goo blog サービス終了のお知らせ 

「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄県本部町 「 備瀬埼灯台 」

2013-09-07 06:13:36 | 沖縄の灯台



灯台の向こうに伊江島 ( 伊江島タッチュー ) が見える










灯台の下には 「鶴 亀 」 の拝所がある








高さ12mの灯台が岩場の上から顔を出す






















初点が昭和28年にしてはプレートが新しい








円を二つ重ねたような灯台上部








円筒の曲線とボックスの直線が上手く融合している








島の端に灯台が見える








灯台へ向かう途中にある石積みされた拝所?あるいは墓?








このような岩場の上を灯台まで約250mほど歩かねばならない








備瀬埼から見える灯台がある島








備瀬埼と灯台がある島の間には70mほどの海峡がある





灯台表番号 / 7119
ふりがな / びせさきとうだい
標識名称 / 備瀬埼灯台
所在地 / 沖縄県国頭郡本部町(備瀬埼)
北緯  / 26-42-44
東経 / 127-52-36 
塗色 / 白色
灯質 / 単閃白光 毎5秒に1閃光
光度 / 実効光度 390カンデラ
光達距離 / 7.5海里
地上~頂部の高さ / 12m
平均水面上~灯火の高さ / 17m
業務開始年月日 / 昭和47年5月15日
光源 / LED(発光ダイオード)
電源 / 自然エネルギー(太陽電池)


備瀬埼灯台は、備瀬崎から70mほど離れた島の上に立つ灯台である。
灯台は独立した島の上にあるため、干潮時でもジーパンを膝までまくり上げて
島との間をバシャバシャと歩かねばならなので上島するにはかなり困難であった。
そして、潮が満ち潮になる前に戻らねばならないので、時間的にも焦るものだった。

灯台までも高さ3~4mの岩場を登らなければならないし、
途中で岩場を飛び越えなければならない場所もある。
更に岩場の上にはトゲがある植物が群生しており、そこを通過するのは大変であった。
また、灯台下には 「 鶴 亀 」 と書かれた拝所があり、
むやみに立ち入る場所ではないと感じた。
そして、グスク、亀甲墓、拝所など100か所ほどを巡って、
灯台に着いた時に魂が悲鳴を上げた場所でもある。


備瀬埼灯台へのアクセス
備瀬埼灯台へは、国道449号線を名護市から本部方面に進み、
「 美ら海水族館 」 を過ぎてそのまま真っ直ぐに備瀬集落を突き当りまで行くと
突き当たりに広場がある。そこから歩いて島へ渡るが、
備瀬崎から島までは深みなどがあり簡単には歩いて渡れないが、
大潮の干潮時ならば浅瀬を選べば歩いて渡ることが出来る。
ただし、膝までの長グツが必要である。
駐車は、突き当りの広くなった場所に駐車したが、夏場のシーズン中は厳しいかも?



沖縄県新城島 ・ パナリ島の 「 オヤケアカハチの墓? 」

2013-09-07 06:11:48 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所



パナリ ( 新城島 ) にあるオヤケアカハチのものと思われる墓







波照間島にあるアカハチの生誕の地の碑










パナリ ( 上地島 ) の集落の中に、こんもりとした墓がある。
これは、宮古・多良間・伊良部地方で 「 ミャーカー 」 と呼ばれる墓の造りである。
パナリに住む地元の人によれば、 「 オヤケアカハチの墓 」 ではないだろうか?というのだが・・・
何でも 「 一般人の墓にはこんな大きな盛った墓はない 」 というが、実際のところは謎である。

現に、石垣島の大浜にはオヤケ赤蜂と古乙姥(クイツバ)の碑があるが、
オヤケアカハチの墓はどこにも見当たらないのである。
だから、この墓が 「 アカハチの墓 」 と言われてもおかしくない気がする。
ただ、歴史上これがアカハチの墓であるという証拠を示す物がないのは残念である。




9月7日 「 白露の朝 」

2013-09-07 06:08:21 | 朝の風景とその他の風景







このところ朝晩がめっきり涼しくなった。

長く続いた雨も上がって、現場で頑張っている。
アイオンブレーカーでコンクリやアスファルトを叩いて、
割った骨材をユンボで剥ぎ取って、
ダンプに乗せて産廃の中間処理場まで運搬している。

このところ湿度が低いので、ユンボに乗ってもダンプに乗っても爽やかである。
特にダンプを運転している時は、窓を全開にして走ると
浜田省吾ではないが、秋の 「 風を感じる 」 瞬間 ( とき ) である。


そんな今日は、白露(はくろ)である。
白露は、二十四節気の(もみ)第15。八月節(旧暦7月後半から8月前半)で、
現在広まっている定気法では太陽黄経が165度のときで9月8日ごろ。
暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。
恒気法では冬至から17/24年(約258.71日)後で9月6日ごろになる。
期間としての意味もあり、この日から、次の節気の秋分前日までである。

また、この頃になると大気が冷え、
野の草に露が宿って白く見える頃だから 「 白露 」 と名付けられた。
秋分の15日前で、この頃から秋の気配をひとしお感じるようになる。

露は、大気が冷やされて大気中の水蒸気が地面や地物の表面に凝結して出来た水滴のことで、
風が弱く、晴れた夜ほど大気の冷却が大きく、露が出来やすくなる。


小学生のころ、運動会の時季になると、
決まって筵 ( むしろ ) の上に収穫した籾 ( もみ ) を敷いて乾かしていた。
その筵を取った後を裸足で歩くと、湿気とほんのりとした温もりを足の裏で感じた。
露は秋の季題にもなっていて、秋の季節感をそそるものである。

そういえば、熊本市の島崎に 「 香露 」 という、旨い日本酒があった。
熊本時代、一時期毎晩のように愛飲した日本酒である。