ちょっと気になる世間のこと、自分のこと

気になるアレコレ。自己満備忘録。
勝つか、負けるか、やるだけやるさ。

人生は一度きりだけど、 その中でのステージは 一つとはかぎらない。

2012年03月31日 | 気になる自分
何かにつけ、
うらやましいなぁ、
って思いながら、

誰かを眺めている時が、
けっこうあります。

持っているお金でも、モノでも、
容姿でも、人間関係でも、才能でも、
ほとんどが、目に見えるものについて。

不思議なもんです。
目に見えないものについては、
めったに、うらやましがることはない…

そして、
その「うらやましさ」を
なだめるために、

その人が持っている、
ほかのことも考えたりするんです。
特に、それ以外の、
自分の方が持っているらしいものと
比べることが多い。

そういうもの全部をひっくるめて、
人生を交換するとしたいのかって、
自分に問いかける。

すると、うーん、嫌だなぁ…
今の方がいいなって結論になる。

それは、まだ、
幸せな証拠なんでしょう。

本当に足りないんじゃなくて、
欲張りなだけ、っていうこと。

手に入っていないこと、
失敗したことに気づくのは、
自分の人生に、また
新たな舞台をつくるチャンス
なのでしょう。

やれるだけのことを 精いっぱいやるしかない、 のが現実。

2012年03月30日 | 気になる人々
〆切や納期が
近づいてきているのに、
なかなか思うようにいっていない、
ということは、

勉強や仕事をしていれば、
きっと経験することだと思います。

追い込まれて、
選択肢がどんどん
狭くなっているな、
っていうような状況です。

それでいながら、
やってみればいい、
と分かっているのに、

やりたくないなぁ、
面倒くさいなぁ、
もっと楽な方法はないかなぁ、
と思いながら、
避けていたりすることも
あったりします。

試すことから
「逃げる」
という選択肢が
目の前にちらつくうちは、

残念ながら、
まだ本気じゃない自分を
認めざるを得ません。

状況をなんとしてでも、
好転させたいのなら、
好き嫌いなんか言ってる場合じゃない。

やれるだけのことを
精いっぱいやるしかない、
のが現実。

やれるだけのことを
やらなくていいのは、
状況が変わってくれた時
だけでしょうから。

夢は、 語られるばかりのものじゃなく、 人を突き動かすもの。

2012年03月29日 | ひとり言
夢という言葉を
使いたがる人がいる。

そして、それに加えて
「今の人は夢がない」
なんて語りだす人もいる。

そういう人を見て、
夢という言葉を
使いたがらない人もいる。

「愛」という言葉が、
薄っぺらく思えてしまうのと
同じだ。

あなたの夢は何?
なんて聞かれると、なんだか、
答えずらい気もします。

一方的に、
私の夢は、僕の夢は…
と長々と話されるのも、
なんだか虚しい。

夢を語る暇があったら、
動きはじめたほうがいい。

というより、夢があるなら、
自然と行動に出ているはずだろう。

たとえ、もがいたり、
何も進んでいないように
見えても。
動いていれば、
それは夢に向かっていること。

夢は、
語られるばかりのものじゃなく、
人を突き動かすもの。

語ってばかりものにしていたら、
それこそ、もったいない。


健康な「不足感」というものが、 人生には、いい味をもたらすと思います。

2012年03月28日 | ひとり言
人それぞれ、
足りないと思うものがあります。

お金が足りない
と思う人もいれば、

人間性の何かが足りない
と感じる人もいる。

人が恋しい
と思う人もいれば、

一人になれる時間がほしい
と渇望する人もいる。

足りないものがあると、
それをなんとかしようと考える。

他人と比べないと、
その足りないものを
感じられない人もいる。

他人と比べすぎて、
足りないものに
ストレスを感じすぎる人もいる。

足りない何かのために、
ちょっとしたストレスを感じるのは、
きっと、人生に必要なのだ。

ある意味、
健康な「不足感」というものが、
人生には、いい味をもたらすと思います。

不足感が健康でないと、
自分が頑張ることよりも、

不平・不満を言うことや、
他人をうらやむこと、
足を引っ張ること、
運命のせいにしたり、
逃げることばかりに
集中するようになるだろうな。

何だか足りないな、
もっと欲しいな、
って思ったときは、
チャンスなのだ。

勉強する気のない心ほど、 マズイものはない。

2012年03月27日 | 料理
わたしは、
心がこもっていれば
どんな料理もうまい、
なんてウソはつかない。

心がこもっていても、
まずいものはマズイ、
と正直に思う。

しかし、
そうだとはしても、
その料理をつくった人の心は、
いくらか味わえるんじゃないか、
と考える。

もしも、
「ここの味つけは、
 もっとこうしたらいいと思う」
と言って、素直に勉強しよう、
という態度が見られるなら、
その人の心は味わうだけの価値がある。

そうではなく、
心をこめて作ったんだから、
ぜんぶ食べてくれたっていいじゃない、
なんて当然の態度に出るようなら、
味わうだけの心でなかったということ。

心を味わってもらう、
ということは、
料理はまずくてもいい、
と開き直ることじゃない。

料理に限らず、
人の前に差し出すものについて、
勉強できることは勉強した上で、
最善のものをお出ししたか、
そういう心を持っていたか、
ということだろう。

心を味わう側も、
心を味わってもらう側も、
勘違いしちゃいけない。

勉強する気のない心ほど、
マズイものはない。
自戒もこめて、そう思っている。

買い物の値段は たいそうむずかしい。

高いのか安いのか、 それとも妥当なのか。 買い物の値段は たいそうむずかしい。 それどころか 人生の永遠の課題でもある。 (野蛮な読書、平松洋子) お正月には、 ほとんどの売り場に、 「福袋」が並んでいます。 かなり以前には、 その中身は買ってからの楽しみ、 ということが多かったように思うが、 今は、最初から 分かっていることの方が多い。 福袋っていうより、 ふつうの買い物であり、 問題は、その値段で お得かそうじゃないか、 ってことになっている。 何を、いくらで買うか、 いくらだったから買わないのか、 っていうのは、生き様に通じる。 何かを買う、 っていうのは、 お金と交換するばかりでなく、 それに付き合う時間を作る、 っていうことも含めて 決めていることになりますからね。 逆に買わない、っていうのは、 今持っているものと付き合う時間の方を 大切にするってことだろうし。 お金が流通するようになってから、 買い物は、生きることと同じくらい、 大切なことになっちゃっている。 てきとうにやることもできないし、 逃げることも、 まかせっぱなしも、 できないことだろうなぁ~^^