goo blog サービス終了のお知らせ 

ちょっと気になる世間のこと、自分のこと

気になるアレコレ。自己満備忘録。
勝つか、負けるか、やるだけやるさ。

人に会うって、 自分の計算外のことが 起きるってことなんですよね。

2014年11月20日 | 気になる人々
人に会うって、
自分の計算外のことが
起きるってことなんですよね。

(天職、秋元康)




人に出会うと、
自分が当たり前だと
思っていたことが、

そうじゃないんだ、
ということに気づかされる。

いろいろな意見が出てくる。
高められたり、いい気分もあれば、
ぶつかりあい、ストレスもある。

それらは、
だいたい言葉によって、
生じてくる現象だと思います。

私が面白いと思うのは、
人の使う言葉のクセ、
というもの。

たとえば、
「冷静になりましょう」という人が、
冷静になってるわけじゃない。

「協力しましょう」という人は、
ただ、自分の意見に従わせたい、
という場合もあるようです。

「そんなんだったら、俺はやめる!」
なんてすぐに脅迫するような言葉を
吐く人だっている。

使う言葉のクセに出会うだけでも、
その人の背景にある考え方が
見えてくる。人間は面白い。


痛みは良いものだ。 痛みは友だちだ。

2014年11月19日 | おもしろい
痛みは良いものだ。
痛みは友だちだ。
痛みを感じていれば、
まだ生きているということだ。


(映画「GIジェーン」)




晩秋の空気を感じる今日この頃。
夜中に起きた時には、
ちょっと寒いなと感じて、
毛布をもう1枚かけたりしています。

通常であれば、寒すぎると
まったく眠れないはずですが、
雪山で遭難した場合に、
防寒設備などが整っていないと、
しばらくして、体温が下がり、
その寒さや痛みを通り越し、
眠ってしまうことがあるそうです。

私は未体験ですが、
ちょっと怖いなって思います。

寒い、寒い、痛い、痛いって
思っているうちに気持ちよくなって、
気づいたら、自分の霊が離脱して、
自分の姿が目の前に見えた、
なんて…

痛みっていうのは、
本当にイヤなもんですけど、
痛みが本当になくなる時っていうのは、
何かに鈍らされたり、だまされているか、
死んでしまった時しかないかもしれません。

「本当に死んでしまいたい」
っていうくらいの痛みも経験ないので、
人から聞いた話しか出来ませんけれど、
知人のお医者さんいわく、
焼身自殺に失敗すると、
その後の治療の痛みは、ホントに
「死ぬよりももっと辛い」ものらしいです。

ある程度、治りかけてくると、
火傷した古い皮膚をそぎ落とし、
新しい皮膚を再生させるために、
消毒タワシでこすりあげられるんだそうです。

今も同じような治療法かは分かりませんが、
話を聞いただけでも、身震いします。

避けられない痛みは覚悟するとしても、
経験しなくていい痛みについては、
賢く避けられる人間でありたいものです。


最近ひざが痛いなぁ~






人間は独りでは生きられない ということが、よくわかったよ。

2014年11月18日 | 気になる言葉
元気なころは、いつでも独りに
なれる(なりたい)と思っていたけど、
人間は独りでは生きられない
ということが、よくわかったよ。

(寝たきり婆ぁ猛語録、門野晴子)




束縛されないで生きたい、
しがらみのないところで生きたい、
誰の世話にもならず自立した人間でいたい、

自分に力があるうちは、
やはり、そんなことを思う。

そして、もし、実現したいなら、
元気なうちに、出来る限り、
その準備をしていなくちゃいけない。
経済的にも、体力的にも、あらゆる面で…

でも、実際のところ、何歳になっても、
独りで生きるっていうのは難しい。

「人間」という漢字が
物語っているように、人の間に
生きていなくちゃいけない。

人嫌いだろうが、
コミュニケーション下手だろうが…

しばし独りになりたいという時間は、
とても貴重だけど、

ずっと独りになりたいっていう感情は、
何かを忘れている。孤独の意味と、
時間の経過と、それに伴う肉体的な変化を…

元気なうちに、
上手に人の世話になる方法、心構えを
学んでおかなくちゃあいけないね、
と思う次第です。


話し変わって、昨晩のNHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」という番組の、題して「いつか、喜びの涙に変わるように」/死を認め、人生を”退く”ための医療を見てたのですが、とても考えさせられる
素晴らしい放送でした。




