコンピュータ2台も。通奏低音のようなオルガン様の音の上でオーケストラが鳴る。

Ginasteraのピアノ協奏曲第1番はTiempoのピアノ。彼とは以前ロンドンのWigmore Hallの楽屋で話しをしたことがある。彼がカラカス生まれだということもあって、Gustavoのことが話題に上った。その時彼は、いつかはGustavoと共演したいと言っていた。それを聞いて正直、できるのかな?と思っていたけれど、この通り!夢を実現させた彼に敬服。演奏の後は、Gustavoと指揮台上で熱いハグ。こちらまで嬉しくなる。今日のGustavoは、なんだか大人びているわ。

Andrew Normanは演奏の後、舞台に現れ拍手喝采を浴びる。若いし、なかなかのイケメン。
 
Appalachian Spring。非常に美しい曲。題名に影響されるからか、アルプス交響曲のような曲を思い出す。オーケストラの音がホールに美しく響く。しかし弾けないアマオケメンバーは、弓が逆転している演奏者を思わずチェックしたり、最後にコンマスが一人終わらなかったことがソロだったのか、間違ったのか(?!)気になって、時差ぼけの頭が一瞬冴えたり。明日のマーラーはよろしくお願いしたい。。。

Philharmonie de Parisはとても美しいホールだ。音響が本当に素晴らしい。ただ1点、座席数を増やすためだろうか、この日の2階席はS席だというのに、足元が非常に狭い。高齢の方にはかなり厳しい。ムッシュがお一人バランスを崩されたのか倒れて下の座席の方へ落ちておられた(!!)。幸い大事には至らなかった様であるが、非常時などには、二次災害を招きかねない。残念である。
 

マーラー交響曲第1番 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団&グスターボ・ドゥダメル

2015-06-11 22:00:00 | Gustavo Dudamel

昼の便でウィーンに到着、ホテルで仕事。仕事を終え夕方の便でベルリンに向かう。

乗降時間削減のため、機内持ち込み荷物だけ、着替えも最小限にする。
折角エコノミー最前列にしてもらったのに、TXLではバス移動。
バスがターミナルに到着するや小走りでタクシー乗り場へ向かう。
直接フィルハーモニーへ。
 
モーツアルトのポストホルンは最終コーナーで事故発生。
難しい楽器なのだろうな。
 
後半は待ちに待ったマーラー交響曲第1番。
ベルリンフィルを聴く度に思うことではあるけれど、
ポルシェのよう(イメージ:自動車運転免許持っていない)ーダントツの技術力。
こんなオーケストラが自分のオーケストラだったら、指揮者、気持ち良いだろうなあ。。。
 
先週のミュンヘンと同様、テーマはPastralなのか、
弱音を強調するというか、弱音部に特徴のある演奏と感じた。
また、Gustavoの「こうしたい」も何となくわかるような気がした。
ただ、まだ「それが完成したらすごいのだろうな」レベルに居る感じが否めない。
 
この感じを見ると、残念ながら今回GustavoのベルリンフィルChefdirigenten就任はないのだろう。
今の状態では、そうなってもあまり幸せになれないのではないか、と心配になる。 
昔のカラヤンやバーンスタイン、もっと昔ならフルトベングラーやトスカニーニ、
この人たちが指揮台に立つと、演奏者の態度が違ったんだろうな、残念ながら。
昔ロンドンに居た時の某オケ・フルート奏者のように、なんとなく、やる気なさそうに見える人がいる(演奏中に目のあった、君だよ、君!)。
指揮者に対する畏怖や尊敬の念が欠如していることの現れなのだろうけれど、
どうしたら、そういう気持ちを誰からも得られるようになるのかしら?
他人事ではないけれど。
 
今回はちょっと不完全燃焼。
GustavoがベルリンフィルのChefdirigentenになったら、ベルリンに移住したくなっちゃうし、
この次くらいで良いかな。

Gustavo in Munich 2 - City Noir

2015-06-06 21:00:00 | Gustavo Dudamel

Gustavo in Munich 2日目。プログラムは昨日と同じ。

 
外出先から一旦ホテルに帰って出掛けたところ、
ホテル前にタクシーがなく、到着が開演時間1分後。
昨日は5分以上遅れて始まったのに、今日はもうロビーに人が居ない。
ホールからチューニングの音が響いている。
チケット切りのお姉さん(このホールでは座席への各ドアのところでチケットを切る)は
何でもないかのように入れてくれたのだが、
なんとホールは既にチューニングも終わり、皆指揮者が入ってくるのを待っている状態。
ここで最前列の席まで階段を下りるのは勇気が要るがやむを得まい。
昨日と違ってど真ん中でないことが救い。
ど真ん中だったらそのまま振って、という感じ。ごめんなさい!
 
