「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

佐賀県唐津市 / 唐津くんち 「 六番曳山 ・ 鳳凰丸 」

2014-11-27 04:50:41 | 日記 ・ イベント



29年ぶりにお色直しをした 「 鳳凰丸 」



















塗り替えを終えた唐津くんち ( 国重要無形民俗文化財 ) の
六番曳山「 鳳凰丸 ( ほうおうまる ) 」 ( 大石町 )が
12日、唐津市中心部をお披露目巡行した。
完成を待ちわびた曳(ひ)き子が町を練り、
「 エンヤ、エンヤ 」 の掛け声と曳山囃子 ( ばやし ) を響かせた。

塗り替えは29年ぶりで、 「 鳳凰丸 」 が完成した1846 ( 弘化3 ) 年以降7回目となる。
今回は明治期の 「 唐津神祭行列図 」 を参考に、製作当時の姿に近づけた。
胸元や羽は藍色に塗り、漆を塗り重ねて厚くなっていたまぶたを薄く削って鋭い表情になった。
修復費用は約5千万円。国、県、市と地元の大石町が負担した。
また、その完成を祝い、お旅所で餅まきが行われたという。

大石町の 「 鳳凰丸 」 と、江川町の 「 七宝丸 」 は、
古代貴族が船遊びに使った鳳凰と龍の頭を持つ優雅な御座船を模してつくられている。
江川町の曳山の製作にあたった大工の棟梁と
唐津藩絵師がたまたま大石町在住だったため、
「 われわれの町の曳山と対になる立派な曳山をつくろう 」 ということで、
「 鳳凰丸 」 の登場から30年後の明治9年に 「 七宝丸 」 が完成。
晴れて”兄弟船“の誕生となった。


大石町の鳳凰丸は、1846年(弘化3)に1,750両をかけて製作された。

前年に製作された魚屋町の海の幸に対して、山の幸として鳳凰をと考えたのは当然であろう。
鳳凰を造るにあたっては、道路を曳き回る時の障害などを考えると
多大な杞憂があつたであろうが、あえて京都祇園祭の船鉾を模して造られたようだ。
船の首部に鳳凰を型どったものを造り、それを胴体と結合して御座船を造ったのであろう。
この曳山は他の曳山と違ってほとんどが木組みを中心として、
それに紙を張り一閑張りで仕上げたものである。

当初は船体もまだ長く、重くもあって浦浜の砂地には行けず、
入口あたりに据えたままであった。
近郊からの参詣人はヤマを明神様と思い込んで、賽銭をあげて拝んでいたと言う。
その後、架線の支柱が立てられるようになり、
運行時の困難を軽減するため現在のながさになった。
高さが全体のバランスから見ると低いように感じられるが、
当初、大手門を通過する時の関係上、低くしたのであろうと思われる。  

この鳳凰丸も材木町の亀と浦島太郎と同様に、二本の心棒で支えられている。
曳山の幅は2.5㍍、高さ約4.4㍍。重さは推定で4㌧ほどあるという。
この曳山は長さも、重さも一番あるので鳳凰丸だけに、前カジが備えつけられている。
昭和53年10月に、商工会議所百周年記念全国郷土祭、日本橋京橋祭に出動し、
また平成2年5月、博多どんたくでも好評を博した。
最近の総塗替えは、昭和60年、昭和36年、昭和7年に行われている。

[参考・転載:唐津くんち「ガイドブック」(1991)] 



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