好きな人が気になるのと同じように、 嫌いな人のことも気になるし・・・・

2014年11月17日 | 気になる人々
不思議なもので、
好きな人が気になるのと同じように、
嫌いな人のことも気になるし、
どちらもよく観察してしまうものなんですよ。

どちらも、あたしにとって強いオーラを
発してるってことでは同じだからかしら。

(中庭の出来事、恩田陸)



いつも、
嫌いな人の話をする人がいる。

メールの内容もそればかり。

ここ半年、
何の音沙汰もなかったけれど、
またメールが来た。

もらった方の私も、
その話題にいくだろうな、
って期待していると、

2通目からの内容は、やっぱり、
そこに始まりそこに終わる。

どれだけどこが嫌いか、
どんな悪いことをしているか、
どんなに性格が悪いか、
自分以外にだれそれも嫌いらしい、
とか、そんな話ばかり。

そこで、ふと思う。

この人は、
朝から晩まで、
その人のことばかり
考えているんじゃないか、と。

いや、仮にそうじゃないとしても、
その人の話題が出れば、
心が即座に反応し、
何が何でも、ダメな人間だ、
っていう話にもっていくことに、
全精力を注ぐだろうな、
と容易に想像できる。

その話題に執着せずにはいられない、
ある意味、麻薬的な効果?

好きっていうのも、
心の執着だとすれば、
とことん嫌いっていうのも、
好きの一種かもしれない。

人間は面白い。

病気はキライ。 だけど涙と同情の押し売りは もっとキライ。

2014年11月16日 | 気になる言葉
病気はキライ。
だけど涙と同情の押し売りは
もっとキライ。
バナナのたたき売りは許せるけどさ。
甘えはキライ。
美化もキライ。

だから闘病記がわたしはキライ。
言っとくけどね、
人はいつかは必ず死ぬのだからね。
だから生きている人は全員、
闘病していることになるんだよ。

(あなたにつながる記憶のすべて、小手鞠るい)





闘病記の本を
とやかく言うのは避けたい。

当人たちの体験について、
未体験の自分が
なにか言うのは難しすぎる。

きっと、
初めて読んだ闘病記みたいな本は、
乙武さんの「五体不満足」
だんたじゃないかと思います。

ベストセラーになっているせいか、
あるいは、誰かに薦められたかは、
よく覚えていない。

ただ、自分が読んだ後、
家族にも「読んでみたら」
と言ったのは覚えている。



下心としては、
「世の中、こんなふうにして苦労して
 がんばっている人もいるから、
 しっかりしなくてはね」
みたいな気持ちだったんでしょう。

しかし、自分が、そういうふうに、
本を薦められたら、きっと、イヤだ。

そのことから考えるに、
説教代わりに読ませたり、
「売れる」ために、
闘病記が使われすぎるのは、
かえって逆効果だろうと思いますが・・・

買い物の値段は たいそうむずかしい。

高いのか安いのか、 それとも妥当なのか。 買い物の値段は たいそうむずかしい。 それどころか 人生の永遠の課題でもある。 (野蛮な読書、平松洋子) お正月には、 ほとんどの売り場に、 「福袋」が並んでいます。 かなり以前には、 その中身は買ってからの楽しみ、 ということが多かったように思うが、 今は、最初から 分かっていることの方が多い。 福袋っていうより、 ふつうの買い物であり、 問題は、その値段で お得かそうじゃないか、 ってことになっている。 何を、いくらで買うか、 いくらだったから買わないのか、 っていうのは、生き様に通じる。 何かを買う、 っていうのは、 お金と交換するばかりでなく、 それに付き合う時間を作る、 っていうことも含めて 決めていることになりますからね。 逆に買わない、っていうのは、 今持っているものと付き合う時間の方を 大切にするってことだろうし。 お金が流通するようになってから、 買い物は、生きることと同じくらい、 大切なことになっちゃっている。 てきとうにやることもできないし、 逃げることも、 まかせっぱなしも、 できないことだろうなぁ~^^