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スウェーデン生活+その後

2010-2013年スウェーデンに在住し帰国。雑記、鳥・植物の写真
*海外情報はその当時のもの。
*禁無断転載

衝角

2019-02-17 19:17:22 | 考えてみたこと
職場の方は忙しいながらも、同僚たちの協力もあってどうにかこうにか今年度を乗り切れそうである。そして数字的な部分を見れば、少なくとも今年度は「それなりの成果を上げた」と言ってよさそうに見える。ただこれで思ったことがひとつ。

映画「ベン・ハー」などをご覧になった方はご存知かもしれぬが、古代の海戦において、もっとも一般的な戦術は「船による体当たり攻撃」であった。船の前方、水面下に金属製の突起を取り付け、これを敵の船の側面にぶち当てるのである。当時の船は木造であったから、全速力で側面から金属製の突起を当てれば、大きな穴をあけることができた。こうすればそこから浸水させて、敵の船を沈めることができた。この突起を衝角(しょうかく)という。
Wikipedia「衝角」

やがて大砲が出現し、これを使った撃ち合いが海戦の主流になっていくにつれ、衝角はいつしか時代の彼方に消え去ってしまった。しかしこの衝角、19世紀に入って一回「復活した」時があったのである。軍艦に蒸気機関が導入され、さらに軍艦の表面に鉄板を張り巡らせた装甲艦が出現し始めたころであった。特に衝角の存在を有名にしたのは普墺戦争中にオーストリアとイタリアの間で戦われたリッサ沖海戦である。
Wikipedia「リッサ海戦」
この海戦の最中に、オーストリア艦隊の旗艦「フェルディナンド・マックス」はイタリア艦隊の装甲艦「レ・ディッタリア」に衝角を使った体当たり攻撃を行いこれを撃沈した。海戦もオーストリア海軍の勝利に終わり、衝角攻撃はこれに伴って一気に有名になった。列強の主力艦のほとんどに衝角が装備されるようになったのである。あの日本海軍の「三笠」も例外でなく、艦首には衝角を装備していた。
横須賀その11

しかし、リッサ沖海戦での勝利をよくよく見てみると、いくつかの条件が重なっていたことがわかる。1)イタリア艦隊は戦闘直前になって旗艦を変更したため指揮が混乱していた。戦闘中も艦隊に統一の取れた運動ができず、バラバラに動いていた。2)装甲艦のスピードは当時それほど早くなかった。「フェルディナンド・マックス」も最高速度は12.5ノット(時速23.15km)、イタリア艦隊も同程度の速度であり、体当たりしに行ってもかわされなかった。3)軍艦に積まれた大砲の威力はさほどでなく、当たっても敵艦の装甲を貫通できないことが良くあった。なので衝角で勝負をつけるのが最も確実ということになった--などの条件がそろっていた。これらの条件のうち1つでも欠けていたら、「フェルディナンド・マックス」は敵艦を撃沈できなかったであろう。その後軍艦は次第に高速になり、大砲も強化されていく。しかしこういった条件は無視され、その後もしばらく衝角は軍艦の標準装備であり続けた。

その約30年後に発生した日清戦争の黄海海戦ですべては否定された。日本艦隊には高速艦が多く、特に第一遊撃隊は旗艦「吉野」の最高速度22.5ノット(時速41.67km)をはじめとして全艦が18ノット(時速33.34km)以上を発揮できる高速艦隊であった(清国艦隊の旗艦「定遠」の最高速度は14.5ノット)。日本艦隊はこれを一列縦隊にして高速で走り回らせつつ速射砲を打ちまくる戦術を採用し、衝角をぶつけようとする清国艦隊を翻弄して勝利したのである。
Wikipedia「黄海海戦(日清戦争)」
その後も軍艦の高速化、艦砲の威力の強化の流れは続き、衝角が有効となる時代はもう2度と来なかった。むしろ味方艦同士の衝突事故が発生したときに衝角があると味方の軍艦を沈めてしまうことが多く(上記の「吉野」も最後はこれで沈没している)、次第に装備されなくなっていった。

現在においても、一回「上手くいった」ことから正しい戦訓を導き出すのは存外に難しい。なまじ成功例であるだけに、そこから何かを変更するのは逆に勇気がいるのである。「成功したのにそれを変更し、結果上手く行かなかった」日には何を言われるか分かったものではない。それは全くその通りなのであるが--ただその「成功」の前提条件は何だったのか、その前提条件は今現在も変わらず続いているのか、これは少し立ち止まって考えてみる価値がある。「プランB」というか、前と同じ戦術を取って上手く行かなかった場合の対応策は、常に頭に浮かべておくべきである。
巨人13連敗


