運(うん)とはその人の意思や努力ではどうしようもない巡り合わせを指す
運が良い(幸運・好運)とは到底実現しそうもないことを 偶然実現させてしまうことなどを指す
運が悪い(不運・悲運)とは 楽しみにしていた旅行の当日に発病してしまうことなどを指す
占いや、神社・寺院のおみくじは、この運を予言する力があるとされる
勝負事などで運が良いことは「付き」(つき、ツキ)「付いている」などともいう ものごとが滞りなく行われること かよい
運には「運が良かった」などと過去の状況説明として用いられる場合と
「運の強い男」など個人の特性を説明するために用いる場合がある
「運」を用いた説明は好ましくない(妥当でない)と考える者もおり
「運」に関する信念の違いがおのおのの表現には反映されている
「運」を統制することができるかについての主観的な感覚にも個人差があり
合理的な努力の成果やポジティブシンキングの結果として運を掴まえる者もいる
一方でギャンブルのような統制可能性が低いものでさえ 何らかの努力で成功を得られると考える者がおり
因果関係ぬきで結果に対して満足感を得るために自分の行動に張るラベリングとして「努力」概念を導入し
不確実な事象の結果として満足が得られない者が「運が弱い」などと呼称することがある
決定論の一つである因果的決定論に立てば 実は幸運や不運の意味はなく
過去や未来はすべて決定されているという考え方になる
ラプラスの悪魔に代表されるような存在によって結果はすべて見通されているということになる
「運がよい 運気を上げるため」部屋のインテリアに風水を取り入れることも珍しくなくなりました
あと数年前ヒットした植村花菜さん「トイレの神様」って曲ありましたよね
内容は昔からよく言われる水周りは綺麗に保っておくといいことあるんだよって♪
ご自身と亡き祖母との思い出を綴り小学校3年生から23歳頃までの実体験がベース
ともかくも僕自身もトイレや水周り関係には気を払ってますし 神社・仏閣などスピチュアルな場にはよく訪れます
何気ない参拝の積み重ねが自身の方向性とか守ってくれる気がしてますし 過去の悪態&悪行?への懺悔もあるわけです
先日階段から落下して腰を強打しって記事にしました 幸いにも骨・骨盤に影響はなくほぼ順調に快方へ・・・
実はですねー 痛みこらえて外科に行き治療終えた当日 もう一軒銀行だったかに用事あったのです
当日は小雨 怪我の具合もあって傷から体液が滲む状態だったので一張羅は着てられません
それこそ洗ってもシミが落ちないなら捨ててしまおう!ってラフな格好だったんですよ そうしてチャリ移動中間口(ポケット)が
やや浅いハーフパンツから 2つ折りの財布紛失…免許も保険証もカードも皆収めてるんです→血の気が引き焦りました
すぐ気がつき50m後戻りして 幹線道路の交差点・路面電車電停前で発見 大急ぎで取りに行き中身は全て無事であるのを確認します
さらには自動車にも踏み潰されてませんでした 最近は軽といえども一トンは重量あるわけです
踏まれていたら まずタイヤの黒い痕がこびり付き→縫製が崩れバラバラになって使い物にはなりませんからね
帰宅後優しく水気を拭って 保護するための特殊なスプレーを薄く延ばすように塗り込み何事もなかったかのように光沢も取り戻します よかった・よかった☆
今のご時勢財布落とそうものなら まず戻ってはきません ブランド物ではなく高価でもないけれど
革製品のお店で爽やかな色合いも気にいって購入したんです 何物にも替えがたいからさっ
当然中身は広げてお見せすることはできませんが 写真は無事拾って=手元に戻り十分手入れした後 全く損傷や汚れのひとつもないでしょう 奇跡かも!?
腰の件といい 財布の件といい僕は悪運強いのかもしれません でも皆さん信じるものは救われる これから気温もグングン上昇しますから
水周りは定期的に綺麗にするのにこしたことありませんよ♪(すぐ不潔になる&臭う) 同時に神社や仏閣って都市部・農村部いろんなところに佇んでますね
お賽銭の額は関係ありません 参拝しておいて損はないです=僕の例が実証済み ただし人の運気には限界ってか容量みたいなものがあるとも思います
例えばギャンブルに入れ込む方 あまりその方面(勝負事)に運使ってると自身の健康面などが危うくなるでしょう
そこそこで留めるかどこかにお参りに行く際は自分の事だけでなく 大げさであっても世界平和や震災の被災者の方の幸運(復興)も祈願してください
そうしたら人生全般トータルでのバランスは取れるはずなので それにねパチンコや競馬で多少勝った・負けたって浮かれててもそれは運気とは違う
運営する元締めさんの手のひらでいいように転がされてるだけなのだから