



「 志賀の山いたくな伐りそ荒雄らが
よすがの山と見つつ偲はむ 」 (巻16・3862)
この歌碑は、志賀島の北端国民休暇村の南側に広がる
玄界灘を望む丘の上に建てられている。
奈良時代に、大宰府が対馬に食料を送る船の舵取りとなった
宗形部津麻呂に代わって出航し、
途中の暴風雨により帰らぬ人となった志賀の荒雄にまつわる歌であり、
荒雄を失った妻子の心の痛みを山上憶良が詠んだとも伝えられる。
志賀の山の木をひどく切ってくれるな。
荒雄ゆかりの山と、見ながら思い出しましょうとの解釈や、
荒雄はきっとかえって来るだろう。
志賀の山の木が切られて様子が変わっていたら、
荒雄は戸惑うに違いないから、ひどく木を伐らないでください、との解釈もある。