スマホ時代

2019-02-02 01:24:08 | 考えてみたこと
スマホが生活の場に入り込んで等しい。まさに新技術で、スマホを使いこなせる世代と使いこなせない世代では、行動パターンからして全然異なる。そしてこの技術の進歩は、早くなることはあっても遅くなったり、ましてや後戻りすることなど絶対にないであろう。時代はそちらに向かっているのである。
スマホの使用法
そうなると、この新技術をどうやって組織の運営に取り入れていくか、これは重大な問題になりうる。小さくともよい。スマホ端末がどれほど些細なことでも良いから、組織運営にプラスになるように工夫をしなくてはならない。そういうことができるかどうかが次の時代に差となっていくのだろうから。
未来予測
新技術とモルトケと
進歩

2019-01-26 23:59:20 | 考えてみたこと
かなり久しぶりに会った人と話をした。いろいろと転職を繰り返して来られた方である。会話したことを適当に。

1)その方が最後に転職をしてからまだ会っていなかった。メールでのやり取りしかしていなかったので当然本音は書かれない。直接会えたので最後の転職の理由を聞いてみた。職場への不満、先行きへの不安と言ったものも上位にはあったそうであるが、一つあったのが「自分の残りの働ける年齢と給与の推移」であった。これは確かにかなり重大な要素である。
2)職場にあった不満について。職場での不満があった時「訴えてもそれが全く解決される気配がない」というのは職員が辞める重大な要因となる。たとえ少しでもいいから解決に向かって前進していれば、多少はブレーキになる。しかし全く解決されないとなると、これは少し状況が違う。
3)現在の職場のリーダーは「やり手」なのだという。しかしそのリーダーも色々聞くと、若いころは仕事が上手くいかずに試行錯誤されていたとのこと。若いころからずっと「やり手」であった人というのはあまりなく、散々苦労して、自分なりに「こういう時にはこうやって解決していく」というのを掴んだ人間が「やり手」なのである。これはどんな職業でもそうであろう。

人との話はどんな人との話でも得るところが多い。こういう機会があるのはありがたいことである。
nothing is perfect
中間管理職

良くなる・悪くなる

2019-01-03 23:39:40 | 考えてみたこと
かつて「組織には『ずっと今までと同じ、現状維持が継続する』ということはなく、『だんだん良くなる』か『だんだん悪くなる』のどちらかである」と書いた。元々は自分で考えたことではなく、上司に言われた言葉である。
会食2018その36

そしてこれは組織に限らず、人間の人生そのものについても言えるのではないか--というのが思ったこと。かつて首相をつとめた小泉純一郎氏は「人生には3つの『坂』がある。『登り坂』『下り坂』そして『まさか』である」と言ったのであるが、よく見ると小泉氏が示した選択肢に「去年と同じ、平坦な道」というものはない。人生においてそんな道は存在しない、ということを小泉氏も言外に示していたのではあるまいかと思った。
Wikipedia「小泉純一郎」

人間の身体というのは有限な資源である。これは特に昨年ごろから強く自覚するところである。体力も視力も落ち、放っておけば何もしなくても下り坂に向かっていく年代に入って来たのである。かつてのような体力任せ、力任せの仕事から、徐々に「何か違った仕事の仕方」をして行かなくてはならない。これはつまり何か新しいチャレンジをする、新しい山に登っていくということである。大変であるが、それができてこそ初めて「登り坂に向かう人生」となり得るのである。

今年が良い年でありますように。健康を保ったまま、新しいチャレンジに向かう気力を維持できますように。
読者の皆様にも素晴らしい一年であることをお祈りしております。本年も宜しくお願い致します。

偉くなってから

2018-11-25 23:40:22 | 考えてみたこと
「何か組織内で変えたいことがあるなら、まず自分が出世して偉くなってからやれ」。意外に耳にすることが多いセリフではあるまいか。言われると確かに「そうかな」とは思ってしまう。組織内で出世して認められてから初めて改革の意見は言えるのであって、青二才が大風呂敷を広げても誰も耳を傾けようとは思わない--確かにそうかも知れない。
自分もそう思って努力を重ねて来たつもりだし、その結果として多少は「中間管理職」的な立場まで上がっては来た。ただその上で考え直してみると、上記の意見は「半分賛成で、半分反対」と言ったところである。
中間管理職

