ちょっと気になる世間のこと、自分のこと

気になるアレコレ。自己満備忘録。
勝つか、負けるか、やるだけやるさ。

そのうちやる

2017年09月30日 | 気になる自分

「そのうちやる」
という名の通りを歩いて行き、

行き着くところは
「なにもしない」という名札の
かかった家である。

(人生はニャンとかなる!、水野敬也)





歳はとりたくない、
と思ってくる感覚は、
若いときには、ありませんでした。

最近、筋力が落ちた。
特に、腹筋が...と感じます。(´-ω-`)

体幹トレーニングのDVD書籍を買い、
トレーニングを始めて約1週間。

早速、効果があった気がします。

ベルトの穴が1つ狭まった。
そして、トイレも快適。

いつかは、いつかは、
と思っていたことを、
やっと始めて、
こんなにも早く効果が出ると
分かっていたら、もっと早く
始めたらよかったなぁと思いました。

日々、どんどん落ちてくる筋力と、
重力の法則に逆らうべく、
これからも、がんばるつもりです。( ´ ▽ ` )ノ

人間はコミュニケーションをしたがる生物

2017年09月28日 | 気になる世間

いつの時代も、人間は
コミュニケーションを
したがる生物である。

だれかとつながっていたい。
これは食欲や性欲、
睡眠欲などと並ぶ、
人間の本能的な欲望だ。

人間の本質は変わらない。
こう考えれば、
どんなメディアの時代が来ても
さほど怖くない。

(使ってもらえる広告、須田和博)




今の時代からすれば、
家庭の固定電話など
古いものになってきていますが、

そんな電話を、
おそろしいツールだと思って、
遠ざけていた人が
登場したばかりの時にはいたはず。

そういう現象は、
パソコンの時にも、
そうだったろうし、

ポケベルや、
携帯電話の時も、
同じだったでしょう。

人間は、とにかく、
人とつながっていたいだけ。

その方法は、進化していく。

ただ、新しいものが出たばかりの時には、
慣れているコミュニケーション方法に
執着したりもします。

つながりたい、
という願いを叶えるために、人間は、
いろんなツールを生み出しています。

とは言え、
ついていけないと考える人もいます。

そのうち、脳と脳を
無線でつなぎあって、
コミュニケーションできる方法とかも
出てくるんじゃないかな。(^.^)

その時代には、
声を出しての会話は、
なくなってしまう?

たしかに、味気なさそうだけど、
つながりたい願望のためなら、
人間はそこまで進化しても
おかしくない気がします。(^.^)


人生でどちらの道に行くかを・・・

2017年09月27日 | 気になる言葉
人生でどちらの道に行くかを
決めるとき、
「うまくいくか、いかないか」
で決める人がいますし、たぶん、
それが大半でしょう。

私はそこがはっきりと違っていて、
「もしもうまくいったら、
 面白いかどうか」
で決めています。

(「好き嫌い」と経営、楠木建)




うまくいかないことは、
いっぱいあります。

年をとってくると、
やる前に、
うまくいきそうにないな
と、予想が立てられるようになり、

その予想の前に、
やることをあきらめてしまいます。(´-ω-`)

どうやったら、
うまくいく可能性があるかな、

うまくいったら
どんな面白いことがあるかな、

なんて考えることも
少なくなったら、
今を打破するために
何が起こるというのでしょう。

周りから、
無理だろうに、
無駄な努力なのに、
あきらめればいいのに、

とか思われながらも、
がんばれることを持てたら、
「生きる力」は強くなるんじゃないでしょうか。( ´ ▽ ` )ノ

2017年09月26日 | 気になる自分

怒りが態度や言葉として
人間の外側に現れたそのとき、
その人の器には
もう何も入らなくなっている。

つまり、怒るということは、
自分の中にある器の許容量や、
形をさらけだすということだ。

(武道館、朝井リョウ)




自分のなかに、
どんなものが溜め込まれているか、
っていうのは出してみないと
分からないと思います。

そして、それを出してみると、
意外と、たいしたものがない、
っていうことが分かることもあります。

怒り、憎しみ、嫌悪感、逃避思考、責任転嫁とか...(´-ω-`)

ああ、そんなものばかり持っている自分が
嫌だなと思ったら、今度は、
自分のなかに取り込みものについて
ちょっと考え始めます。

そういうことを考え出したとき、
人って、ちょっとマトモになるのでは
ないかと、自分の「中身」を振り返って
思った昨日でした。(*´∀`*)

死ぬ前に後悔すること

2017年09月25日 | 気になる言葉
夢を持ち続けている限り、
それはかなう可能性があるということだ。
諦めてしまえば、可能性はゼロである。
けれども諦めなければ、
可能性はゼロにはならないのである。

考えてみると、死ぬ前に後悔するのは、
夢がかなわなかったこと、
かなえられなかったこと、
そのものよりも、
むしろ夢をかなえるために
全力を尽くせなかったことに
あるのかもしれない。

(死ぬときに後悔すること25―1000人の死を見届けた終末期医療の専門家が書いた、大津秀一)




あきらめないことで
夢を手にすることもあれば、

あきらめの悪いことが、
とんでもない痛手になることもあります。

例えば好きな人をあきらめきれず、
つきまとえば、
ストーカーと呼ばれる。(´-ω-`)

一方、あきらめないで、
いくらかつきまとって、
(ストーカー行為とほぼ同じ)
恋が実ることもなくもない。(^.^)

あきらめないことというのは、
きっと、誰かに迷惑を
かけることなんだと思います。
多かれ少なかれ。

そして、その迷惑をかけたことについては、
後で、自分が責任をとらなくちゃいけない。
どういう責任の取り方を
させられるかはよく分からないから、
そういうことも覚悟の上で、
あきらめないことを貫く必要があります。

そう考えると、
あきらめることも、
あきらめないことも、
それほど違いはないような気がする。

全力を注いであきらめるか、
全力を注いであきらめないか。

毎日、そんな生き方をしてみたいものです。( ´ ▽ ` )ノ


買い物の値段は たいそうむずかしい。

高いのか安いのか、 それとも妥当なのか。 買い物の値段は たいそうむずかしい。 それどころか 人生の永遠の課題でもある。 (野蛮な読書、平松洋子) お正月には、 ほとんどの売り場に、 「福袋」が並んでいます。 かなり以前には、 その中身は買ってからの楽しみ、 ということが多かったように思うが、 今は、最初から 分かっていることの方が多い。 福袋っていうより、 ふつうの買い物であり、 問題は、その値段で お得かそうじゃないか、 ってことになっている。 何を、いくらで買うか、 いくらだったから買わないのか、 っていうのは、生き様に通じる。 何かを買う、 っていうのは、 お金と交換するばかりでなく、 それに付き合う時間を作る、 っていうことも含めて 決めていることになりますからね。 逆に買わない、っていうのは、 今持っているものと付き合う時間の方を 大切にするってことだろうし。 お金が流通するようになってから、 買い物は、生きることと同じくらい、 大切なことになっちゃっている。 てきとうにやることもできないし、 逃げることも、 まかせっぱなしも、 できないことだろうなぁ~^^