木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

木工挽物という仕事 基本

2012-09-20 23:43:46 | 仕事
今日はお仕事の話をしてみようかなと思う
このブログを書き始めたころから一貫して訴えてきたのは
この仕事は斜陽産業でいつつぶれるかわからないということだった
基本的にそれは今も変わらない
祖父が津島の近くの農家の長男でもしそこで農業をしてたら多分僕は生まれてなかったんじゃないかと思う
詳しくは知らないけれど百姓をするのが嫌で東京へ出て行ったらしい
何かの勉強もしたということだ
残念ながらそれは何かわからない
父親が早稲田の講義録が家にあったという話をしてくれただけ
やがて実家に近い都会名古屋に戻ってくる
そこで今の仕事をしてた親方のところで働き始めた
祖母と知り合ったのはその親方の家だったという

戦争で長男を亡くし、二男だった親父は先生の真似事をしたり国鉄の工場で働いたりしながらやがてこの仕事を継ぐことになる
この仕事が天職だったのかどうか それはわからない
ただ父親からバトンを受けて息子である僕にそれを渡すことができたというそのことだけを見れば
もしかしたら立派な天職だったのかもしれない
僕にはそれが出来そうもないから

仕事は一応順調にやってきた
あまり大きくもならず儲けも少なかったけれど生活の心配するところまではいってなかったんじゃないだろうか
お金がないから っていう言葉はあまり聞いたことがなかったから
勿論裕福ではない 裕福ではないけど人並みの生活を自然にしてた
僕はお金という存在をあまり意識せずに大人になれたから

そのうち木というものの代わりにプラスティックが登場する
木工所はもういらないんじゃないかと思うほど仕事が減ったような気がした
でもでも、木の良さはまた見直される
何だプラはプラ別もんじゃん と思ったのもつかの間
今度は安い台湾製の品物が氾濫しだした
台湾が裕福になると今度は韓国製品の大洪水
それが収まると大本命。やってきました中国製
数をこなす仕事はほとんどやれなくなってしまった
それはつまり儲からないということだ
木工所はいつもいつも社会に苛められてたような感じがする

普通の生活の中ではあまり感じないかもしれないけど
物を作るというその行為
実は単品で作るのと数をこなすということは大きな違いがでる
多分話をすれば簡単にその原理は分かっていただけるとは思うが・・

例えば家具のつまみを作るとする
こういう形のものを一個作ってくださいと言われる
手作業でろくろを回していくつかの刃物を駆使して30分かかったとすると
単価はゆうに1000円を超える
でも型を起こしてそれ用の刃物を作って手作業に持ってゆくと一個50円くらいで出来るようになる
そして今現実にある機械でそれを作ろうとすると10円で出来たりする
数の力というものはそんな恐ろしい物でもある

そういう仕事が昔はあった
一種類50000個の注文とか
10円でも50万になる
昔の50万は価値があった
でも今の貨幣価値の50万の仕事さえなかなかない
いや10万の仕事さえ稀である
これでは後継者を育てられるわけがない
勿論、企業努力が足りないのだろう
どんな業種でもトップを走る会社はある
でも多くの同業者が同じ運命をたどってるってことは業種的にはやはり斜陽産業に他ならないということ 
それには違いない

今日は概論
また気が向いたら個人的な話をする・・・っていうかそういう話をするつもりの枕が長~~くなっちまったっていうことだ

またいつか
 あればね(笑)
コメント (6)
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