「きっかけ(CUE)」

”CUE”が写真を載せ発信します

m o o n r i d e r s

2009年10月03日 | 音楽・music



ムーンライダーズは はちみつぱい(1971年結成 1974年解散)を母体として 1975年に結成されたロック・バンド

メンバーは鈴木慶一・岡田徹・武川雅寛・白井良明・かしぶち哲郎・鈴木博文

「ムーンライダーズ」とは、稲垣足穂の小説「一千一秒物語」の一節から鈴木慶一が命名したもので
オリジナル・ムーンライダーズの解散後に メンバーの鈴木博文に
ムーンライダーズの名前の再利用の承諾を得て その名前を使うことになる
初期の表記には「ムーンライダース」(雑誌やテレビ等)も見られたが 徳間時代に「ムーンライダーズ」に統一された

 稲垣足穂。。。1900年12月26日 - 1977年10月25日は 日本の小説家
   大正時代から昭和時代にかけて 抽象志向と飛行願望・メカニズム愛好と
    不毛なエロティシズム・天体とオブジェなどをモチーフにした数々の作品を発表
     小説家になる前に前衛芸術家を志望していた経歴もあり凝った装幀の本が多い 代表作は『一千一秒物語』 『弥勒』など

彼らははちみつぱいで為せなかった「音楽で食べていく」事を優先させるため
まず、アグネス・チャンのバックバンドを行うことによりバンドの経済的基盤を確立させ
1975年2月1日青森県五所川原にて初めてアグネス・チャンのステージに立つ

その後、香港ツアーにも帯同するなどしてバックバンド活動は1976年2月まで続いた
こうした活動はキャンディーズなどのバッキングへと続く

「我々はバンドに起こりうる出来事はすべて経験してきた 自殺と逮捕以外は」と
慶一が語るようにメンバー脱退 メンバーの病気⇒活動休止 レコード会社移籍などさまざまな試練を乗り越え 30余年にわたって活動を続けてゆく

中でもバンド史上最大の危機とされたのが 武川の函館空港・ハイジャック事件遭遇=その際は加藤登紀子のツアー・サポートメンバーとして同行

「もしかしたら武川がいなくなってしまうかもしれない」という緊迫した状況下「ムーンライダーズはこの6人でなければならない」と全員の結束が強固なものとなり現在に至る

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写真は サイトから抜粋 僕は pop jazz rock techno classicなど多岐に渡って 音楽聴きます♪
そんな中 新しい・古いはないと思うのです 要はオリジナリティがしっかりあって 心にまっすぐ響いてくるもの。。。そういう音楽が好きです

余談ですが 「girl’s next door」の曲って あまりにビジネスライクに聴こえて
既に解散した 「day after tommow」の倖田來未の実妹:misonoが唄っても 
悪い意味で曲の進行から始まって全く違和感ない=同じに聴こえる=心に響かないからね
断っておきますが 音楽の好みなどの見解には 個人差があります 
決して↑に挙げた 2グループのことを悪く言ってるわけではないので 誤解なきように願います
あくまで エイベックスが良くも悪くも音楽を商品化しすぎたことへの 痛烈な皮肉・風刺ですから・・・ハイ☆


でも なんのかんのいっても メジャー(第一線)で活躍するには 売り上げ枚数=ビジネスも絡んできますから
バンドだろうがソロだろうが 一定の結果残さなければ 生き残れないですよね

他にも バンドとして活躍するには メンバー間同士の 音楽性の相違・ギャラの配分など
大人な事情も含んできますから 結成して10年もてば 御の字ってところに行き着きますかね?
例えば現在 サザンは活動無期限休止って状態ですが 
結成してメンバー不動・レコード会社&所属事務所も変わらずってのは ある意味奇跡に近いと思うのです

楽曲の大多数の作詞作曲手がける桑田さんですが 
「マンピーのGスポット」など規制コードギリギリな曲も リリースしてます でも30年も!活躍してるのは凄いことですよぉ

さて 前置きは このくらいにして moonridersの話に移ります 
ポピュラリティー(大衆性)も兼ね備えるサザンとは違い 常に時代の先端を走り 実験的・前衛的な楽曲を多く出してますね

使用する機材も 誕生したばかりのシーケンサーや
HDDによる自宅録音(宅録)を積極的に導入⇒大き目の机に並べたパソコンと数台の機材があれば完結する⇒
そのデータをメンバー同士でやり取りし 決して全員が同じスタジオには集まらない⇒
現在では槇原敬之・宇多田ヒカル・perfumeの楽曲手がける中田ヤスタカetc
が同様の手法を試みる
やや 内省的な方法をとってます

そのため 難解だ!商品としては出せない!!!など レコード会社との軋轢も生み
何度となく 移籍繰り返してます 中にはアルバム1枚出しただけで 移籍したケースもあるくらいなんですよ

でも そんな数々の障害乗り越え 60歳=アラカン迎えた 彼らの紡ぎだす音楽は 
いつだって 守りに入らず攻撃的かつ刺激的で 多少捻くれた歌詞であっても 愛情に溢れてます
このようなバンドを 本当のrockというのだと思いますね
(録音方法は シーケンサーなどpc多用してますが ライブでは生の音を重視してますから)


ま 万人にお奨めする曲ではないのは確かですが 僕の撮る写真に 多大なるインスピレーション与えてくれてるのは確かです
気になった方は 最新作「Tokyo 7」聴いてみて下さい レンタルのDMMでも扱ってます ではまた(^-^