ちょっと気になる世間のこと、自分のこと

気になるアレコレ。自己満備忘録。
勝つか、負けるか、やるだけやるさ。

人の苦労なんて、いくら聞かされたって成長しない。自分で苦労しろ。

2015年08月30日 | 気になる言葉
人の苦労なんて、
いくら聞かされたって
成長しない。
自分で苦労しろ。

(瀬戸雄三)
 

後輩のために、
若い者のために、
次の世代のために、
ということで、
苦労話を始めたくなったら、
年をとった証拠かもしれない。

苦労話をする時間よりも、
何かにチャレンジする自分の時間を
大切にして生きていった方がいい。

もちろん、
あらゆる苦労話が
無駄とは言えないけれど、

自分から話したがる苦労話ほど、
効果のないものはないと思う。

苦労話を聞きたがる人でさえ、
そのほとんどの人が、
自分のものに出来ない。

それであれば、
苦労話を聞きたくない人には、
なおさら、意味をもたなくなる。

人は、なぜ苦労話を話したがるか。

やっぱり、自己憐憫?
それもあるでしょう。(´;ω;`)

そうでないとすれば、自己表現?

何も達成していなくとも、
こんなことで苦労していたんだ、
と誰かと確認できれば、
生きていた意味を理解できる。

自分の苦労を
自分で知っているだけでは、
残念ながら、それが出来ない。

苦労話は、
それを話す側のためにある。

そして、ごくわずかな聞き手だけが、
自分自身のために賢く役立てられる。

そう思っていた方がいい。

じゃないと、苦労話が浮かばれない。(*´∀`*)


ひらめいたら、 追求するんだ。

2015年08月25日 | 気になる言葉
ひらめいたら、
追求するんだ。

とことん追求して
やり遂げてみるんだ。

(ウォルト・ディズニー)

 
まわりから見たら、
おかしいんじゃないと、
っていうくらい追求してみて初めて、
得られるものがあるのではないでしょうか。

けれど、その
「おかしいんじゃないか」
という視線に負けて、

そこで止めてしまい、
逆に、自分の方も、
誰かに対して、
「変、おかしい」とか言いながら、
笑う側になったら、
おそらく、何も果たせない人間になる。(´・ω・`)

笑う側の人間と、
笑われる側の人間、
立ち位置が違うだけで、
結末は大きく違う。

追求するには、
そういう覚悟が必要だと思います。

もしかしたら、
覚悟が弱いうちは、
コッソリと追求して
がんばっていた方がいいかもしれない。

自分のがんばりたい気持ちが
つぶれないように。

それは、
夢を見ることについても、
言えると思う。

ディズニーの言葉にもあります。

「すべては夢見ることから始まる。 」

スタート地点が大切。

他人の目を気にして、
スタートできなくなるくらいだったら、
最初は、コッソリと始めてもいい。

始めることも、追求することも、
自分の揺るがない決断が大切だから。

情報が不足しているわけじゃないよ。 考えが及ばないだけだ。

2015年08月24日 | 気になる世間
情報が不足しているわけじゃないよ。
考えが及ばないだけだ。

(すベてがFになる、森博嗣)

 
情報が多くても、
少なくても、正しいことが
分からなくなることがあります。

私たちに、
いいアイデアが浮かばないのは、
情報の量が問題とは限らない。

その証拠に、
情報が多くても、
迷うときには迷うし、

それは、情報が少なくても、
同じように迷ってしまう。

結局のところ、
集められた、あるいは、
集まってきた情報を、
うまく消化できなければ、
何も生まれない。

ただ集められた情報に
過ぎないことになる。

それは、趣味、
コレクションみたいなもの。

もしかしたら、
情報を増やそうとする前に、
考えるべきことが
あるのかもしれない。

考えていないだけで、
気付いていないことが
あるのかもしれない。

考える方向を、
考えられる引き出しを、
増やしておくこと。

情報を増やす前に、
そういうことが
大切なんでしょうね。

そういう土台があって初めて、
情報が集まってきたときに、
いい考え、アイデアが生まれる。

がんばりましょう。(p`・ω・´q)

