「何か組織内で変えたいことがあるなら、まず自分が出世して偉くなってからやれ」。意外に耳にすることが多いセリフではあるまいか。言われると確かに「そうかな」とは思ってしまう。組織内で出世して認められてから初めて改革の意見は言えるのであって、青二才が大風呂敷を広げても誰も耳を傾けようとは思わない--確かにそうかも知れない。
自分もそう思って努力を重ねて来たつもりだし、その結果として多少は「中間管理職」的な立場まで上がっては来た。ただその上で考え直してみると、上記の意見は「半分賛成で、半分反対」と言ったところである。
中間管理職
1)半分賛成する理由は。
時折「やたらと口だけ達者で、自分の手を動かすのは大嫌い」という人物がいる。一見すると弁舌さわやかでもっともらしい事を言うが、自分では絶対に動かない。こういう人物の意見は危険である。大体ポジショントークというか、「こうなったら自分が一番得をする」という事しか考えておらぬ。またこういう人物に限ってやたらと口だけは上手くて論争には強い。
また、経営の数字や組織全体の置かれた状況に「まったく無関心」な人物というのもおり、こういう人物に責任ある意見を期待するのはそもそも無理である。当の本人は「職人」を自負していたりするのであるが、どう考えても経営に寄与しない仕事の「職人」でいられても困ってしまう。
上記2種類の人物の意見については、むしろ「あまり耳を傾けない方が安全」であろう。こうなると出世というフィルターを一回かけた方が得策と思われる。
2)半分反対な理由は。
偉くなった人間ほど現場から離れていく。現場の「感覚」から離れていくのである。プレーイングマネージャーというのが理想だろうが、プレイ―イングマネージャーというのは冗談抜きに本当に大変である。現場仕事のストレスと管理の仕事のストレスが同時にかかるので、頭の中がパニックになりそうになる。何より現場仕事が繁忙期に入ると、マネージャーの方の仕事はしばしばおろそかになってしまう。結果的に、管理職が現場仕事からある程度離れてしまうことは避けられない。
また、偉くなるには絶対に「上の人間からの引き」が必要である。それが無ければ偉くなることはできない。必然的に上の人間とあまりに違う意見の持ち主は偉くなることは出来ぬ。従って、偉くなるために自分の意見を替える、という事態がしばしば出現する。「あの人は偉くなる前と偉くなった後で、全然言う事が違う」という訳だ。しかもそういう人物に限って、偉くなった後は部下に対してきわめて強権的・高圧的に振る舞い始めるのが常である。自分が偉くなるために上の人間にヘーコラして全てを犠牲にして来たのであるから、同じことを下に対して要求するのは当然の流れであろう。こうなると下の人間は地獄である。
何より、このケースで問題なのは、「現時点で組織が抱えている問題が全く解決されなくなる」ということである。上の人間と100%同じ意見になったのであるから、現在組織内に存在する問題が解決に向かわなくなるのは道理である。
となるとどうしたら良いか。一番の理想は「偉くなった人間が、偉くなったあとも下の意見に良く耳を傾け続けること」であろう。中々そういう人間はいないのだが。。
それでも上手く行っている組織の話を聞くと、定期的に組織の幹部と末端の人間とが話し合いの機会を持ち、しかもその話し合いの結果が現場に生かされていたりもする。こういう部分は見習っていくべきだと思われる。(組織の幹部というのはもの凄く忙しいはずなのに、そういう機会をちゃんと作っているのである!)
考えてみるとスウェーデン時代の上司も、忙しい中週に一回は時間を作って自分と話し合いの機会を持ってくれていた。そういう点は自分も見習って行かなくては、と思う。
新年度
自分もそう思って努力を重ねて来たつもりだし、その結果として多少は「中間管理職」的な立場まで上がっては来た。ただその上で考え直してみると、上記の意見は「半分賛成で、半分反対」と言ったところである。
中間管理職
1)半分賛成する理由は。
時折「やたらと口だけ達者で、自分の手を動かすのは大嫌い」という人物がいる。一見すると弁舌さわやかでもっともらしい事を言うが、自分では絶対に動かない。こういう人物の意見は危険である。大体ポジショントークというか、「こうなったら自分が一番得をする」という事しか考えておらぬ。またこういう人物に限ってやたらと口だけは上手くて論争には強い。
また、経営の数字や組織全体の置かれた状況に「まったく無関心」な人物というのもおり、こういう人物に責任ある意見を期待するのはそもそも無理である。当の本人は「職人」を自負していたりするのであるが、どう考えても経営に寄与しない仕事の「職人」でいられても困ってしまう。
上記2種類の人物の意見については、むしろ「あまり耳を傾けない方が安全」であろう。こうなると出世というフィルターを一回かけた方が得策と思われる。
2)半分反対な理由は。
偉くなった人間ほど現場から離れていく。現場の「感覚」から離れていくのである。プレーイングマネージャーというのが理想だろうが、プレイ―イングマネージャーというのは冗談抜きに本当に大変である。現場仕事のストレスと管理の仕事のストレスが同時にかかるので、頭の中がパニックになりそうになる。何より現場仕事が繁忙期に入ると、マネージャーの方の仕事はしばしばおろそかになってしまう。結果的に、管理職が現場仕事からある程度離れてしまうことは避けられない。
また、偉くなるには絶対に「上の人間からの引き」が必要である。それが無ければ偉くなることはできない。必然的に上の人間とあまりに違う意見の持ち主は偉くなることは出来ぬ。従って、偉くなるために自分の意見を替える、という事態がしばしば出現する。「あの人は偉くなる前と偉くなった後で、全然言う事が違う」という訳だ。しかもそういう人物に限って、偉くなった後は部下に対してきわめて強権的・高圧的に振る舞い始めるのが常である。自分が偉くなるために上の人間にヘーコラして全てを犠牲にして来たのであるから、同じことを下に対して要求するのは当然の流れであろう。こうなると下の人間は地獄である。
何より、このケースで問題なのは、「現時点で組織が抱えている問題が全く解決されなくなる」ということである。上の人間と100%同じ意見になったのであるから、現在組織内に存在する問題が解決に向かわなくなるのは道理である。
となるとどうしたら良いか。一番の理想は「偉くなった人間が、偉くなったあとも下の意見に良く耳を傾け続けること」であろう。中々そういう人間はいないのだが。。
それでも上手く行っている組織の話を聞くと、定期的に組織の幹部と末端の人間とが話し合いの機会を持ち、しかもその話し合いの結果が現場に生かされていたりもする。こういう部分は見習っていくべきだと思われる。(組織の幹部というのはもの凄く忙しいはずなのに、そういう機会をちゃんと作っているのである!)
考えてみるとスウェーデン時代の上司も、忙しい中週に一回は時間を作って自分と話し合いの機会を持ってくれていた。そういう点は自分も見習って行かなくては、と思う。
新年度