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スウェーデン生活+その後

2010-2013年スウェーデンに在住し帰国。雑記、鳥・植物の写真
*海外情報はその当時のもの。
*禁無断転載

新しいことに

2019-07-13 23:58:19 | 考えてみたこと
30年以上事業を継続している方から頂いた一言。

―30年もあれば事業の周囲の状況はどんどん変わっていく。最初に『稼ぎ頭』だった事業に固執すると、いずれは必ず衰退の道を辿っていくことになる。自分はこの30年間、新しいものがあればどんどん取り入れて事業を進歩させてきた。「最初に『得意分野』としていたもの」と「今現在、主力事業としているもの」は全然違ってしまった。ただおかげで事業はずっと順調で来れた。ほぼ右肩上がりに収益を上げてこられた。まあ、最近は流石に自分もいい歳なので「どんどん右肩上がり」とはいかないが、少なくとも例年と同じ、横ばいくらいの収益は上げられている。新しいものにチャレンジすることはかように大事なのである。

確かに。考えてみれば任天堂は最初は花札を作る会社であったし、カネボウは紡績会社であった。いずれも時代の変化に合わせて進歩し、新しいものにチャレンジし続けて道を切り開いていったのである。自分も頑張らねば。
Wikipedia「任天堂」
Wikipedia「カネボウ化粧品」

危機その2

2019-06-19 00:22:10 | 考えてみたこと
先日の「危機」で書いた文章を見直してみて。
危機
見返すとピンチに陥ってちょっと気負ったような文章になっていた感がある。あくまでリラックスして余裕をもっていくのが好ましかろう。先の「わたくしが旅から学んだこと」から、兼高かおるさんの言葉を抜粋。

-「これしかない」。わたしはこの言葉が好きではありません。断定的でいかにも強そうですが、このような発想は考えの幅が狭く、いざという時に臨機応変に対応できない上に、自分の可能性をとことん試そうとしていないのです。

まさしくその通り。 イザヤ・ベンダサンの「日本人とユダヤ人」に「どんな珍案・奇案でも良いから対策を全部書き出し、一つ一つ真剣に議論して決める」という一節があったが、ピンチに陥った時の対応はこのようなやり方こそが好ましかろう。可能性をとことん試して、楽しみながらピンチを乗り切る、くらいの気構えが欲しいものである。
わたくしが旅から学んだこと

身近な人ほど

2019-06-01 00:29:11 | 考えてみたこと
一時期「成田離婚」という言葉がはやった。新婚旅行で海外旅行に行ったとき、結婚した相手があまりに頼りにならないのに愛想をつかし、成田空港で離婚してしまうということである。これに限らず、家族や友人と旅行に行くと、旅行先で思いもよらぬ一面が見えたりするのはよく聞く話。
Wikipedia「成田離婚」
案外に「身近にいる人のことほど、本当の姿を知らない」ということはある気がする。まず身近にいる人ほど『慣れ』が生じる。どうせこの人はこういう人だ、と思い込んでしまう。ルーチンの流れに飲み込まれて相手をよく観察する機会を失ってしまうのである。また、職場でも家庭でも長く接して暮らしていると「その人の周囲にいる人たち」もまた同じ人間がそろってしまう。そうなるとその人達が彼を観察するポイントもいつも同じで、新しい観点からの意見が出てこようはずがない。

そんな時、「まったく未知の第三者」が彼を観察した意見を述べると、間違いなくこれは新鮮な意見となる。時には人間、こういう経験が必要である。あなたの身近にいる人物が、未知の人物にはどんな人物に見えているのか、あるいは未知の状況にどう対応していくのか。時には考えてみると良いだろう。

少しでも先に

2019-05-22 01:00:59 | 考えてみたこと
自分は小学生のとき、習い事に電車で通っていた。ある日雪が降りダイヤが大幅に乱れた。電車はパラパラと出発していくが「〇〇駅(目的地より手前の駅)までで折り返し運転」などという表示が出ており、なかなか目的地にたどりつけそうもない。親に電話で聞くと、返ってきた答えは「とにかく一駅でも目的地に近い駅に進みなさい。来た電車に乗って少しでも前に進んでおきなさい」という答え。言われた通りちょっとずつ前に進んでみると、確かにその通り。除雪が進むにつれてだんだんに電車が通るようになる。ただそれと共に電車の混雑も酷くなり、「少しでも先に行っておいた方が」混雑を避けて辿り着けたのである。