1)半分賛成する理由は。
時折「やたらと口だけ達者で、自分の手を動かすのは大嫌い」という人物がいる。一見すると弁舌さわやかでもっともらしい事を言うが、自分では絶対に動かない。こういう人物の意見は危険である。大体ポジショントークというか、「こうなったら自分が一番得をする」という事しか考えておらぬ。またこういう人物に限ってやたらと口だけは上手くて論争には強い。
また、経営の数字や組織全体の置かれた状況に「まったく無関心」な人物というのもおり、こういう人物に責任ある意見を期待するのはそもそも無理である。当の本人は「職人」を自負していたりするのであるが、どう考えても経営に寄与しない仕事の「職人」でいられても困ってしまう。
上記2種類の人物の意見については、むしろ「あまり耳を傾けない方が安全」であろう。こうなると出世というフィルターを一回かけた方が得策と思われる。

2)半分反対な理由は。
偉くなった人間ほど現場から離れていく。現場の「感覚」から離れていくのである。プレーイングマネージャーというのが理想だろうが、プレイ―イングマネージャーというのは冗談抜きに本当に大変である。現場仕事のストレスと管理の仕事のストレスが同時にかかるので、頭の中がパニックになりそうになる。何より現場仕事が繁忙期に入ると、マネージャーの方の仕事はしばしばおろそかになってしまう。結果的に、管理職が現場仕事からある程度離れてしまうことは避けられない。
また、偉くなるには絶対に「上の人間からの引き」が必要である。それが無ければ偉くなることはできない。必然的に上の人間とあまりに違う意見の持ち主は偉くなることは出来ぬ。従って、偉くなるために自分の意見を替える、という事態がしばしば出現する。「あの人は偉くなる前と偉くなった後で、全然言う事が違う」という訳だ。しかもそういう人物に限って、偉くなった後は部下に対してきわめて強権的・高圧的に振る舞い始めるのが常である。自分が偉くなるために上の人間にヘーコラして全てを犠牲にして来たのであるから、同じことを下に対して要求するのは当然の流れであろう。こうなると下の人間は地獄である。
何より、このケースで問題なのは、「現時点で組織が抱えている問題が全く解決されなくなる」ということである。上の人間と100%同じ意見になったのであるから、現在組織内に存在する問題が解決に向かわなくなるのは道理である。

となるとどうしたら良いか。一番の理想は「偉くなった人間が、偉くなったあとも下の意見に良く耳を傾け続けること」であろう。中々そういう人間はいないのだが。。
それでも上手く行っている組織の話を聞くと、定期的に組織の幹部と末端の人間とが話し合いの機会を持ち、しかもその話し合いの結果が現場に生かされていたりもする。こういう部分は見習っていくべきだと思われる。(組織の幹部というのはもの凄く忙しいはずなのに、そういう機会をちゃんと作っているのである!)
考えてみるとスウェーデン時代の上司も、忙しい中週に一回は時間を作って自分と話し合いの機会を持ってくれていた。そういう点は自分も見習って行かなくては、と思う。
新年度

損害のあとで

2018-11-17 23:52:47 | 考えてみたこと
戦史を紐解くと「名将」と呼ばれる将軍は必ずしも勝ち戦ばかりで戦功を挙げた人物ばかりではない。味方が大損害を受けたあとに軍隊を立て直し、軍隊としての統制を保った状態で戦線を維持・または後退する、可能なら反撃して相手の追撃を鈍らせる。これは古来から最も難易度の高い戦闘とされる。第二次世界大戦ではスターリングラード攻防戦での大敗北の後、圧倒的不利の状況で逆転勝利を収めたドイツ軍のマンシュタイン元帥、日本軍ではインパール作戦の惨敗の後で兵を見捨てず、統制のとれた後退を指揮した宮崎繁三郎将軍などが知られている。
Wikipedia「第三次ハリコフ攻防戦」
Wikipedia「宮崎繁三郎」
損害を受けた後は1)戦線に空いた「穴」を把握する、2)そこを埋める作戦を考える、3)他の戦線での戦闘を行いながらその穴を埋める作戦を実行する、4)それをしながら「それが終わった次」にはさらにどう反撃するかを計画する--というステップが必要になる訳で、これはかなり大変である。
ただ、大変だ大変だと騒いでいても始まらぬ。それに、歴史上これだけ大変な状況でも何とか成功させた人がいるわけで、彼らの状況と自分が置かれた状況は比較にもならない。まあ、何とかなるさ。
現在の仕事と未来の仕事と

