goo blog サービス終了のお知らせ 

ちょっと気になる世間のこと、自分のこと

気になるアレコレ。自己満備忘録。
勝つか、負けるか、やるだけやるさ。

ある種の人間には 深みというものが 決定的に欠如しているのです。

2014年10月15日 | 気になる言葉
ある種の人間には
深みというものが
決定的に欠如しているのです。
僕は自分に深みがあると
言っているわけじゃありません。

僕が言いたいのは、
その深みというものの存在を
理解する能力があるかないか
ということです。

(きみが見つける物語[沈黙]、村上春樹)



人間としての深み、
もっていたいと思います。

簡単に分かられない、
というようなことでなく、

話していれば、
ふれあっていれば、
なんとなく、
その奥にもっと深いものを
持っているような気がするという具合です。

人間として、
わかりにくいとは
話が違うかもしれません。

もちろん、
奥が深くて、
分かりにくい人間も
いるとは思いますが…

深みのない人間は、
もしかしたら、
その人の中に
根っこがない場合もありえます。

根っこがないから、
芯と呼べるものがないから、
人間性というものが育たない。

じっくりと
育てられたような中身が
ないから、薄っぺらに
感じられてしまう。

感じられるだけで、
本当は秘めたものを
持っているというのであれば、
問題ありません。

しかし、
本当は何もない、
というのは、
付き合っていれば、
遅かれ早かれ、
分かってしまうことなのです。

深みを育てたいものです。



人間は、これこそが 自分自身だと思っているものを 守ろうとして壁をめぐらす。

2014年10月14日 | 気になる言葉
人間は、これこそが
自分自身だと思っているものを
守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、
その壁の内側に閉じ込められ、
出られなくなってしまうのだ。

(ナイト、ロバート・フィッシャー)



知り合いの社長がこう言う。

「守りばかりする人との
 会話は楽しくない。」


なぜか? そういう人達は、
自分の価値観、あるいは、
自分の囲いの領域から外れる話題に対しては、
否定するか、無視するかのいずれかで
対応するので、そう感じるらしい。

それは、彼らがそうしないと、
自分の存在意義自体が否定されたように
感じるという心理的な要素があるためだと思う。

自分を振り返ってみても、それが分かる。

自分が信じていること、価値観に話題がふれ、
何かしら非難や批判を受けたとき、
やはり、心を閉ざそうとする自分がいる…

しかし、よくよく本質を見てみれば、
それは、決して、自分に向けられた批判ではなく、
逆に、その相手が自分の価値観や囲いを
守るために、そのような行動をする場合が多い。

ということは、お互いが守れば、
守るほど、議論は収集がつかなくなる。
自分ばかりを守っているから…

守るために、相手を攻撃する。
何か矛盾しているようだが、
心には、そういう弱い本質が隠されている。

以前にも紹介したが、
チキンランという一風変わった映画で、
ヒロインの鶏が口にした言葉を想い出す。

「フェンスは小屋の周りだけでなく、
 みんなの頭の周りまで囲っている」


外に張り巡らされたフェンスには気づいても、
自分の頭の周りに自分でつくってしまったフェンスには、
なかなか気づけないものなんです。

人間も、やっぱり…

本当のともだちを見つけるのって、 すごく時間がかかるものよ。

2014年10月13日 | 気になる言葉
本当のともだちを見つけるのって、
すごく時間がかかるものよ。
だから、気の合う子が なかなかあわられなくても、 あきらめちゃダメ。
千人中千人と気が合わなくたって、 千一人目とはぴたっと 合うかもしれない。
そういうことが起こるから、 人生、バカにできないの。

(クラスメイツ、森絵都)




友だちなんか、 いなくてもいい。 きっと、 そう言う人もいる。

けれど、その内情は、 気を遣うだけの友だち、 群れるだけの友だち、
本当の気持ちが分からない友だちは、 いらないってことだと思う。

じゃあ、 そうじゃない友だちだったら、 欲しいのかといえば、
そうなんだろうけど、 気を遣わなくていい友だち、 群れずにいても心地いい友だち、
分かり合える友だちっていうのは、 そう簡単に見つからないのも事実だ。