で、これは今現在の状況でもそうかも知れない、と思う次第。先は相変わらず見えない。でも「一駅でも先に」行っておいた方がたぶん後で楽になるのだろう。確証がある訳ではないが、この職場で過ごした数年の経験からすると、おそらくはそうなると思われる。頑張ろう。
会食2018その39
不安なら

悪い人と

2019-05-18 03:09:02 | 考えてみたこと
若いころ大変な職場--今でいう「ブラック企業」であろうか--に所属して、苦労された方の話を聞いた。その方の語り口調が飄々としていることもあって、実に面白い。もっとも「今、他人事として聞いている分には面白いが、その時は大変だったのだろう」という状況である。自分もまた類似の体験はある。
今では「ブラック企業」という言葉もすっかり定着し、変な職場は淘汰される時代になった。もちろん素晴らしいことである。SNSなどを通じて情報がすぐに拡散し、職場でパワハラまがいの行動があれば噂になり人が集まらなくなる。抑止の効果が働くようになったわけである。
しかしである。若い人を見ているといささか「過剰に」良い職場を求めすぎ、という感もこれまた無きにきしも非ず。「完璧に」良い職場などある訳がない。それに「良くない職場」を見て、学ぶことだってそれなりにあるのである。負け惜しみではないのだが。
どんな人であろうと「完璧に」良い職場だけを渡り歩いて一生を終えることなど、出来ようはずもない。今いる職場が傾いて、どんどん悪くなる時だって人生には必ず来るはずで、そうなった時あまりに「理想的な職場しか見たことがない」人というのは、今度は「困った時の引き出しがない」ということになる。良くない職場で頑張った経験というのも、それなりに役に立つときはあるのである。
三浦綾子の「愛の鬼才:西村久蔵の歩んだ道」だったと思うが、久蔵の母親が「良い人だけが自分たちを育ててくれる訳ではありません。悪い人だって、自分たちを成長させてくれるのです」というようなことを言っていたと思う。これもまた真理である。
知人と

嫌われる人

2019-05-09 23:50:16 | 考えてみたこと
ちょっとした事件があった。詳細は伏せるが、結局のところ「嫌われる人、陰口を叩かれる人」というのは同時に「実力がある人、実行力がある人」である。
頑張っていれば必然的に自分を嫌いになる人というのは一定の率で出てきてしまうのである。自分に非があるなら反省すれば良いし、逆に相手の方に非があるなら、「そんな奴らに嫌われるならむしろ光栄だ」くらいに思っていれば良かろう。あのスウェーデン時代の上司でさえ、「自分も組織の中で沢山批判されている」と自分で言っていたのである。そして一番大事なのは自分の健康と実力を保つこと、嫌われることを気に病んで自分を傷つけては元も子もない。Take it easyである。
再会

新年度を迎えて

2019-05-02 02:03:36 | 考えてみたこと
新年度になってから1か月が過ぎた。こちらから見ていると上手く行っているようにも見えるが、果たして彼らはどう感じているのだろうか。こればかりは聞いてみないと分からない。こちらからは「うん、うまく組織を回せている!」と思っていても、彼らから見たら全然そうは見えていないことだって十分あり得る。暗中模索である。ただはっきりしているのは「一方通行ではなく、双方からの意見を合わせて組織を作っていく」のが大事ということ。両方からの視点があれば、少なくとも「大きく外れた」ことにはならないだろう。彼らの意見を吸い上げる機会を作らねば。
暗闇の中を

種芋

2019-04-03 00:25:40 | 考えてみたこと
組織の目標は二つ、成果をあげることと人材を育成することである――と喝破したのがドラッガーであったが、目先が苦しくなった組織は最初に「育成」を放棄してしまう。そして人材を使いつぶしてしまい、せっかく得た人材もどこかに行ってしまう。「飢えに苛まれた農民が来年植える予定の種芋を食べてしまう」がごとくである。お腹がすいても種芋は何とか残さなくてはならない。もちろんそこまでして育てた種芋だって、植えてみたら全部が育つわけではない。枯れてしまう芋だってあるだろう。でも「種芋を残して、次の年に植える」というサイクルをやめたら、農業そのものを放棄しているのとたいして変わらぬ。何とか頑張らなければならない。
目標
若い人と

