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ちょっと気になる世間のこと、自分のこと

気になるアレコレ。自己満備忘録。
勝つか、負けるか、やるだけやるさ。

生きてるだけでまる儲け

2012年11月20日 | 気になる言葉
「生きてるだけでまる儲け」。


明石家さんまさんの座右の銘だそうです。




今生きていられるのは、儲けもの。
そう思って今に心を注ぐ生き方。

過去を懐かしんだり、
悔やんだりすることがあっても、

未来に憧れたり、
期待することもあっていいけど、

やっぱり、今という贈り物に、
できる限りの力を注ぐ。

英語で、今とプレゼントが
同じpresentだっていうのは
よく考えられた単語だなぁって思います。

今という言葉そのものに、
贈り物という意味が含まれている。

日本語みたいに、
今とは贈り物だって
教え込む必要がない。

言葉のせいじゃないけど、
そういう基本的なことを、
私たちは忘れやすいですよね。

今日は、儲けもの。
ホントに、そうなんです。

人生は、笑えるように、 幸せを感じられるように、 そんな切り口が準備されている。

2012年11月19日 | 気になる言葉
人生はクローズアップで見れば悲劇だが、
ロングショットで見れば喜劇である。

(英語)
Life is a tragedy
when seen in close-up,
but a comedy in long-shot.

(チャーリー・チャップリン)



自分の人生が、
いつも悲劇に見えてしまう人。
やはり、それは、
クローズアップでしか
見ていないからでしょう。

もう少し離れて見れば、
笑えることも、
訳の分からないことにまで、
目と心を近づけて
視野を狭めながら、
自分を苦しめているかもしれない。

スポーツでも必ず、
一瞬一瞬には喜怒哀楽をつきものだれど、
その瞬間だけにとらわれると、
試合全体が見えなくなる。

そして、勝てる試合にも
勝てない心の準備をしていることに
なったりする。

どこを見て進んでいるか、
どこを見て生きているか、
どこを見てプレイしているか。

本質の部分で、
見ている切り口が違うと、
喜劇を悲劇にしてしまいます。

人生は、笑えるように、
幸せを感じられるように、
そんな切り口が準備されている。

そう信じて、生きていきたいです。

やっぱり、 中身のある人間でありたい。

2012年11月18日 | 気になる自分
どの答えも、
お前にはしっくり
くるはずがない。
なぜだか分かるか?

お前の中身が
空っぽだからさ。

(漫画「結界師」、田辺イエロウ)




ちょっと厳しい気もしますが、
自分にも当てはまる気がします。

自分が空っぽだったら、
どんな答えも響かない。

目の前に、
どんな選択肢が置かれても、
その価値なんか
分かる訳ない。

そもそも、
自分が欲しい答えばかりを
意識しすぎていることに
気づかない原因が
あるかもしれない。

自分が欲しい答え以外の
ところは、空っぽ…

何の受け皿も用意していない。

そうこうしているうちに、
流行を追うとか、
一時の損得とか、
人の真似をするとかだけが
答えになってしまう。

自分の中身ねぇ…

改めて、あるか?
って問われたら、
自分も考えちゃいます。

思い込みしかなかったら、
悲しいです。
空っぽに近いことになるから。

やっぱり、
中身のある人間でありたい。

「名声は悪評に劣らず  人を傷つけるものだ。」

2012年11月17日 | 気になる自分
君の値打ちを楽しもうと思ったら、
君は世の中に価値を与えなければならない。

(ゲーテ、格言的)


自分の値打ちは何か、
真っ正面から自分に尋ねていなくとも、
私たちは常にそれを考えて、

着飾ったり、買い物したり、
仕事したり、話をしたり、
あらゆる行動をしている。

自分の持ち物が、
自分の値打ちを証明すると
思っている人が、
どんな行動をするかは、
想像に難しくないだろう。

あるいは、自分の話し方が、
自分の値打ちを証明すると
思っている人は、
どうだろうか。

はたまた、自分の地位、評判が、
自分の値打ちを証明すると
思っている人もいることでしょう。

ゲーテは、こんなことも言っています。
「名声は悪評に劣らず
 人を傷つけるものだ。」


私たちが求める「自分の値打ち」には、
多分、悪いものはないと思うが、
求め方いかんによっては、
値打ちに傷つけたり、落としたりすることだって、
ありえる。

それを理解して、
自分の値打ちというものを
少し考えてみたいですね。

価値観が多様化している現代では、
他人に左右されすぎずに、
世の中に与えられる「自分の価値」を
ちゃんと見極める必要がある、本当に…

自分の値打ちポイント、
見間違えることのないようにしましょう。
何歳になっても…

いろいろっていうのは、 それを用意するだけのネタがないと、 不可能なんですよね。

2012年11月16日 | 気になる自分
家のなかに、
いろんなものが
散らかっていると、
整理したくなる性分です。

仕事机の上は、
スッキリ整理していないと、
仕事がはかどらない性分です。

いろいろな選択肢があると、
迷ってしまう自分を知っているから、
そうなのでしょう。

もしも、
いろいろを選んでも、
また、それを選んでミスっても、
自分に責任がなければ、
私たちは、いろんなものを
かき集めてしまうかもしれない。

料理を食べるときには、
いろいろ食べたい気持ちになる。

けれど、料理をする側になった時には、
いろいろを準備するのは、
けっこう大変で、なんだか面倒くさい、
という気分になるかもしれない。

それ以前に、
いろいろと料理するためには、
レシピ本をたくさん広げるか、
頭のなかに、たくさんのレシピが
入っていないと、不可能です。

いろいろっていうのは、
それを用意するだけのネタがないと、
不可能なんですよね。

世の中が、
「いろいろ」を恋しくなると、
大量生産のモノだけでは
満たされないことになる。

それは、いろいろな人がいて、
いろいろなものを作ったり発信したり
することが許される世の中。

みんなに、
いろいろなチャンスが
巡ってくるには、
いろいろを大切にしてくれる
世の中の方がいいんですね。

私も、いろいろを愛そう。

買い物の値段は たいそうむずかしい。

高いのか安いのか、 それとも妥当なのか。 買い物の値段は たいそうむずかしい。 それどころか 人生の永遠の課題でもある。 (野蛮な読書、平松洋子) お正月には、 ほとんどの売り場に、 「福袋」が並んでいます。 かなり以前には、 その中身は買ってからの楽しみ、 ということが多かったように思うが、 今は、最初から 分かっていることの方が多い。 福袋っていうより、 ふつうの買い物であり、 問題は、その値段で お得かそうじゃないか、 ってことになっている。 何を、いくらで買うか、 いくらだったから買わないのか、 っていうのは、生き様に通じる。 何かを買う、 っていうのは、 お金と交換するばかりでなく、 それに付き合う時間を作る、 っていうことも含めて 決めていることになりますからね。 逆に買わない、っていうのは、 今持っているものと付き合う時間の方を 大切にするってことだろうし。 お金が流通するようになってから、 買い物は、生きることと同じくらい、 大切なことになっちゃっている。 てきとうにやることもできないし、 逃げることも、 まかせっぱなしも、 できないことだろうなぁ~^^