ちょっと気になる世間のこと、自分のこと

気になるアレコレ。自己満備忘録。
勝つか、負けるか、やるだけやるさ。

今日も立ち向かおう。

2012年06月30日 | 気になる自分
どうせ負けるから、
勝てるわけないから、
がんばってもしょうがないから…

そんなことばかり考えていれば、
かなりの可能性があることにも、
無理だと思える要素を探すクセが
ついてしまうに違いない。

そうなれば、
ちょっとの可能性しかないことには、
なおさら、心が反応しなくなるだろう。

立ち向かうことっていうのは、
その相手が大きければ大きいほど、
勇気がいる。

けれど、その相手が人間のときには、
その相手だって、勇気をもって
こちらに立ち向かっているはず。

そういうことを
忘れちゃいけないと思う。

自分の気持ちだけに
心が集中しちゃうと、
心は簡単に萎えやすい。

自分も相手も、
立場は同じなんだ。
だったら、逃げる必要なんてない。

立ち向かって、
出来る限りのことを
するだけでいいんだ。

そう思い始めるだけで、
不可能だと思っていた気持ちすら
姿を消していく。

今日も立ち向かおう。

私たちの周りには、 広告の言葉がますます 氾濫している。

2012年06月29日 | 気になる世間
割引券、
クーポン券は、
とってもお得なもんだけれど、

必ずしも必要じゃないものへの
クーポン券、割引券は、
もしもそれを使わなければ、
1円もお金を減らさないで済む、
っていう「お得」もある。

もちろん、
世の中の経済活動のためには、
どんどんお金を使えたら
いいんだろうけど、

いざという時に、
本当に必要なものを
手に入れるお金が
なくなっていたら、
元も子もない。

世の中、
広告の技術が
いろいろ進化しながら、

私たちの周りには、
広告の言葉がますます
氾濫している。

「今なら、○○○円」

「△△個限定」

「□□□でも取り上げられました」

どこにも、
そんな言葉が
あふれていて、

なかには、
本当じゃないケースもあるようだから、
その広告の裏側とか、
値段の仕組みを分かっていないと、
判断を間違ってしまいそうだ。

判断を間違ったら学ぶ。
世の中はいつも、
そんなふうに出来ているらしい。

別に、なくたっていいじゃないか。 そんな気持ちになることが、時には大切。

2012年06月28日 | 気になる世間
ずーっと
自分のものになるもなんて、
世の中にはない。
いつかは手放す。
ちょっとの間だけ、
預かっているだけのこと。

でも、そのことは、
いつも忘れている。

だから、
自分のものにする、
っていうことばかりを
目指して、必死に、
がんばろうとする。

得たもので、
自分が意味づけられる、
そんな強迫観念すら、
持っているかもしれない。

誰かが持っていれば、
欲しくなる。

まだ誰も持っていないから、
欲しくなる。

欲しい気持ちは、
キリがない。

人は、欲しくなる生き物なのだ。
どこかで、それをあきらめないと、
その気持ちに、自分が苦しめられる。

別に、なくたっていいじゃないか。
そんな気持ちになることが、時には大切。

「どう活かせるか」 って問えるようになりたいもんだ。

2012年06月27日 | 気になる自分
例えば普通列車の旅で、
降りる駅を間違えたとする。

あ、間違えた、
と気づいて、
駅の構内で次の列車を
待っているよりも、

せっかくだから、
駅の外に出て、
その街並みを楽しんでみる
っていうのも、
旅の楽しみ方だと思う。

もしかしたら、
駅前は過疎化していて、
さびれた中途半端な街並みだけが
残っている状態かもしれない。

それでも、
何かしら見つかることも
あるだろう。

同じように、失敗から、
できるだけ早く逃れようと、
もがくよりも、

せっかく
失敗したんだからということで、
その周辺を見回してみるのは、
何かしらの収穫になるかもしれないだ。

失敗でも、
もらいものでも、
拾ったものでも、
捨てるようなものでも、
他の人にとっては無価値なものでも、

自分の気づき、考え、
アイデア次第で、
いくらでも活かせる。

ああ、無駄だった、
損した、意味なかった、
と結論づける前に、
「どう活かせるか」
って問えるようになりたいもんだ。

「知らなかったんです」 「分からなかったんです」 「教えられなかったんです」

2012年06月26日 | 気になる自分
知らないことで、
分からなかったことで、
ミスを招いてしまったことがあります。

きっと、たいていの人に
あるんじゃないだろうか。

そのときに、
言いたくなるんですよね。

「知らなかったんです」
「分からなかったんです」
「教えられなかったんです」

けれど、
言いたくなると同時に、
その言い訳の無意味なことも
分かってきています。

分からなかった、
聞いてなかった、
知らなかった、
で済まないこともあるから。

分かる機会があったのに、
聞く機会、知る機会があったのに、
それから逃げていれば、
言い訳にできるわけがない。

あと、
分からないことがある、
っていうことを
自分に許せない時期も
あるように思います。

すべてスッキリ
分かっていたい感じです。

でも、それも、
かなり難しいこと。

だからっていうことで、
知ってるフリで通すのにも、
やっぱり無理がある。

分からないことに出会ったら、
その都度、ちゃんと向き合う。

これ以外にないのでしょう。

買い物の値段は たいそうむずかしい。

高いのか安いのか、 それとも妥当なのか。 買い物の値段は たいそうむずかしい。 それどころか 人生の永遠の課題でもある。 (野蛮な読書、平松洋子) お正月には、 ほとんどの売り場に、 「福袋」が並んでいます。 かなり以前には、 その中身は買ってからの楽しみ、 ということが多かったように思うが、 今は、最初から 分かっていることの方が多い。 福袋っていうより、 ふつうの買い物であり、 問題は、その値段で お得かそうじゃないか、 ってことになっている。 何を、いくらで買うか、 いくらだったから買わないのか、 っていうのは、生き様に通じる。 何かを買う、 っていうのは、 お金と交換するばかりでなく、 それに付き合う時間を作る、 っていうことも含めて 決めていることになりますからね。 逆に買わない、っていうのは、 今持っているものと付き合う時間の方を 大切にするってことだろうし。 お金が流通するようになってから、 買い物は、生きることと同じくらい、 大切なことになっちゃっている。 てきとうにやることもできないし、 逃げることも、 まかせっぱなしも、 できないことだろうなぁ~^^