人生には様々な岐路がある。 だが、それに気づくのは いつも後からだ。

2015年08月23日 | 気になる自分
人生には様々な岐路がある。
だが、それに気づくのは
いつも後からだ。

(シャイロックの子供たち、池井戸潤)

 
いつも後になってから気づく。

少し気づきかけていても、
忘れてしまって
その時点を通り過ぎてから、
やっぱり、後になって気づく。

人間は、
そういう生きものかもしれない。(´・ω・`)

ある意味、仕方ない。

しゃべってから、
言わなければよかったと思い、

食べてから、
食べなければよかったと思い、

やめてから、
やめなければよかったと思う。

買ってから買わなけりゃよかったと思う。

・・・・・

いつも後になってから
冷静になれるから。

その最中には、
冷静さをなかなか取り戻せない。

でも、気づかないよりはマシだ
と思うことにして、
これからも後に気づくことで、
どうにかこうにか成長します。(*´∀`*)

人は人。自分は自分。 この世の中に一人として同じ人間は、 いないじゃないか。

2015年08月22日 | 気になる言葉
人は人。自分は自分。
この世の中に一人として同じ人間は、
いないじゃないか。
そんな自分のことばかりを
気にしていても仕方ないじゃないか。

(穂足のチカラ、梶尾真治)

 
人と比べるのは悪いことだ、
とばかり言われることが多いけれど、

まったく比べないわけにはいかないし、
そもそも、比べることが悪いわけじゃない、
と思います。

問題は、
「比べ方が悪い」ことでしょう。
あるいは、
「比べた後の表現が悪い」のが
問題ではないでしょうか。

あの人は、
自分よりも優れている、
という結果があって、

どこが優れているんだろうか、
どうやってそれを伸ばしているんだろうか、
自分もそこに到達したいとした場合、
何ができるんだろうか、
みたいな考え方ができればいいんだろうけど、

「自分はダメだ」みたいな結論で
終わってしまうから苦しくなる。(ノ∀`)ノ

はたまた、
本当に欲しい部分じゃないのに、
ただ「うらやみ」だけで比較して、
「持っていない」という事実に
悔しがっている場合もある。

比べ方を誤る、
比べた後の表現を誤る、
っていうのは、
自分と他人を苦しめることが多い。

比べなくていいのに…
というアドバイスは最もだけれど、

世の中で生きていて、
比較とか競争から全く離れて、
生きることなんて難しい。

山の中にでもこもるしかなくなる。(*´∀`*)

比べ方はいろいろある、
比べた結果の表現もいろいろある。
それを覚えていたいものです。

買い物の値段は たいそうむずかしい。

高いのか安いのか、 それとも妥当なのか。 買い物の値段は たいそうむずかしい。 それどころか 人生の永遠の課題でもある。 (野蛮な読書、平松洋子) お正月には、 ほとんどの売り場に、 「福袋」が並んでいます。 かなり以前には、 その中身は買ってからの楽しみ、 ということが多かったように思うが、 今は、最初から 分かっていることの方が多い。 福袋っていうより、 ふつうの買い物であり、 問題は、その値段で お得かそうじゃないか、 ってことになっている。 何を、いくらで買うか、 いくらだったから買わないのか、 っていうのは、生き様に通じる。 何かを買う、 っていうのは、 お金と交換するばかりでなく、 それに付き合う時間を作る、 っていうことも含めて 決めていることになりますからね。 逆に買わない、っていうのは、 今持っているものと付き合う時間の方を 大切にするってことだろうし。 お金が流通するようになってから、 買い物は、生きることと同じくらい、 大切なことになっちゃっている。 てきとうにやることもできないし、 逃げることも、 まかせっぱなしも、 できないことだろうなぁ~^^