だから、あきらめてしまう。 あるいは、気遣いながら、 友だち関係を続けることを選ぶ。

難しい人には、 進学先、就職先を見つけるくらい、
いや、それ以上に、 難しいかもしれない。

でも、いつか、 パーッと視界が開けるように、 突然、見つかることがあることも 否定できない。

人は誰しも、 自分のことを わかってほしい生き物。

2014年10月12日 | 気になる言葉
人は誰しも、 自分のことを わかってほしい生き物。
(ハーバード流宴会術、児玉教仁)




人前で話すような場面で、 うん、うん、 とうなずいてもらいながら、
話すのは、とても心地いい。

けれど、 うなずかれないどころか、 うつむかれたり、
コソコソ話されたりすると、 話し続けることが なんとなく苦しくなってくる。

わかってもらえてる、 という安心感は、 自分の自信を強めてくれる。

だから、 わかってもらえていない、 と思える人々を前に、
わたしたちは 自分の力を出すことに 抵抗が出てきたり、
躊躇したり、 怖れたり、 逃げたりしたくなる。

出来れば、 自分が何かをする時には、 「わかってもらえる」ような環境を お膳立てしてから、
(あるいはお膳立てしてもらってから) がんばりたいと願うでしょう。


けれど、いつも、 そうなるとは限らない。

そこで、 お膳立て(もしくは根まわし)に 力を注ぐことにもがんばるか、

お膳立てなしで ぐいぐいがんばるか、 の選択になる。


どちらがいいかな。

言い訳をしてしまうと 「反省」という大切なものを なくしてしまいます。

2014年10月11日 | 気になる言葉
言い訳をしてしまうと
「反省」という大切なものを なくしてしまいます。

(矛盾があるからヒットは生まれる、稲船敬二)



まず謝るという態度と、 まず言い訳するという態度。

この両極の姿を見て、 どちらが好感をもてるか、 といえば、やっぱり、 謝るほうであって、
言い訳するほうは、 好きじゃないだろう。

けれど、 自分のことになると、思わず、 言い訳を準備してしまう場面が多いなと、
恥ずかしながら、 認めざるを得ない。

どう思われるかを 気にしながら、 好感のもたれる「謝る」ほうよりも、
好感がもたれない「言い訳」を 選んでしまうのは、
人間は、 好感がもたれるかどうかよりも、 自分の立場が正しかったかどうかに、
重きを置いている証拠なのでしょう。

そして、 「正しかった」という立場を 証明することで、
好感を得るところを 目標にしちゃってる、無意識に。

でも、言い訳というのは、 短時間で済まないことが多いから、
「正しかった」という立場の証明に、 時間がかかればかかるほど、
好感をもって欲しい人々の関心が、 どんどん遠のいてしまって、
最後は、自分一人の一人芝居状態に なっちゃってる場合も少なくない。

だれに、言い訳しているの? という具合だ。

結局のところ、 自分に言い訳して、 自分が納得したいのだろう。
反省なんかしたくないのだ。

反省はしてるんだよ、と言いながら、 言い訳してしまうのは、 そういうことだと思う。
気をつけないといけないな→自分。

買い物の値段は たいそうむずかしい。

高いのか安いのか、 それとも妥当なのか。 買い物の値段は たいそうむずかしい。 それどころか 人生の永遠の課題でもある。 (野蛮な読書、平松洋子) お正月には、 ほとんどの売り場に、 「福袋」が並んでいます。 かなり以前には、 その中身は買ってからの楽しみ、 ということが多かったように思うが、 今は、最初から 分かっていることの方が多い。 福袋っていうより、 ふつうの買い物であり、 問題は、その値段で お得かそうじゃないか、 ってことになっている。 何を、いくらで買うか、 いくらだったから買わないのか、 っていうのは、生き様に通じる。 何かを買う、 っていうのは、 お金と交換するばかりでなく、 それに付き合う時間を作る、 っていうことも含めて 決めていることになりますからね。 逆に買わない、っていうのは、 今持っているものと付き合う時間の方を 大切にするってことだろうし。 お金が流通するようになってから、 買い物は、生きることと同じくらい、 大切なことになっちゃっている。 てきとうにやることもできないし、 逃げることも、 まかせっぱなしも、 できないことだろうなぁ~^^