3人用砲塔のこと

2019-03-17 23:57:52 | 考えてみたこと
今年は自分の職場はとにかく人員不足に苦しんだ。人員が足りなくなると、「一人の人間に何役も兼用させる」ことが常態化する。この仕事も、この仕事も同時並行してやる、となる訳で、特に中間管理職の立場になると一体、一人で何役を併任しているのか自分でもわからなくなる。この方式は良いこともあったが、良いことばかりであったかと言うと正直微妙なところ。結局大きな観点で見れば仕事の能率を落としているだけ、というのが正直な感想である。これで思ったのがこちら。

第二次世界大戦前、戦車の砲塔には多くて2名、場合によっては1名の乗組員が入っているのが普通であった。2名の場合は車長兼砲手と装填手、1名の場合は車長兼砲手兼装填手である。要するに車長は戦車全体の指揮をとりながら、砲塔にある大砲の狙いをつけて撃つ仕事もこなさなくてはならなかったのだ。ただ当時の戦車の大きさ(15-20トン前後)、エンジンの馬力、砲塔の大きさなどからすると、これ以上大きな砲塔を載せて乗組員の数を増やすのは得策でないと思われていた。

この中で最新の設計を行ったのがドイツ軍のⅢ号戦車である。20トン前後の車体ながら、当時としては大型の砲塔を据え、3人の乗組員を配置したのである。車長、砲手、装填手で、車長と砲手を分離したのが当時としては画期的であった。また車長が周囲の状況を見るための視察用の窓(キューポラという)も完備させたうえ、無線通信機を全戦車に装備し、リアルタイムで戦車部隊が連携をとれるようにした。スペイン内戦での戦訓を取り入れたものであった。Ⅲ号戦車以降も3人用砲塔はドイツ軍戦車の伝統となる。
Wikipedia「Ⅲ号戦車」

第二次世界大戦がはじまると、果たしてこの装備は大きくドイツ軍の勝利に貢献することになる。大戦初期、西部戦線での戦車戦で相手となったのはフランス軍の戦車であったが、フランス軍は多くの場合、戦車の砲塔には1名しか乗組員を配置していなかった。車長と砲手と装填手を兼任させており、こうなると車長が戦車砲に狙いをつけて発射、そして発射し終わって空薬莢を取り出して捨て、次の弾をラックから取り出して装填するまでの長い間、乗組員の誰も戦車の外側の状況を観察していないことになる。またこれだけ多忙な車長に他の戦車と連絡をつけるのはほとんど不可能であり、無線通信機の不備もあいまって、ほとんどのフランス戦車は連携の取れない状態でバラバラに戦うことになった。ドイツ戦車は互いに連絡を取り合い、1台の戦車が囮になる間に他の戦車が敵戦車の後方に回りこむなど、集団での戦闘法を駆使した。また砲手と装填手を分けて分業しているので効率が良く、砲の発射速度でも上回ることができた。フランス軍にはドイツ軍の戦車とカタログデータ的には大きく変わらない、あるいは優位にあった戦車もあったのに、それを生かすことなく敗退してしまったのである。フランスは開戦から間もなくドイツ軍に降伏する憂き目にあう。
Wikipedia「ソミュアS35」
Wikipedia「ルノーB1」

一人の人間があれもこれも兼任してすべてを片付けるのは美談ではある。「これだけ一生懸命に働きました!」という言い訳にもなる。だがやはり「何かに時間を使えば、その分の時間はどこかから消えていく」。組織全体として見た時、長い目で見てどういう働き方が効率的なのか、これは良く考えた方が良い。それにイノベーションが生まれるためには、ある程度時間の余裕というか、一つの仕事を前にしてじっくり知恵を巡らす時間が必要である。分割できる業務は切り分けて2人、3人で分担した方がよいし、その方が効率も良くなるであろう――もちろん可能なら、であるが。
時間は作るもの?

紙一重

2019-03-13 01:42:07 | 考えてみたこと
「卓球の試合で、放ったスマッシュが最後相手側のテーブルに乗るか、わずかの差でアウトするかは一見するとちょっとの差、幸運か不運かの差のように見える。しかし実際はその差はそれまでに両選手が積み上げてきた努力の差であって、決して偶然などではない」という言葉を聞いたことがある。ナポレオンにも「天は最強の軍隊に味方する」という言葉があり、だいたい同じことを言っていると思って良いだろう。
こちらは確かにその通りで、本当にわずかの差であっても「通るか、落ちたか」は案外と偶然ではなかったりもする。また通らなかったとしても嘆く必要などはなく、実際浪人や不遇の生活を経たあとに大人物となった例はいくらでもある。通ったと言っておごらず、落ちたと言って嘆かず。どちらもコツコツ努力し続けるのが正しい。そんなものであろう。
会食2018その39