ミレニアル世代

2018-11-11 23:58:53 | 考えてみたこと
20歳台の若手同僚から「自分達の世代は『ミレニアル世代』っていうらしいですよ」と言われた。調べて行くと、米国で生まれた言葉らしく、2000年前後に成人を迎えた人達、ということらしい。大体において日本の「ゆとり世代」と年代的には重なっている印象である。

ネット検索をかけると、この世代の特徴というのも色々あるらしい。まず、インターネットの子供の時から親しんでおり、検索を本よりもスマホなどに頼る傾向にあること。またSNSを介した人付き合いに熱心で、職場の旧態依然としたしきたりには否定的なこと。ワークライフバランスを重視する--などなど。
もちろん世代の特徴を全員に無条件に適応するのは危険である。ただ彼らの世代が全体として何等かの特徴を有しているのなら、組織運営、人のリクルートなどにはこれらの特徴を踏まえた作戦が何かしら必要なのではないか、とも思う。
ゆとり世代雑感

手を動かして

2018-09-26 00:09:17 | 考えてみたこと
昔読んだ話。2人の人A・Bさんがおり、日常に流されながら毎日を送っていた。ある日Aさんは「このまま流されるだけの人生では駄目だ。自分は何か新しいことにチャレンジしよう」と決意した。Bさんはそんなことは考えもせず、そのまま。さて、数年が経ってAさんとBさんの人生にどのくらいの差が生まれたか?

--答えは「何一つ差は生まれなかった」である。Aさんは「決意を固めた」のであって「何かを行動に移した」のではなかった。決意を固めたところで何も変わりはしないのである。もし人生に差がついていく瞬間があるとしたら、Aさんが「その決意に基づいて、日々の習慣を変えた」ときのみである。習慣を変え、一日24時間の使い方を変える。この瞬間から人生が少しずつ違う方角に進み始める。習慣が、手を動かすことがあなたの人生を変えていく。一日のほんのちょっとした時間でもいいから何かに使って行けば、そのうち何かに辿り着ける日が来るかもしれない。
千里の道も

中間管理職

2018-09-25 00:12:55 | 考えてみたこと
何時の間にか中間管理職と呼ばれる仕事をするようになった。下からの意見を吸い上げて上層部に報告し、現場の改善をはかる、という事が増えて来ている。そして何となく分かるのは「上層部は上層部で自分の仕事があり、必ずしも現場現場したことは知らないし、それをするのが仕事でもない。パイプ役は自分達の仕事である」ということ。全てを知っている神様のような能力の持ち主はいないのだから、当然の流れなのであろう。ただ中間管理職の仕事がキチンと行われていないと、次第に組織内に「ホコリ」のごとく問題が蓄積して行ってしまう事も何となく理解は出来る。部屋にホコリが溜まって死ぬことはないし、すぐに生活に差し障ることも起きない。しかし長期間放置すれば、住んでいる人の健康を害し、生活の効率を落とす。何よりも「その部屋に住みたい」と思う人間がだんだんいなくなってしまう。
しかしながら、では「どうやってホコリを除去して良くしていくか」となると、これは「模範解答のない問題」である。たぶん100人の人間がいたら100通りの解決法を考え付くであろう。そしてどの解決法も一長一短であろう--最後は結局、自分の感性を信じるよりほかなくなる。難しい問題である。
時代を超えて
答えのない

基準

2018-09-22 02:38:45 | 考えてみたこと
採用するにあたって、あまりに変な人はたとえ人手不足であっても避けるべき、と書いたが、
Noと
かと言って完全無欠な人がそうそう転がっている訳でもない。こうなると「採用すべき人」と「やめておいた方がいい人」というのは、いったいどこで線を引いたものか。大体当の自分達だって、そうそう人の事を言えるほどご立派な人間でもない。
考えると、結局は「周囲を思いやれるかどうか」ではなかろうか、という気がする。仕事でもプライベートでも、自分がやりたいことがあるならそれを追求するのは構わない。ただ周囲の状況を見渡したとき、果たしてそれを追求するのが妥当かどうか。「自分のやりたいこと」が「周囲の状況」に圧倒的に優先する、という人は結局、どれほど有能な人であっても最後はトラブルを引き起こす。周囲の状況を観察し、ある程度は自分を抑えて周囲のニーズに合わせてくれる人、というのが採用する1つの基準ではあるだろう。そういう人がこれまた少ないのであるが。