50歳を過ぎたあたりからだろうか。これまでにも書いているが、できるだけアクティブに人生を終えたいという気持ちから高齢で元気のよい人に目が行くようになった (「年齢とヴィヴァシテ」 参照)。その時から、100歳あたりから現在を見るという視点にゆっくりと変わってきたようだ。50歳を迎えるまではただただ先を見て進んでいくという感じで来たことがわかる。それが最近では100歳から今の自分を見ている。そのため、まだまだ人生の半分ではないか、何を年寄りじみたことを言っているのか、というような声が聞こえる。必死に生きてはいるのだが、なぜか安心感がある。100年の時の流れの中で自分の歩みを眺めることができるようになったからかもしれない。
いつまで生きるのかはわからないが、この視点に立つと別の意味で自分を叱咤でき、同時に余裕を持ってものを見ることができる。先日触れたマルク・フュマロリさんの視点ではないが、時の流れの中に今をはめ込むことができるようになるからだろう。大げさに言うと、今を歩んでいる時にそれがただちに自分の中で歴史的な意味を持つようになるという不思議な感覚なのだ。新しい世界が開けてくるようで面白い。
成人するに充分な時間があるのですから。
タイトなスペースで大変失礼しました。
私も同世代、50半ばに差し掛かろうとして、今後の人生、、、余命とかという言葉とは無縁に、一からスタートするつもりで、実りあるものにしたいと思っています。
でも、現実はなかなかキビシイですが、、^^;;