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ちょっと気になる世間のこと、自分のこと

気になるアレコレ。自己満備忘録。
勝つか、負けるか、やるだけやるさ。

どうせ百年後には 誰も覚えちゃいないんだ。

2012年11月15日 | 気になる世間
短い人生、
どんな風に生きたとしても、
どうせ百年後には
誰も覚えちゃいないんだ。

(モルフェウスの領域、海堂尊)


100年後、どうなってるんだろう?

自分のことについて
語り継がれることなんて
あるんだろうか?

そう考えると、
こんなこと、
あんなこと、
そんなこと、
起きたことすべてが
遠い過去のことになるっていうのは、
なんだか、スッキリして気楽だ。

目の前のことに、
こだわり続けるのも
バカらしい。

自分が
傷ついたこととか、
悲しかったことに、
とらわれすぎるのも、
なんだか、おかしい。

災難も、事故も、事件も、
私たちが今話題にしている以上に、
語られることは、まずないだろう。

100年経ったら、みんな、
たいしたことじゃないこと。

ただ、
「へー、そんなことあったんだ」
と思われるに過ぎない。

とは言っても、
生きている私たちには、
今しかない。

けれど、100年後には、
なんでもないことになっている。

どちらの視点も大切にして、
今を思う存分、生きればいいのだ。

いつ死ぬかなんて、
誰にも分からないんだから。

あなたの身のまわりにいませんか?マイナスのパワーを ただよわせている人が・・・

2012年11月14日 | 気になる人々
私たちは、
体に害を及ぼす伝染病には、
もちろん、すこぶる敏感である。

しかし、心に害を及ぼすものについては、
その伝染に、意外と無防備だったりする。

たとえば、自分の身内の誰かが
病気になったりすると、ふつうは、
いつもより弱気になったり、
落胆することが多くなる。

看病のためとは言え、
そうなった身内とずっと居ると、
こちらまでが、気が滅入ってきて、
心や生活に影響を与えてしまうことがある。

「一流の人間学」(山崎武也著)に、
こんな言葉があります。

「病人を思う気持ちがあまりにも強くなり、
 全精力を傾注するようになると危険だ。
 …
 病人から離れようとする努力が必要である。
 といっても病人を無視して面倒を見るな
 という意味ではない。
 病人のペースに引き込まれてはいけない
 という意味だ。」


体の病におかされた人間でさえも、
そのようなパワー(?)を伝染する力が
あるのだから、

体の元気な人間が、
臆病、あきらめ、無気力、
憎しみ、恨み、怒りなどのパワーを
身につけたら、それ以上に、
大きな影響力があると思った方がいい。

あなたの身のまわりにいませんか?
そういうマイナスのパワーを
ただよわせている人が…

ぜひ、ご注意ください。
本当に伝染しますからね。

ちょうどいい距離感を保ちながら、
お付き合いする方法が
必ずあるはず。

どんな本を読んでいるんだろう?

2012年11月13日 | 気になる人々
本をそれなりに
持っている人の場合、
その人の本棚を
見てしまうクセがあります。

やっぱり、自然と
興味が湧くんですよねぇ。

どんな本を読んでいるんだろう…って。

たとえば、
会社の社長さんだったりすると、
自己実現の本、商売スキルの本、
人材育成やコーチングの本などが
並んでいるもんです。

そして、その中でも、
どの分類の本が多いか
ってことが分かると、

その人が一番考えていることや、
大切にしていることが見えてくる。

すると、なんか共感してくる。

強そうに見えて、
そのスキマから見える弱さ、
とかを感じると、その瞬間に、

怖いと思っていたイメージが
変わったりもする。

もちろん、
本を読まない相手には、
そういう見方をするチャンスも
ないわけですが…

他人の本棚にある本、
他人が薦める本、
他人が好きだと言った本、
最初から最後まで通読しなくとも、

ざーっと見てみれば、
相手の感動レベルとか、
語彙レベルとかも分かって、
面白いもんですよ。

みな自分のことしか頭にないのです -ちょうど、あなたのようにね。

2012年11月12日 | 気になる言葉
だれも、あなたのことなんて
考えちゃいません。

みな自分のことしか頭にないのです
-ちょうど、あなたのようにね。

(だれもあなたのことなんか考えていない、
 ロジャー・ローゼンブラット)


世の中、そんなにひど
くないでしょ、
そう思います。

なんか、世間を見限っているような
言葉に思えるから…

でも、終わりの
「ちょうど、あなたのようにね。」
と言われると、ちょっと苦笑いです。

自分のことしか考えていない自分が、
たしかにいます。
それと同じように、
自分のことしか考えていない他人も、
たくさんいます。

そういう自分と他人が
集まっていると考えれば、
自分のささいな失敗が
長く記憶にとどまるわけがない、
とも思えるわけです。

いっとき、
他人の目に奇妙に見えたとしても、
明日になれば、変わります。

自分のことしか考えていない心は、
その好奇心を満たしてくれる事件や
ニュースに、次々と波乗りするからです。

人の心には、そんなところがあります。
それが良くもあり、悪くもあるのですが…

気にされていないんだから、
自分も気にし過ぎない方がいいんです。
次々と変わる「他人の目」を。

ただし、それを無視して、
他人に迷惑をかけるのを
勧めているわけではありませんよ。


人生は、 人の数だけある。

2012年11月11日 | 気になる世間
テレビ、新聞、雑誌、
などのメディアにかぎらず、
さらに今は、
インターネットを経由して
ブログ、ツイッターなどの
ソーシャル・メディアで
とりあげられる「人生」
というものがある。

とりあげてくれるメディアが
いろいろと増えてきているとはいえ、
誰にもとりあげられない
「誰かの人生」というものもある。

とりあげられたものを見て、

あ、私も、
こんなところを取り入れられるな、

くらいなら、いいかもしれないが、

あ、私も、こうなりたい、

と思って、誰もが、
同じように真似られるもんでもない。
やるべきことでもない。

人生は、
人の数だけある。

いろいろな生き方を
模索してみたほうがいい。

あこがれたことを
いいな、と思ったことを、
そのまま真似ちゃうと、

真似たいこと探しと、
そういう真似の連続になると、
なんだか違う、自分との違和感を
感じたときに、きっと、
コンプレックスになるだろうと思う。

メディアから流れてくる
「とりあげられる人生」は、
数ある人生のなかの一つでしかない。
それを忘れないようにしたいものです。





買い物の値段は たいそうむずかしい。

高いのか安いのか、 それとも妥当なのか。 買い物の値段は たいそうむずかしい。 それどころか 人生の永遠の課題でもある。 (野蛮な読書、平松洋子) お正月には、 ほとんどの売り場に、 「福袋」が並んでいます。 かなり以前には、 その中身は買ってからの楽しみ、 ということが多かったように思うが、 今は、最初から 分かっていることの方が多い。 福袋っていうより、 ふつうの買い物であり、 問題は、その値段で お得かそうじゃないか、 ってことになっている。 何を、いくらで買うか、 いくらだったから買わないのか、 っていうのは、生き様に通じる。 何かを買う、 っていうのは、 お金と交換するばかりでなく、 それに付き合う時間を作る、 っていうことも含めて 決めていることになりますからね。 逆に買わない、っていうのは、 今持っているものと付き合う時間の方を 大切にするってことだろうし。 お金が流通するようになってから、 買い物は、生きることと同じくらい、 大切なことになっちゃっている。 てきとうにやることもできないし、 逃げることも、 まかせっぱなしも、 できないことだろうなぁ~^^