席に着くとほぼ同時にGustavoが入って来る。
拍手をして恥ずかしさを紛らわすも、走ったことと恥ずかしさで心拍数は100を超えている。
従って最初の数分のCity Noirに関する記憶はないけれど、
どうやら、ようやく自分の脳みそがCity Noirを認識し始めたらしい。
これまでごちゃごちゃとしか聞こえていなかった音楽が、
心地よく響いていることに気付く。
春祭みたい、と思ったり、バーンスタインみたい、と思ったり。
雨に煙る街が見える。とても絵画的な音楽に思えて来た。
 
やはりこういう曲は何度か聴かなくては私にはだめなのだろう。
聴いているうちに脳が曲を認識して来る、というか。
スーパーで流行りの曲を何度もリフレインされるうちに自然と覚えてしまうのと同じだわ。
馴染む、親しむことの大切さ(マーケティングの大切さ?)を感じる。
 
後半のベートーベン、
こちらは、昨日と同様、優しい7番。
特に第2楽章は、ため息のような、すすり泣きのような。
Vnが弓に入れる力を最小限にして、浮かすように弓を動かすにので、
そんな風に聞こえるのか(右腕しんどそう、と思うが、プロは平気なのか?)。
テンポ的には昨日ほど遅い訳でもなく、
第3、4楽章は元来のの突っ走り気味の速度。
最後、コントラバスのお姉さんは笑いながら弾いていた。
ああ、本当にGustavoの演奏会は聴いている人も、弾いている人も、
振っている人も、皆笑顔で嬉しくなってしまう。
 
でも、会場は意外とあっさり、帰途を急ぐ人が多かった。
雨が降りそうだったからかしら?(今外からは雷鳴が聞こえる)
そう言う自分も、今日はすぐにタクシーでホテルへ。
気に入らなかった訳では全くなく、お手紙でも書きたい気分だったので。

Gustavo in Munich

2015-06-05 22:00:00 | Gustavo Dudamel
Programは前半がAdamsのCity Noir、後半がベートーベンの交響曲第7番。
City Noirは前回のLA Phil in Suntory Hallよりは寝ずに聴けたように思う。
フィニッシュが華麗だった。
そして後半は待ちに待ったベートーベンの交響曲第7番。
いつも何か発見のあるGustavoの演奏会ではあるけれど、今日のは特別。
これまでに聴いたなかで、良く言えばsweetestな演奏。
あまりに7番らしくない7番でびっくり。
ヴァイオリンはまるで全ての音符にテヌートを付けたような弾き方で、
演奏する人は大変だったのではないかと推察する。

聴きながら、指揮者は演奏会において何をゴールにしているのだろう、と考える。
常任指揮者であることと、こうして客員として来ること、
1回1回の演奏会でのゴールというのは異なるのか、同じなのか。

それにしても7番に期待していたものとはあまりに違って、何とも不思議な感覚。
 

相変わらずのミーハーは最前列の真ん中の席、
7日も最前列の真ん中の群の舞台向かって左側、
今度のベルリンフィルも最前列真ん中
(なぜかこういう席が直前に出てくる)と、
音を聴くのにどうなの?と自分で自分にツッコミを入れるも、
理性は無力、どうしても誘惑に負け、言い訳を考える。
「学習効率は距離の二乗に反比例する」と
高校の物理の先生が仰っていたし、
指揮者と同じ位置で演奏を聴いているのだと思えば。。。

演奏会の後少し話ができたので、今日のベートーベンはSweetだった、
と話したところ、違ったの分かったでしょう?、ちょっとpastoralだったでしょう?と。
何で変えたの?と尋ねたら、人生も変わるように、音楽も変わるんだよ、
みたいなことを言うので思わず二人で大笑いしてしまったのでした。
あまりに断片的にしか知らない人を統合しようとすることに無理があるのは分かっているけれど、
こういう音楽を作るGustavoと、それ以外の部分の彼を統合しようとして失敗した感のある夜。
 
追記:Gustavoの次の来日は2017年SBSOVと、とのこと。