

2本のタワーとワーレントラスが独特な雰囲気を醸し出している

可動橋を上下させるモーターとそれを操作するオペレーター室

可動橋をワイヤーロープで巻き上げるタワー頂部の滑車

持ち上げられた重さ48トンの橋桁

タワーの下に重さ20トンのカウンターウエイトが降りている

昇開橋・花宗水門あたり ( 下流側からの遠望 )




大川よりの橋の袂は、かつて 「 筑後若津港駅 」 があった。
天中を駆け上がる橋の勇姿が青空に映える
悠々と流れる筑後川を跨ぐ赤い橋。
中央部には天を挟むように一対のタワーが向き合う。
ゆっくりと上下する鉄の橋梁が時に哀愁をさそう。
船と列車の往来を交互に分かち合う知恵の結晶は、
そのスケールから竣工当時、東洋一と称された。
佐賀線の廃止にともない、地元の要望で解体を免れた筑後のシンボルは、
現役当時の姿で迎えてくれる。
█ 所在地 / 福岡県大川市向島若津地先
佐賀県諸富町為重石塚地先
█ 竣工 / 1935年 ( 昭和10年 )
█ 設計者 / 鉄道省 稲葉権兵衛 ( 橋梁部 )
鉄道省 坂本種芳 ( 昇降機械部 )
█ 国指定重要文化財・Aランク近代土木遺産
筑後川昇開橋(ちくごがわしょうかいきょう、Chikugo River Lift bridge)は、
1935年(昭和10年)竣工、同年5月25日に開業した。
舟運との共存のため、橋の一部が可動式となっている可動橋には旋回橋、
跳開橋(跳ね橋)、昇開橋などがあるが、
本橋は橋桁の一部が垂直方向に上下する昇開橋として日本に現存する最古のもので、
日本国有鉄道(国鉄)佐賀線に存在し、筑後川をまたいで福岡県大川市と
佐賀県佐賀市諸富町(廃線時・佐賀郡諸富町)を結んでいた鉄道用可動式橋梁である。
佐賀線の廃線後も保存され、現在は歩道橋として活用されており、
旧筑後川橋梁(筑後川昇開橋)として重要文化財および機械遺産に指定されている。
筑後川昇開橋の全長は約507メートルで、
その建設には大変な苦労があったと伝えられている。
橋脚の深さは約15~18メートルと記録されているが、
有明海は干満の差が大きく、水面が一定でないため掘削作業は困難を極めた。
そして、橋桁を架けるときは船で運び、潮と浮力を利用したと記録されている。
また、筑後川の水面も有明海の干満の影響を受けて一定ではなく
干潮の時は可動橋が降りていても、小船は通ることができるようになっているが、
中型船以上は列車通過まで一時ストップしなければならなかった。
このようなことは佐賀線設置の時に船舶会社と協議され、
列車通過以外は船舶が優先されることが約束され、
それがもとで昇降式可動橋が作られたといわれている。
この昇開橋は橋脚と橋脚の間が約26メートルで、
そこに架けられた約24メートルの可動橋が
約23メートルの高さまで上るようになっている。
このような可動橋は清水港線の巴川鉄橋にもあったが、現在では廃止されている。
昇開橋の主な構造は、鉄塔の高さ約30メートル、可動橋の自重約48トン、
約20トンのウェイトが両側の鉄塔に下がっている。
さらに、平衡ワイヤにより左右のバランスをとり、強風にも耐える構造となっている。