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ちょっと気になる世間のこと、自分のこと

気になるアレコレ。自己満備忘録。
勝つか、負けるか、やるだけやるさ。

読書が付加価値をつける

2012年11月25日 | 気になる人々
人間の社会は、
どこへ行っても同じです。
まず基礎があり、体験があって、
その上に読書が付加価値をつける。
そして更なる体験がある。
これの繰り返しです。

(雑誌「プレジデント」)


基礎がないのに、
体験を始めると、
きっとズレて覚えることになる。

まれに、奇跡的に、
基礎がないように見える状態でも、
すごいもの、すごい人が、
生まれることもありますけど、
それは、珍しいと思います。

たとえば、
一度も他店で修行をせずに、
開業して成功している
料理屋さんとか。

それが出来た人がいるから、
俺も基礎なんかなくても
うまくやれるだろう…と
みんなが勘違いして始めても、
なかなかうまくはいかない。

基礎を教えられたことがないだけで、
基礎をちゃんと自分で習得できる人も
いるという話なのだと思う。

それを、基礎がなくても大丈夫、
と早合点したら、痛い目に遭う。

そんなことで挫折している人々は、
腐るほどいるでしょう。でも、
そこで「基礎の大切さ」を実感し、
再スタートするなら、
その経験も無駄ではなかったということ。

それを時代のせいとか、
環境とか誰かのせいにして、
腐ってしまうなら、その後、
何をやっても実にならないでしょう。

読書も、役に立つんですよね。
やっぱり、そう思います。

「変わる」という方向転換

2012年11月24日 | 気になる言葉
人生における方向転換は、
その時期が遅くなればなるほど
至難になる。

それを行なうことの方が、
死ぬよりもつらい、というより、
むつかしいものとなるに違いない。

(バカでスウェルな男たち、石原慎太郎)

多分、私だけじゃない
と思うのですが、
死ぬときは、コロっと行きたい、
という願望があります。

死がどういうものか、
分からないだけに、
そこをカンタンに
通り過ぎたいんでしょうね。

実際はどうか分かりませんが、
カンタンに通り過ぎれそうな死に
比べれば、人生には、
それ以上に苦しそうなことが
いっぱいありそう。

その1つが「変わる」こと。
方向転換…

そんなこと必要ないと、
先延ばしにすればするほど、
行き先がズレてくる。

1度のズレが、そのうち2度に、
2度のズレが、そのうち3度に。

ズレるままにしておいて、
偶然に元に戻るのは、
360度もズレなければ
ありえないことになる。

方向転換も至難の技だけれど、
360度のズレも至難の技。

どっちがいいんでしょう

自分の見ているものすべての物は 自分の心の中にあるんだよ。

2012年11月23日 | 気になる世間
自分の見ているものすべての物は
自分の心の中にあるんだよ。

幸福も不幸も希望も失望も、
喜びも 悩みも みんな、みんな。

(ブッタとシッタカブッタ、小泉吉宏)


他人の幸せを見て、
幸せを感じるとき、
他人の幸せを見て、
嫉妬を感じるとき、

他人の不幸を見て、
優越感を感じるとき、
他人の不幸を見て、
哀れみを感じるとき、

それぞれの時が、
自分の心を映している。

自分のモノがなくなり、
よく探しもせずに、
「きっと、あいつに盗まれたんだ。」
と騒ぎたてる人に限って、
過去に何か盗んだことがあったりする。

「あの人は、私のことを嫌っている」
と言う人の心の中には、
それを言う前から、「あの人」を
嫌っている気持ちがあったりする。

「だまされるかも、損するかも」
と心配する人の心には、
自分がまずトクしたい気持ちが
あったりする。

私自身を見れば、よく分かります。

何かを見て思うことには、
自分というフィルタの跡が、
ちゃんと残っている。

見るものすべてが美しい、
なんてことは、
なかなかないでしょうけど、
どう見えるかは、
心の問題なんですよねぇ、本当に。

脳が動くスイッチを探す。

2012年11月22日 | 気になる自分
脳は、使い続けることで元気になる。
甘やかさないことが大事です。

(雑誌「anan」)


何かのヒントを得るため、
毎日のように私がふれてる情報は、
けっこうな量のように思います。

それだけの量の情報に
ふれているから、
バンバンひらめく日もあれば、

まったく、うんともすんとも、
ひらめきが働かない日もあります。

以前は、ひらめかない日には、
焦ることもありましたが、
スイッチが入らない以上、
やっぱりしょうがないわけでして、

そんなことに焦るよりだったら、
スイッチが入るための行動を
しようと思うようになりました。

その中には、
外に出るというものもあれば、
誰かと話すとか、写真を撮るとか、
場合によっては、何もしない、
というものもあります。

脳にヒントが与えられれば、
何でもいいことだと思うのです。

ひらめく自分を信じて、
脳が動くスイッチを探す。

ひらめかない日と、
ひらめく日どちらも経験すると、
ますます、脳ってすごいなぁ、
と思ったりするもんです。

考えるスピードや記憶力は、
衰えたとしても、

なんていうか、
組み合わせる力や思考力は、
衰えない気がするんですよね。

そういう点では、
年をとるのは楽しみです。

自分の発する言葉にも、 自分がかき回されないように

2012年11月21日 | 気になる世間
耳はすべての音を
あまねく拾います。
耳には瞼がありません。
耳はただ聞くのです。
受けとるのです。

私たちは溢れる情報を日々、
耳から取り入れ蓄えています。
無意識のうちに。

(私の愛した男について、田口ランディ)

目には、まぶたがあり、
口には、唇があって、
開いたり閉じたりできます。
それが、耳にはない。

とにかく聞くように、
という目的で、
人間の身体はできている
ということでしょうか。

情報は大切だ。

けれど、
情報よりももっと大切なのは、
その情報を
理解できるというか、
取捨選択できる能力だと思う。

それなしでは、
どれだけ正しい情報が来ても、
役に立たないだろうし、

まして、
いまの時代のように、
たくさんの情報の波が
迫ってくる社会では、

その中に埋もれている、
本当に正しい情報や、
大切な情報を引き出したり、
記憶のスペースに
持ち運ぶことさえ出来ないだろうから。

耳からひっきりなしに
入ってくる情報。

それらの情報といっしょに、
自分の口から発した言葉も、
情報として耳に入ってくる。

自分の発する言葉にも、
自分がかき回されないように
することも、時には必要だと思います。

買い物の値段は たいそうむずかしい。

高いのか安いのか、 それとも妥当なのか。 買い物の値段は たいそうむずかしい。 それどころか 人生の永遠の課題でもある。 (野蛮な読書、平松洋子) お正月には、 ほとんどの売り場に、 「福袋」が並んでいます。 かなり以前には、 その中身は買ってからの楽しみ、 ということが多かったように思うが、 今は、最初から 分かっていることの方が多い。 福袋っていうより、 ふつうの買い物であり、 問題は、その値段で お得かそうじゃないか、 ってことになっている。 何を、いくらで買うか、 いくらだったから買わないのか、 っていうのは、生き様に通じる。 何かを買う、 っていうのは、 お金と交換するばかりでなく、 それに付き合う時間を作る、 っていうことも含めて 決めていることになりますからね。 逆に買わない、っていうのは、 今持っているものと付き合う時間の方を 大切にするってことだろうし。 お金が流通するようになってから、 買い物は、生きることと同じくらい、 大切なことになっちゃっている。 てきとうにやることもできないし、 逃げることも、 まかせっぱなしも、 できないことだろうなぁ~^^