ちょっと気になる世間のこと、自分のこと

気になるアレコレ。自己満備忘録。
勝つか、負けるか、やるだけやるさ。

人生の半分は トラブルで、 あとの半分は それを乗り越えるためにある

2013年06月30日 | ツイッター
人生の半分は
トラブルで、
あとの半分は
それを乗り越えるためにある

(twitter より)


ちょっとウンザリする
ような言葉ですが、

なんかあきらめのつく言葉
にも思えます。

もしかしたら、
こんなことも言えるかな。

「人間の半分は、
 トラブルをつくる人で、
 あとの半分は、
 それらを解決する人である。」

いやいや、実際は、
トラブルをつくる人が半数以上、
もしかしたら7、8割に迫る勢い?

なんてことを書いている自分が、
そのトラブル・メーカーの側にいない、
と思い込んでいるあたりが、

世の中に、トラブル・メーカーが
増える原因かもしれない。

いずれにしろ、
トラブルがあるのが、
「普通」の人生であって、
トラブルは必ず起きるんです。

大切なのは、そのトラブルに、
どういう心構えで、
どう向き合っていけるか、
っていうこと。

トラブルがない、
って思い込んでいる時よりも、
トラブルに立ち向かって、
突き進んでいる時の方が
何倍も幸せかもしれません。

今でしょ!(*´∀`*)

2013年06月28日 | 気になる言葉
大丈夫だよ。
やりたいと思ったときが、
時間のある時なんだ。

そういうのをしなくなったら、
時間の奴隷になっちゃうよ。
やりたいと思ったときに、
ぱっと手を出さないと
届かなくなることがあるんだ。

(王国<その1> アンドロメダ・ハイツ、よしもとばなな)



今はまだ、また今度、
とか言いながら、
延ばし延ばしにしているうちに、
そのチャンスは、なくなってしまう。

もしかしたら、
二度となくなることさえある。

やりたいと思ったとき、
ほかの何を後回しにしても、
それに集中してがんばる、
と思ったときが、
それを成し遂げられるとき。

それ以外のときには、
同じことを手にかけても、
なかなか、進まなかったりする。

たとえば、
届いたメールへの返事。

よくよく考えてから、
と後回しにしていると、
さあ書こうかと思うときに、

また、受け取ったメールを
読み直すことになる。

そこで悩んだり、
考え込んだりしているうちに、
別の邪魔が入って、
返事を書き終わることが
できなくなる。

しばらくして、
よし返事を書こうと思い立っても、
メールの内容が記憶のなかで
あいまいになっていたりするから、
さらに読み直すことになる。

そんな繰り返しで、
結局、なかなか返事を書けずに、
相手の心をじらさせてしまう。

こんなことに限らず、
きっかけがあった瞬間に、
一気に何かしらの行動を起こしておくのが、
いいスタートの秘訣。

それをしないと、いつまで経っても、
スタート地点に立てないことになる。

最初のステップは、 まず始めることです。 次のステップは、 続けることです。

2013年06月27日 | 気になる言葉
最初のステップは、
まず始めることです。

次のステップは、
続けることです。

(H・デビット・バートン)


その次のステップは、
「変えること」です。

と言える気がします。

そして、変えることというのは、
「また始める」ことだから、
私たちは、いつも何かを
始めていることになる。

逆に、何も始めていなければ、
さぼっていることになるのかも…

始める、続ける、変える。
始めない、続けない、さぼる。

何かが変わって欲しいと願う人が、
何も始めなければ、
何かが変わることは、めったにない。

なかなか始めない人に限って、
始めたらすぐに変わることを
願っていたりする。

だから、変わらないと、
すぐにやめたくなって、
続かない。

また、いきなり、
大きなことを始めようとする人もいる。

とりあえず、小さなことを始めて、
着々と続けることをバカにしていたり
するんですよね。

小さなことを続けられない人が、
大きなことを続けられるわけがない。
そう思います。

まず、始める。
そこからスタートですね、今日も。

わしを困らせたのは無知じゃない。 無知じゃないと 自分で思いこんでいたことさ。

2013年06月26日 | 気になる言葉
わしを困らせたのは無知じゃない。
無知じゃないと
自分で思いこんでいたことさ。

(アンクル・ズィーク)


既に知っている、
もう知ることは何もない、
このままの方法でずっと行ける…

そんなふうに思い始めた瞬間から、
自分の刃は、錆びていく。


あくまで、私自身の考えだけど、
今ある不景気の原因の一つも、
これなんじゃないか、と思っている。

人って、好きなことは、
際限なく、追求すると思う。
学ぼうとすると思う。
決して、これで十分、なんて思わない。

だから、そういう探求心がなくなるのは、
義務とか、単にお金目当てとか、
地位や名誉が目的とか、
そんな動機がからんでいるからだろう。

つまり、何かしら、
目に見える目的が果たされると、
「もう、終わり。十分、知った。」
ってことになる…

何でもいい。
探求心が消えそうにない対象、
見つけてみませんか?

そうすれば、他の分野でも、
自分の学ぶ気持ちの良否が見えて来ますよ。

見下されない高さまで上り詰めるしかない。

2013年06月24日 | 気になる言葉
自分が見下されているから、
人を見下そうとするのだ。

見下されない高さまで
上り詰めるしかない。

(訳あり、横山秀夫)



見下されるのが悔しいと言いながら、
何の努力もせずに、
自分より劣っているものを探して、
見下そうとする人は、
イヤな感じがしますね。

見下されない高さまで
上り詰めようとする努力だけで、
意味があると思う。

1つは、
見下されていることを
忘れていることができる。

もう1つは、
もしかしたら、
見下されない高さまで
上り詰めることができるかもしれない。

でも、上り詰めたことに安心して、
ほかの人を見下し始めた瞬間に、
また、見下されることになるだろう。

ただ、一番幸せなのは、
見下されていることに
気づかない精神なのかも。

だから、見下されないようにがんばる、
っていうのは、1つのきっかけに過ぎない。

そういう努力ができる自分を感じた時に、
見下されるかどうかを気にしなくていい、
と思えるようになることもある。

人を見下したところで、
自分の人生の「質」が
よくなるわけじゃない。

逆に、見下されたところで、
自分の人生の「価値」が
下がるわけでもない。

自分が自分の人生をどう見るか。
それが大切なんだと思います。


買い物の値段は たいそうむずかしい。

高いのか安いのか、 それとも妥当なのか。 買い物の値段は たいそうむずかしい。 それどころか 人生の永遠の課題でもある。 (野蛮な読書、平松洋子) お正月には、 ほとんどの売り場に、 「福袋」が並んでいます。 かなり以前には、 その中身は買ってからの楽しみ、 ということが多かったように思うが、 今は、最初から 分かっていることの方が多い。 福袋っていうより、 ふつうの買い物であり、 問題は、その値段で お得かそうじゃないか、 ってことになっている。 何を、いくらで買うか、 いくらだったから買わないのか、 っていうのは、生き様に通じる。 何かを買う、 っていうのは、 お金と交換するばかりでなく、 それに付き合う時間を作る、 っていうことも含めて 決めていることになりますからね。 逆に買わない、っていうのは、 今持っているものと付き合う時間の方を 大切にするってことだろうし。 お金が流通するようになってから、 買い物は、生きることと同じくらい、 大切なことになっちゃっている。 てきとうにやることもできないし、 逃げることも、 まかせっぱなしも、 できないことだろうなぁ~^^