ちょっと気になる世間のこと、自分のこと

気になるアレコレ。自己満備忘録。
勝つか、負けるか、やるだけやるさ。

自分は自分、他人は他人、 というのを決める「根っこ」は、 必ず存在するはず。

2012年04月30日 | 気になる人々
人には、外見を
変えたくらいじゃ、
びくともしない、
根っこみたいなものが
あるのかもしれませんね。
背骨みたいに。


ツイッターにこんな書き込みが。

ワタシもそう思います!(-^〇^-)


ある人の
変わらない部分を、
うらやましいと
思ったりします。

一方、
別の人の
変わらない部分に
イライラして
しまうこともあります。

それは、やっぱり、
変わらないだけに
受けてしまう感情でしょう。

もしかしたら、
自分の変わらない部分についても、
それと同じようなことが
あるのかもしれない…

自分のことについては、
変わらないんだから
しょうがないでしょ、
と正当化するとしたら、
他人についても、
それを認めなければいけない。

たしかに、
ちょっとやそっとのことで、
変わらない「根っこ」はあるでしょう。

そして、
そういうのがあるから、
「その人」っていう個性が
印象づけられるんだと思います。

見た目を変えたところで、
どうにもならない。

自分は自分、他人は他人、
というのを決める「根っこ」は、
必ず存在するはず。

磨くべきは、
その根っこの方かもしれないですね。

余計なプライドは、 知らないうちにもたげてくるものです。

2012年04月29日 | 気になる自分
自分はできるんだ、
とプラス思考で思うことと、
今の自分はまだ出来ない、
と冷静に現実を見ることには、
矛盾はないかもしれない。

しかし、
できる自分を目指して
がんばるのと、
できる自分でなきゃいけない、
というプライドで、
「できる自分」を演じるのは、
微妙に違う。

それは、そのうち、
苦痛でしかなくなるから。

本来、
できる自分を目指すことは、
自分の能力の限界と戦うことだから、
純粋に、楽なことばかりじゃない。

けれど、
それが達成されたときは、
やっぱり、満足感は高い。

その達成感と満足感を
目指してがんばっている自分と、

そうじゃないことに
がんばっている自分が、
私にもあるように思います。

ちょっとずつズレて、
そこにたどり着くんですよね。

できる自分を目指す努力でなく、
できる自分を演じる小細工に
努力してしまう自分に。

「なる」ことでなく、
「見せる」だけの自分に。



もちろん、後になれば、
その苦しさ、虚しさに
気づきますから、
その努力は止めたくなりますがね。

余計なプライドは、
知らないうちにもたげてくるものです。

世界がもし100人の村だったら…

2012年04月28日 | 気になる世間
もし現在の人類統計比率をきっちり盛り込んで、
全世界を人口100人の村に
縮小するとしたらどうでしょう。

80人が標準以下の居住環境に住み、
70人は文字が読めず、
50人は栄養失調、
ひとりは死にかかり、
ひとりはもうじき生まれ、
ひとり(そう、たったひとり)は
大学での教育を受け、
ひとりがコンピュータを所有している。

(インターネット上を転送され続けているメール)
 

 
先日、ネットの本屋さんで、
「世界がもし100人の村だったら…」
という本を見つけ、開いた次第。

我々は、広い世界に住みながら、
狭いところしか見えていないのが、
よく分かった。

そういう私たちに、
その世界をわざと狭くさせて、
これでも、自分の裕福さ、恵まれている状態に、
気づかないの? と、疑問符を投げかける。
そんな本でした。


弱音を吐き、 ぼろぼろになって倒れ、 また立ち上がる。

2012年04月27日 | 気になる人々
弱音を吐き、
ぼろぼろになって倒れ、
また立ち上がる。

人は誰でもその繰り返しでしょう。


でも、いつかそれも終わる。


ある人のブログにこう書かれてました。


なるほどね!


生きていれば、
だいたいは転びますよ。

転べば、汚れる。

汚れがすっかり取れるまで、
時間は待ってくれない。

汚れたまんま、出向かなくちゃいけない
っていうこともある。

それが人生かな。



世の中の厳しさは、 言葉で言われて 実感できるもんじゃない。

2012年04月26日 | 気になる世間
世の中、
甘いわけがない。

けれども、
世の中は厳しい
と思い込みすぎて、
何にも手を出せないよりは、

甘い展望をもって
何かを始めて、
打ちひしがれながらも
またがんばれる力が
残っていたほうがいい。

そして、ちょっとずつ
成長していけばいいのだ。

そのほうが現実的だ。

そして、
ここが大切だと思うのだが、
私も言ってしまう

「世の中は厳しいよ」

っていう言葉には、
ちょっといじわるが
含まれていることも
覚えていたほうがいい。

親身になって
アドバイスをしているように
見えていて、

自分自身が、
その世の中の厳しさに
打ちひしがれている時、

その同じ厳しさを実感せずに、
好き勝手生きているように
見える人間に対して、
ちょっとした腹立たしさを感じ、

まるで自粛を促すかのように、
「世の中は厳しいよ。
 そんなんじゃ、大変なことになるよ」
と水をさしてみたくなるからだ。

世の中の厳しさは、
言葉で言われて
実感できるもんじゃない。

自分の思い通りにならない時初めて、
猛烈に実感できるもの。

世の中が厳しいなんて、きっと、
誰もが、言葉ではわかっているんだ。

買い物の値段は たいそうむずかしい。

高いのか安いのか、 それとも妥当なのか。 買い物の値段は たいそうむずかしい。 それどころか 人生の永遠の課題でもある。 (野蛮な読書、平松洋子) お正月には、 ほとんどの売り場に、 「福袋」が並んでいます。 かなり以前には、 その中身は買ってからの楽しみ、 ということが多かったように思うが、 今は、最初から 分かっていることの方が多い。 福袋っていうより、 ふつうの買い物であり、 問題は、その値段で お得かそうじゃないか、 ってことになっている。 何を、いくらで買うか、 いくらだったから買わないのか、 っていうのは、生き様に通じる。 何かを買う、 っていうのは、 お金と交換するばかりでなく、 それに付き合う時間を作る、 っていうことも含めて 決めていることになりますからね。 逆に買わない、っていうのは、 今持っているものと付き合う時間の方を 大切にするってことだろうし。 お金が流通するようになってから、 買い物は、生きることと同じくらい、 大切なことになっちゃっている。 てきとうにやることもできないし、 逃げることも、 まかせっぱなしも、 できないことだろうなぁ~^^