ちょっと気になる世間のこと、自分のこと

気になるアレコレ。自己満備忘録。
勝つか、負けるか、やるだけやるさ。

「適当」は、もともとは 「いいかげん」の意味じゃないんだ。

2014年07月31日 | 気になる言葉
「適当」は、もともとは
「いいかげん」の意味じゃないんだ。
「ふさわしい」「ちょうどいい」を
「適当」っていうんだ。

(ファミレス、重松清)


ちょうどいい頑張りを
続けていくのが、
人生の目的かもしれない。

頑張らなすぎると、
人生がもったいないことになる。

頑張りすぎても、
心や体のバランスを崩したりして、
長続きしなくなる。

だから、一番いいのは、
コツコツ続けられる、
ちょうどよさ。

ところが、
そのコツコツは、
意外と飽きやすい。

そのために、
多くの人が
続けることをやめる。

コツコツが面白くなれば、
一番いいのだけれど、
面白くなりすぎると、
一気に、ガーッとやりたくなって、
ちょうどいいを越して、
イヤになったり、
飽きたりするところまで
行ってしまうこともある。

ちょうどいいを探す人生。
そうでなくても、人生は、
ハプニングが起こるから、
面白くなるように
なっているはずだから。

どこかに病気があれば、 不健康者とはいわないで・・・・・

2014年07月30日 | 気になる言葉
どこかに病気があれば、
不健康者とはいわないで、
なにかの欠陥があっても、
きょうの生活のためにはさわやかだ、

そういう気持ちを持つことが、
いちばん、大切なんですよ。

(ほぼ日、日野原重明)


小さな汚れ、
ちょっとした痛み、
スッキリしない出来事…

生活のなかには、
そういうものがいっぱいだ。

気にし始めれば、
キリがない。

気にしなさすぎると、
もう少し使えるはずのものが、
使いものにならなくなる、
っていうこともある。

だからっていうことで、
完ぺき主義で、
いろんなことを気にしすぎると、

快適を目指していたはずなのに、
かえって、快適から
遠ざかってしまうことも少なくない。

快適というのは、
きっと意識しすぎることなく、
得られている状態のことだろうから、

快適を意識しすぎて、
それに近づけるため、
直そうと努力して忙しくなり始めると、
かえって苦痛になることもある。

使っていれば、
古くなれば、
年をとっていけば、
いろんな不具合はだんだん出てくる。

それをどこまで受け入れられるか、
それによって、人生の質が違ってくる。
それを理解できる感性を養っておくのが、
一番大切な気がします。

私は「人間ちょぼちょぼ主義者」です。

2014年07月26日 | 気になる言葉
私は「人間ちょぼちょぼ主義者」です。
要するに、
「人間の能力は、
 それほど高くはない」
「人間には、とくに賢い人も、
 とくにアホな人もいない。
 ちょぼちょぼである」
と考えています。

(「任せ方」の教科書、出口治明)


どちらかというと、
「自分にはこんな才能があるんだ」
と思うことより、

「自分には才能がないんだ」
と思うことが多いようです。

いやいや、
自分の才能に驚くことの方が多いよ、
という人もいるかもしれません。

きっと、
見ているところというか、
比べているところが違うのでしょう。

とーってもできる人を
頭の隅に置きながら、
自分の才能を吟味したら、
落ち込まないわけがない。

落ち込んで、
「だったら、がんばるぞ!」
となれる人であれば、
いいでしょうが。

そこまでいかなくても、
「一歩ずつ進歩していくぞ、
 いけるところまで」
くらいの気持ちが
ちょうどいいかもしれません。

人生は川のように流れている。

2014年07月22日 | 気になる言葉
…僕は言います。
「ずっとそれが続くもの
 ではありませんよ」と。
人生は川のように流れている。

幸せに向かって流れたり、
不幸へと流されたり。
その流れに逆らえないこともある。
ならば流されればいいと僕は思う。
何処へ行くのか分からない川の流れに乗る。
行き着く先が分からないからこそ人生。

ただし、自分の意思を持って
流されていくことが大事なんです。

(谷村新司、PHP文庫コラム)



流される、といえば、
自分の意思をもたないで流される
ような悪いイメージがあったけれど…

そっかぁ~

自分の意思をもちながら、
流されることも出来るんだなぁ~

ちょこっと力を出せば、
乗り移ることができる陸地とか、
船とかにも目を配りながら、
流されていること。

人間は、そもそも
そんなふうに出来ているはず。

私のお気に入りの言葉です。

「何かに突き当たると、
 水は逆らうことなく流れを変えます。
 行く手を遮るものがないときでも、
 水はさまざまに回り道をします。
 わたしたちの体を構成する
 いちばん多くの要素が
 水であることを考えるなら、
 わたしたちにも同じ性質が
 備わっているはずです。」
 (何もしない贅沢、ヴェロニク・ヴィエン)

幸せの絶頂にあっても、
不幸のどん底にあっても、
それは流れの途中に過ぎない。

その場に浸りすぎて、
溺れないように気をつけるだけ。
そうすれば、また流れに乗れるから。

たくさん見せたくなるのは、 自分に自信がないときです。

2014年07月19日 | 気になる言葉
たくさん見せたくなるのは、
自分に自信がないときです。

(児島令子、「ひとつ上のプレゼン。」にて)

たとえば、
誰かをもてなす時に、
その人の好きなものが
分かっていれば、
それを用意したりする。
自信があれば、なおさら。

しかし、
それが分からない時には、
性格によって、
いろんな方法が出てくる。

料理であれば、
相手の好物いかんに関わらず、
とにかく得意料理を出す人もいれば、
初チャレンジのものを用意する人、
多種多量を用意する人もいるだろう。

同著には、こうもある。
「(こちらが、)
 完璧を期そうとすればするほど、
 心の準備ができていない相手は
 威圧感を覚えます。
 相手にしてみれば、
 食欲もわいていないのに
 フルコースを出されたようなものです。」
 (團紀彦)


自分のことを
知ってもらいたい一心で、
長々としゃべる人、
自分のアルバムをいくつも広げる人、
人をつかまえて離さない人…
(多分、自信はあるつもりだろうけど…)

料理に限らず、
会話や物の受け渡しなど、
そこにはセンスが現れる。

おしゃれかどうか、
そういう意味ではなく、
「分かってもらえる」ための思いが、
どれだけ整理されているか、
というセンスである。

「分かってもらえる」ことをしぼって、
話したり、見せたりするセンスがある人は、
本当の自信がある人だと思います。

買い物の値段は たいそうむずかしい。

高いのか安いのか、 それとも妥当なのか。 買い物の値段は たいそうむずかしい。 それどころか 人生の永遠の課題でもある。 (野蛮な読書、平松洋子) お正月には、 ほとんどの売り場に、 「福袋」が並んでいます。 かなり以前には、 その中身は買ってからの楽しみ、 ということが多かったように思うが、 今は、最初から 分かっていることの方が多い。 福袋っていうより、 ふつうの買い物であり、 問題は、その値段で お得かそうじゃないか、 ってことになっている。 何を、いくらで買うか、 いくらだったから買わないのか、 っていうのは、生き様に通じる。 何かを買う、 っていうのは、 お金と交換するばかりでなく、 それに付き合う時間を作る、 っていうことも含めて 決めていることになりますからね。 逆に買わない、っていうのは、 今持っているものと付き合う時間の方を 大切にするってことだろうし。 お金が流通するようになってから、 買い物は、生きることと同じくらい、 大切なことになっちゃっている。 てきとうにやることもできないし、 逃げることも、 まかせっぱなしも、 できないことだろうなぁ~^^