花の都フィレンツェ。。。
フィレンツェの起源は古く、紀元前にエトルリア人が創設した町で、
1世紀頃になるとローマ人が植民都市を建設し、「花の女神」を意味する「フロレンティア」と
名づけ、これがフィレンツェの名前の由来です。(英語だとフローレンス)
その後、ローマ帝国の衰退と共にフィレンツェも荒廃しますが12世紀には自治都市と地位を獲得し、
15世紀にはメディチ家の庇護の元、ルネッサンスの花が咲き乱れます。
ダビンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、ジョットにボッティチェルリ・・等多くの芸術家が活躍しました。
フィレンツェは「屋根のない美術館」と称されるほどで、1982年に世界遺産にも登録されています。
さて、ローマでは「コロッセオが見れればいい~♪」と言っていたクニパ。
それで ”古代ローマ遺跡とシスティーナ礼拝堂” がローマでのテーマでしたが、
ここフィレンツェでは「(世界遺産の)空気を吸えるだけでいい~♪」だって~
よって、フィレンツェでのテーマはただ”(歴史地区の)街にいるだけ”です・・・笑←なんだこりゃ。
美術館に入るより街ぶらがしたいって言うので、事前予約したのも「ウフィッチ美術館」のみ、
後は行き当たりばったりで3日間、予定も立てずに街ぶらを楽しみました。
見所はほぼ歩いて回れるので、途中で買い物をしたり、のんびりカフェに入ったりと
ローマでは出来なかったゆったりとした観光が出来たのでした。
さぁ~、ホテルのチェックインを済ませて小休憩の後は早速街ぶらへ。。。
さっきまで降っていた雨も上がっていてラッキー
まずは街の中心にある花のドゥオモ(S.M.デル・フィオーレ大聖堂)を目指します。
ホテルから歩いて5~6分です。
するとドゥオモの横に建つジョットの鐘楼が19時まで開いていたのですぐ上がることに。(7ユーロ)
ジョットの鐘楼は1334年に着工され、ジョットの亡くなった後は弟子アンデレア・ピサーニ他
が工事を引き継いで完成させました。塔の高さは84m。
登ってる途中でクニパはお腹が不調になってリタイア。
ここで待っててもらって私一人で屋上まで上がりました。
屋上にはこんな防護用柵が・・・。
ドゥオモのクーポラよりちょっと低いですが、フィレンツェの町並みが一望です。
こっちが東側↑。
↓右側にメディチ家礼拝堂が見えます。
白い教会が見えますが、これはサンタ・クローチェ教会。
こちらは南側、ヴェッキオ宮とウフィッチ美術館が見えます。その向こうにアルノ川が流れています。
望遠で拡大したレププリカ広場。
ジョットの鐘楼から降りた後、シニョーリア広場へここは、フィレンツェの政治の中心になった場所。
ヴェッキオ宮殿です。
シニョーリア広場のカフェにも後でまた入ろうね。
ここから路地に入って行ってヴェッキオ橋の方に抜けました。この路地によさげなリストランテ発見!
橋の両側に並ぶ金細工のお店はもう閉店していましたが、観光客はまだまだどっさり。
ヴェッキオ橋の2階部分はピッティ宮とウフィツィ宮を結ぶ通路(ヴァザーリの回廊)になってます。
橋の中央からのアルノ川の眺めに・・・うっとり。
夕日にはまだ時間がかかりそうだったので、待ちきれずに夕食を食べに向かったのでした。
フィレンツェの起源は古く、紀元前にエトルリア人が創設した町で、
1世紀頃になるとローマ人が植民都市を建設し、「花の女神」を意味する「フロレンティア」と
名づけ、これがフィレンツェの名前の由来です。(英語だとフローレンス)
その後、ローマ帝国の衰退と共にフィレンツェも荒廃しますが12世紀には自治都市と地位を獲得し、
15世紀にはメディチ家の庇護の元、ルネッサンスの花が咲き乱れます。
ダビンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、ジョットにボッティチェルリ・・等多くの芸術家が活躍しました。
フィレンツェは「屋根のない美術館」と称されるほどで、1982年に世界遺産にも登録されています。
さて、ローマでは「コロッセオが見れればいい~♪」と言っていたクニパ。
それで ”古代ローマ遺跡とシスティーナ礼拝堂” がローマでのテーマでしたが、
ここフィレンツェでは「(世界遺産の)空気を吸えるだけでいい~♪」だって~
よって、フィレンツェでのテーマはただ”(歴史地区の)街にいるだけ”です・・・笑←なんだこりゃ。
美術館に入るより街ぶらがしたいって言うので、事前予約したのも「ウフィッチ美術館」のみ、
後は行き当たりばったりで3日間、予定も立てずに街ぶらを楽しみました。
見所はほぼ歩いて回れるので、途中で買い物をしたり、のんびりカフェに入ったりと
ローマでは出来なかったゆったりとした観光が出来たのでした。
さぁ~、ホテルのチェックインを済ませて小休憩の後は早速街ぶらへ。。。
さっきまで降っていた雨も上がっていてラッキー
まずは街の中心にある花のドゥオモ(S.M.デル・フィオーレ大聖堂)を目指します。
ホテルから歩いて5~6分です。
するとドゥオモの横に建つジョットの鐘楼が19時まで開いていたのですぐ上がることに。(7ユーロ)
ジョットの鐘楼は1334年に着工され、ジョットの亡くなった後は弟子アンデレア・ピサーニ他
が工事を引き継いで完成させました。塔の高さは84m。
登ってる途中でクニパはお腹が不調になってリタイア。
ここで待っててもらって私一人で屋上まで上がりました。
屋上にはこんな防護用柵が・・・。
ドゥオモのクーポラよりちょっと低いですが、フィレンツェの町並みが一望です。
こっちが東側↑。
↓右側にメディチ家礼拝堂が見えます。
白い教会が見えますが、これはサンタ・クローチェ教会。
こちらは南側、ヴェッキオ宮とウフィッチ美術館が見えます。その向こうにアルノ川が流れています。
望遠で拡大したレププリカ広場。
ジョットの鐘楼から降りた後、シニョーリア広場へここは、フィレンツェの政治の中心になった場所。
ヴェッキオ宮殿です。
シニョーリア広場のカフェにも後でまた入ろうね。
ここから路地に入って行ってヴェッキオ橋の方に抜けました。この路地によさげなリストランテ発見!
橋の両側に並ぶ金細工のお店はもう閉店していましたが、観光客はまだまだどっさり。
ヴェッキオ橋の2階部分はピッティ宮とウフィツィ宮を結ぶ通路(ヴァザーリの回廊)になってます。
橋の中央からのアルノ川の眺めに・・・うっとり。
夕日にはまだ時間がかかりそうだったので、待ちきれずに夕食を食べに向かったのでした。