ちょっと気になる世間のこと、自分のこと

気になるアレコレ。自己満備忘録。
勝つか、負けるか、やるだけやるさ。

現実は人の意識の数だけある

2013年04月30日 | 気になる言葉
現実は人の意識の数だけある。
百人の人間には百種の、
千人の人間には千種類の現実があり、
それはそれぞれ全部違うのだ。

それも少しずつ違うのではない。
全く違うのだ。

(魍魎の匣、京極夏彦)


同じものを見れば、
同じ現実を知った、
と言えるもんじゃない。

仮に、
同じことを知ったんだ、
と思っていると、
いつかどこかで、
戸惑うことになる。

同じ山でも、
見る方角が違えば、
その景色が違うように、

同じ人を見る時でも、
自分の心持ちで、
自分が怒っていれば、
その人が怒っているように見え、

自分が楽しければ、
その人も楽しそうに
見えたりすることもあるから、
「現実」も違う。

ただ、
違うことばかりを
意識しすぎてしまうと、

相手が怖くなったり、
伝えるのが面倒になったり、
コミュニケーションが
ギクシャクしたり、
生きにくくなるもの。

「現実」を
押しつけなければいい、
それだけのことだと思う。

だから、
自分の感じたことを
相手に伝えることも、
自分の感性の「現実」を
知ってもらうためにも、
必要なことなのだと思います。

もし 飛べないなら、 走りなさい。 走れないなら、 歩きなさい。 歩けないなら、 這っていきなさい。

2013年04月29日 | 気になる言葉
もし
飛べないなら、
走りなさい。
走れないなら、
歩きなさい。
歩けないなら、
這っていきなさい。

(マーティン・ルーサー・キング・Jr)


私ばかりじゃないと
思いますが、

ものすごーく
達成したい目標と、
嫌々ながら
飛び込んでくる問題(課題)と、
2タイプのものが、
目の前にあります。

それらに立ち向かおう、
としたときに、

結局のところ、
本当に達成したいか、
本当にそこから
逃れたいか、の本気度に
左右されるように思われる。

その思いが弱いうちは、
なかなか乗り越えられない。

1つのチャレンジをしてみて、
ダメだったら、
じゃあどうしよう…

よし、今度はこれだ!

うー、これもダメか、
それなら、あれでいこう!

え?また、ダメか。
んー、だったら…

と何度でも、
立ち向かわなければ、
きっと乗り越えられない。

その気持ちは、
自然に湧いてくるもんじゃなくて、
自分で育てないと、
なんの力にもつながらないだろう。

たとえ、ほかの人と
同じレベルで出来ないとしても、
やれることをやればいいのだ。
やれるところまで、あきらめず。

百人の人にそしられても、 一人の正しい人に褒められるように。

2013年04月28日 | 気になる言葉
百人の人にそしられても、
一人の正しい人に褒められるように。

百人の人に讃えられても、
一人の正しい人に笑われないように。

(黒木大尉の母)


以前、安倍首相が面白いことを
言っていましたね。

「ニュースはあまり
 見たくないけど、
 見ざるを得ないな」と。

自分の言った一つ一つの言葉で
揚げ足をとられる立場にいると、
そんな気持ちになるのも
分かる気がします。

世渡り上手になるためには、
周囲の声をまったく気にしないか、
周囲の声をうまく利用できるか、
周囲の声をコントロールできるか、
そのどれかが出来ないといけません。

心の底では、
数少ない「良い人」から
認められさえすればいいと思いながらも、
多数の声が気にならないわけでもない。

気にするという点で言えば、
百人を気にするのも、
一人を気にするのも、
同じようなことにもなりかねない。

笑われてもいい、
バカにされてもいい、
それくらいの気持ちでなくちゃ、
自分で満足のできることは
やり遂げられないと思います。


人生どう転がっても、 いろんなことにつなげられるのだと思います。

2013年04月27日 | 気になる言葉
高い所へ登った人ほど、
落ちた時には大怪我か即死です。

低い所にしか登れなかった人は
落ちてもせいぜい軽いカスリ傷か
怪我くらいですむのです。

(ああ正負の法則、美輪明宏)


ものすごく眺めがよくて、
あまり高くない山なんていうのは、
めったにない。

安全で、楽に登れる山は、
だいたいがそんなに高くない。
眺めも、きっとそれなり…

みんなが進んでいかない山奥には、
まだ誰にも見つけられて
いない山菜などがあるかもしれない。
けれど、遭難の怖れもある。

誰でも行けるような山麓なら、
ほとんど何も見つからないだろう。

何を見つけたいか、
何を探したいかで
目指すところは違ってくる。

私もそんな風潮に流されてるところも
ありそうな気がするけど、
珍しいとか、刺激的だとか、
そういうものを必ず、
みんながみんなで求める必要もない。

みんなが高い山に登って、
危険を冒すのが理想でもない。

みんなが公務員になって、
安定した給料を得ようとするのも
理想ではない。

理想が高いのがいい、
理想が低いのがダメ、
という物差しだけに頼らないで、
いろんな見方で、
物事の変化を分かっていくのも悪くない。

とすれば、
いい親から生まれるのが良くて、
悪い親から生まれるのが悪いともならないし、

いい先生(上司)がいれば幸せで、
悪い先生(上司)がいれば
不幸だともならないだろう。

人生どう転がっても、
いろんなことにつなげられるのだと思います。

周囲を気にしても、 誰も見ていない

2013年04月26日 | ツイッター
二十歳の時、人は自分が周囲に
どう見られているかが気になる。

四十歳になると、自分が周囲に
どう見られているか気にならなくなる。

六十歳になると、
周囲は自分のことなど
見ていなかったことに気づく。

(twitterより) 

結局、周囲を気にしても、
誰も見ていないということですね。

この20歳、40歳、60歳っていうのは、
個人差があるだろうと思う。

しかし、
どう見られているかが
気になっている時期には、

そんなこと誰も気にしてないよ、
って言われても、気になる。

それがふとした瞬間に、
なんかバカらしくなって、
気にならなくなる時がくる。

人によっては、
誰も気にしていなかった、
ということに気づく時期と
重なることもありうるだろう。

1週間前、1ヶ月前に
あれほども気にしていた、
自分の悩みすら覚えていないのに、
他人のことなど覚えてるわけがない。

それなのに、
いつまでもいつまでも、
どう見えていたかを気にしている。

そんなことで
人生の大半を埋めつくすなんて
誰も望んでいないはずです。
冷静に考えてみれば…

買い物の値段は たいそうむずかしい。

高いのか安いのか、 それとも妥当なのか。 買い物の値段は たいそうむずかしい。 それどころか 人生の永遠の課題でもある。 (野蛮な読書、平松洋子) お正月には、 ほとんどの売り場に、 「福袋」が並んでいます。 かなり以前には、 その中身は買ってからの楽しみ、 ということが多かったように思うが、 今は、最初から 分かっていることの方が多い。 福袋っていうより、 ふつうの買い物であり、 問題は、その値段で お得かそうじゃないか、 ってことになっている。 何を、いくらで買うか、 いくらだったから買わないのか、 っていうのは、生き様に通じる。 何かを買う、 っていうのは、 お金と交換するばかりでなく、 それに付き合う時間を作る、 っていうことも含めて 決めていることになりますからね。 逆に買わない、っていうのは、 今持っているものと付き合う時間の方を 大切にするってことだろうし。 お金が流通するようになってから、 買い物は、生きることと同じくらい、 大切なことになっちゃっている。 てきとうにやることもできないし、 逃げることも、 まかせっぱなしも、 できないことだろうなぁ~^^