「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄県那覇市若狭  「 波之上宮 」

2014-06-27 00:01:41 | 沖縄



岩の上に鎮座する波之上宮 ( 波の上ビーチからの眺望 )








正面から見た本殿






入り口にある鳥居






境内に明治天皇の立像が建っている





波之上宮は那覇市若狭にある神社で
海のすぐ側にあり崖の上に鎮座している。
沖縄県内で特に有名な神社で初詣は、多くの参拝者で賑わう。


■由来
当宮の創始年は不詳であるが、遥か昔の人々は洋々たる海の彼方、
海神の国(ニライカナイ)の神々に日々風雨順和にして
豊漁と豊穣に恵まれた平穏な生活を祈った。
その霊応の地、祈りの聖地の一つがこの波の上の崖端であり、
ここを聖地、拝所として日々の祈りを捧げたのに始まる。

波上宮の御鎮座伝説に往昔、南風原村に崎山の里主なる者があって、
毎日釣りをしていたが、 ある日、彼は海浜で不思議な 「 ものを言う石 」 を得た。
以後、彼はこの石に祈って豊漁を得ることが出来た。
この石は、光を放つ霊石で彼は大層大切にしていた。
この事を知った諸神がこの霊石を奪わんとしたが
里主は逃れて波上山 ( 現在の波上宮御鎮座地で花城とも呼んだ ) に至った時に
神託があった。

即ち 「 吾は熊野権現也この地に社を建てまつれ、然らば国家を鎮護すべし 」 と。
そこで里主はこのことを王府に奏上して社殿を建てて篤くまつったと言う。
以来、中国、南方、朝鮮、大和などとの交易 ( 琉球王府直轄事業 ) 基地であった
那覇港の出船入船は、 波上宮の鎮座する高い崖と神殿を望み、
出船は神に航路の平安を祈り、入船は航海無事の感謝を捧げた。

また人々は常に豊漁、豊穣を祈り琉球王府の信仰も深く、
王みづから毎年正月には列を整え参拝し、
国家の平安と繁栄を祈るなど朝野をあげての崇敬をあつめ、
琉球八社 ( 官社 ) の制が設けられるや当宮をその第一に位せしめ、
「 当国第一の神社 」 と尊崇された。
明治の御代になるや、同23年官弊小社に列格し、
沖縄総鎮守としてふさわしい社殿、境域の結構を見るに至ったが、
先の大戦で被災した。

戦後は、昭和28年に御本殿と社務所が同36年には拝殿が再建された。
そして平成5年、平成の御造営により、 御本殿以下緒社殿が竣工。
翌年5月、緒境内整備が完工した。



所在地 : 沖縄県那覇市若狭1丁目25番11号

御祭神
主神 : 伊弉册尊・速玉男尊・事解男尊
相殿神 : 竈神(火神) 産土大神・少彦名神 ( 薬祖神 )

例大祭 : 5月17日 官幣小社列格、
御鎮座告祭式の日を大祭日とし古くからナンミン祭と呼ばれ県民に親しまれている。



鹿児島県鹿児島市東開町 「 東開の堰 」

2014-06-27 00:00:41 | 近代化産業遺産・土木遺産


















堰の近くにある 「 シルバーアクセサリーの店 ・ 工房 RYO 」





それは、鹿児島市東開町木材団地近くの堰だったような気がする。
見るからに 「 近代土木遺産 」 の雰囲気を漂わせた造りだったが、
木材港での灯台の撮影がメインだったし、
詳細が分からなかったこともあって、これまで掲載をためらって来た。
それで時間だけが無駄に過ぎてしまったわけである。

場所も多分だったと思うほど曖昧な記憶ではあるが、
「 ちゃんと掲載して堰に日の目を見させてやらなければと 」 思い、
今さらではあるが、その姿を紹介することにしたのである。

もちろん個人的にその情景が好みということもあるが、
残しておきたい風景 ( 情景 ) には変わりないので、
皆さんにも見て頂きたいと思ったわけである。