ちょっと気になる世間のこと、自分のこと

気になるアレコレ。自己満備忘録。
勝つか、負けるか、やるだけやるさ。

自分に置きかえないとわからないっていうのは、 想像力が足りないんだろうな。

2012年09月30日 | 気になる自分
台風&大雨で、行方不明の人がいるニュース。

そこから心が遠い自分でも、
その行方不明者が自分の家族たちだったら、
と思い始めてやっと、身に詰まってくる。

自分に置きかえないとわからないっていうのは、
想像力が足りないんだろうな。

自分に置きかえもしないで、
ただニュースに騒いでいる自分はバカだな。

結婚はあなたのゴールではない

2012年09月29日 | 気になる言葉
「ずっと一人で生きていくのは寂しい」
という人も多いけれど、
結婚したら必ず
その寂しさが解消されるのか
といえば、それは疑問だ。

形式上は夫婦であっても、
心の距離がすっかり離れて
しまっている夫婦だってめずらしくない。
二人でいて感じる寂しさは、ときに
独り身で感じる寂しさよりも
はるかにつらいものだろう。

(結婚はあなたのゴールではない、石田衣良)



人は必ず、
一人になる時がくると
思います。

それはずーっと
という意味でなく、
日々の生活の中においても、
伴侶や家族がいても、

一人で考えたり、
一人になったほうがいい時も
あるという意味で。

そういうことから
逃げたいために、
だれかといっしょに
いられたら楽だ、
って思うのは、
ちょっと違うかもしれない。

二人でいることによる強さとか、
安心感や安定感、楽しさは、

一人でいるときに
培われたもんじゃないか、
と気づかされます。

だって、
依存することで
心の得られる安心感、
っていうのは、

相手も人間だから、
いろんなことが起きることで、
浮き沈みなしにはいられないから、
依存している分、
それに左右されるのは
避けられないでしょう。

そうなれば、
二人でいることで、
かえって揺り動かされる羽目になる。

いっしょに動かされて、
二人でパニックっていたら、
しょうもない。

二人でいることの安心感は、
依存じゃあない。
別の視点で物事を眺め、
互いにサポートし合えることから
生まれるものだと思うのです。

それがないと、二人なのに、
一人よりも寂しい関係を
つくる自分になってしまう。

いつの時代も、人間は コミュニケーションを したがる生物である。

2012年09月28日 | 気になる世間
いつの時代も、人間は
コミュニケーションを
したがる生物である。

だれかとつながっていたい。
これは食欲や性欲、
睡眠欲などと並ぶ、
人間の本能的な欲望だ。

人間の本質は変わらない。
こう考えれば、
どんなメディアの時代が来ても
さほど怖くない。

(使ってもらえる広告、須田和博)


今の時代からすれば、
家庭の固定電話など
古いものになってきていますが、

そんな電話を、
おそろしいツールだと思って、
遠ざけていた人が
登場したばかりの時にはいたはず。

そういう現象は、
パソコンの時にも、
そうだったろうし、

ポケベルや、
携帯電話の時も、
同じだったでしょう。

人間は、とにかく、
人とつながっていたいだけ。

その方法は、進化していく。

ただ、新しいものが出たばかりの時には、
慣れているコミュニケーション方法に
執着したりもする。

つながりたい、
という願いを叶えるために、人間は、
いろんなツールを生み出している。

とは言え、
ついていけないと考える人もいる。

そのうち、脳と脳を
無線でつながあって、
コミュニケーションできる方法とかも
出てくるんじゃないかな。

その時代には、
声を出しての会話は、
なくなってしまう?

たしかに、味気なさそうだけど、
つながりたい願望のためなら、
人間はそこまで進化しても
おかしくない気がします。

今の自分は、何に 心や時間を注いでいるか。

2012年09月27日 | 気になる言葉
人がお金を持ったときって、
その人の器量が問われるんだよね。
それがどんな形で現れるかというと、
その人のいちばん弱いところに現れるの。

たとえば地位や名誉に弱い人には、
そうした心をくすぐるような
投資話が来るんです。
それで見栄をはったりすると、
その見栄に転ぶんです。
男性で女に弱い人は女で失敗したり、
芸能人に弱い人は芸能人にハマって
引っかかったりするの。
こうやって天の試練は必ず
その人のいちばん弱いところに現れて、
その人の器量を試すんです。
人生はそうやって、
弱いところを強くする
という修行なんだよね。

(器、斎藤一人+柴村恵美子)


お金で転んだ経験を
思い返してみると、
やっぱり弱点なところに
罠がやってきたなと気づかされます。

きっとお金だから、
失敗したわけじゃないと
思うんです。

お金で失敗したところには、
だいたい時間も注いじゃっている。
そう思います。

もっとさかのぼれば、
心を注いじゃっているんです。

注ぐに値しないもの、
もしくは
注ぎすぎてしまったことには、
自分のとらわれがある。

そのとらわれが、
自分のもっているものを、
そこに注がせて、

その中でも
お金なんかは見えやすく、
分かりやすいから、
「損した」「失敗した」
という感覚が残りやすい。

本当は、それ以前に注いでいる、
心や時間でミスっているんだけどね。

今の自分は、何に
心や時間を注いでいるか。
それが自覚できれば、
お金の失敗をする前に
やめられるだろうけど、
なかなか、そうはいかないのが人間なのかも知れません。

あいさつというものは面白い。

2012年09月26日 | 気になる自分
あいさつは
自分があいさつをしたい人に
気持ちを届けるのみならず、

自分がどういう人間か、
人にどう序列をつけているかまで、
周りから同時に瞬時に観察され、
それが露呈する。

(ツイッターより)



まったく、
この通りだと思う。

わたしは以前、
料理屋の店員で
元気なあいさつを身につけてから、
自分のあいさつはいいはずだ、
とおごっていたけれど、

もしかしたら、
最近はそうでもないかもな、
という気がする。


顔見知りであろうがなかろうが、
その日初めて会った時に交わすのが
あいさつというもの。


これに、
相手への思いが表れるのは、
たしかに当然のこと。



あいさつされて当たり前、
と思うほどにはなっていないけど、
時々あいさつが面倒だと思うのは、
黄色信号だな。

この言葉を肝に命じて、
あいさつをしたいものです。

買い物の値段は たいそうむずかしい。

高いのか安いのか、 それとも妥当なのか。 買い物の値段は たいそうむずかしい。 それどころか 人生の永遠の課題でもある。 (野蛮な読書、平松洋子) お正月には、 ほとんどの売り場に、 「福袋」が並んでいます。 かなり以前には、 その中身は買ってからの楽しみ、 ということが多かったように思うが、 今は、最初から 分かっていることの方が多い。 福袋っていうより、 ふつうの買い物であり、 問題は、その値段で お得かそうじゃないか、 ってことになっている。 何を、いくらで買うか、 いくらだったから買わないのか、 っていうのは、生き様に通じる。 何かを買う、 っていうのは、 お金と交換するばかりでなく、 それに付き合う時間を作る、 っていうことも含めて 決めていることになりますからね。 逆に買わない、っていうのは、 今持っているものと付き合う時間の方を 大切にするってことだろうし。 お金が流通するようになってから、 買い物は、生きることと同じくらい、 大切なことになっちゃっている。 てきとうにやることもできないし、 逃げることも、 まかせっぱなしも、 できないことだろうなぁ~^^