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ちょっと気になる世間のこと、自分のこと

気になるアレコレ。自己満備忘録。
勝つか、負けるか、やるだけやるさ。

土方殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の三日も降ればよい。

2012年07月12日 | 気になる世間

「土方殺すにゃ刃物は要らぬ、雨の三日も降ればいい」

この言葉は私が幼少の頃に聞いた都々逸風の社会風刺だ。

当時、雨が降れば仕事や商売にならず、収入が途絶える職業がいろいろとあったことに由来する?


「派遣」「非正規雇用」と言う言葉が、当然のような響きを与えてる
今の世の中。


私は、最近いやにこの言葉が脳裏で響くようになった。


今日も昨日に続いて雨。

それも大雨、雷雨。

雨、雨、雨・・・いつまで続くのだろうか?

一年中~梅雨?(´;ω;`)

真っ赤な太陽と澄み切った青空はもう拝めないのだろうか?










金を貸す者は 2つのものを完全に失う。 すなわち友情と金。

2012年07月11日 | 気になる世間
金を貸す者は
2つのものを完全に失う。
すなわち友情と金。


ツイッターの書き込みにこんな含蓄のある言葉が。

確かにお金の貸し借りは、
人と人との関係性を
変えてしまう。

お金を貸さないことで、
何かしら恨まれるような気がして、
貸してしまうケースがあるようだが、

貸すことで、
かえって恨まれるように
なることも少なくない。

貸すということは、
返してもらえると期待すること。

返してもらうことを
期待しない「あげる」なら、
また関係性が変わる。

たかられる、
依存される、
という関係性もありだ。

貸すなら、
友人という関係が
壊れることを覚悟すること。

あげるなら、
どこかに線引きをしないと、
キリがなくなると自覚すること。

相手に
返す意識と
返す能力があるのなら、
何も壊れることはない。

しかし、
「必ず返すよ」という言葉だけで、
返す能力が見えなければ、

時間が経ってくると、借りた恩よりも、
「友達なんだから、くれたっていいだろ」
という変な特権意識が強くなってくる。

相手の意識、能力を
見誤らないで付き合うことは、
本当に、大切なんだな。

一喜一憂

2012年07月09日 | 気になる自分
すごーく嬉しいこと、
興奮するような刺激が、
突然止んでしまった時の
ストレスというのは、
この上なく大きいと思います。

たとえば、
何かのスポーツの大会で、
優勝するとか、
何かのコンテストで
賞をもらうというのは、

それだけの努力をして
それだけの報いを得たわけだから、
それが終わって、

「さあ次も」と目指しながら、
がんばってもうまくいかないとなると、
以前の喜びがかえって
苦痛を生みだす原因にもなるわけです。

人生に、それほど
頻繁にあるわけじゃない
大きな喜びよりも、

日常にある
ささやかな喜び、嬉しさ、
ちょっとした「いいな」を
大切にすることを忘れると、

自分の一喜一憂に、
自分が振り回されることになる。

なんとなく嬉しい、
あ、いいな、
ワァー、
っていう気持ちを、

大きな目標での挫折に
打ち消されないよう、
もう一つ心を持っているような感じで
生きていられたらいいかもしれないですね。

一人で生きていくわけじゃない。

2012年07月08日 | 気になる人々
傷ついたと言いながら、
それほど傷ついていなくても、
おおげさに騒ぎ立てる人もいれば、

傷ついていないと言いながら、
実は深く傷ついていて、
それでもじっと耐えてる人もいる。

見えない心だから、
本当のところ、
どれだけ壊れているか
分からない。

だからこそ、
扱いが楽なところもあれば、
むずかしいところもある。

そして、人それぞれ違う心だから、
一概に、こうすれば壊れる、壊れない、
なんてことを決めつけることはできない。

ただ、
この世に生まれてきたからには、
なんとかして生きていける力とかも
授かっているんだろうと思う。

かりに、自分一人には、
そんな力はとてもじゃないけど、
ないって場合でも、

一人で生きていくわけじゃない。
きっと、どこかに、いっしょに
生きていける人が見つかるはず。

ただ、
自分で自分を邪魔しないように
できたらいいなと思います。

必要以上に騒ぎ立てたり、
傷ついた、傷ついたと言いながら、
他の誰かを傷つけたり、

黙っていれば静かに進む時計を
壊さないようにするみたいに、
耐えてる時間も必要でしょう。

耳からひっきりなしに 入ってくる情報。

2012年07月07日 | 気になる世間
目には、まぶたがあり、
口には、唇があって、
開いたり閉じたりできます。
それが、耳にはない。

とにかく聞くように、
という目的で、
人間の身体はできている
ということでしょうか。

情報は大切です。

けれど、
情報よりももっと大切なのは、
その情報を
理解できるというか、
取捨選択できる能力だと思う。

それなしでは、
どれだけ正しい情報が来ても、
役に立たないだろうし、

まして、
いまの時代のように、
たくさんの情報の波が
迫ってくる社会では、

その中に埋もれている、
本当に正しい情報や、
大切な情報を引き出したり、
記憶のスペースに
持ち運ぶことさえ出来ないだろうから。

耳からひっきりなしに
入ってくる情報。

それらの情報といっしょに、
自分の口から発した言葉も、
情報として耳に入ってくる。

自分の発する言葉にも、
自分がかき回されないように
することも、時には必要だと思います。

買い物の値段は たいそうむずかしい。

高いのか安いのか、 それとも妥当なのか。 買い物の値段は たいそうむずかしい。 それどころか 人生の永遠の課題でもある。 (野蛮な読書、平松洋子) お正月には、 ほとんどの売り場に、 「福袋」が並んでいます。 かなり以前には、 その中身は買ってからの楽しみ、 ということが多かったように思うが、 今は、最初から 分かっていることの方が多い。 福袋っていうより、 ふつうの買い物であり、 問題は、その値段で お得かそうじゃないか、 ってことになっている。 何を、いくらで買うか、 いくらだったから買わないのか、 っていうのは、生き様に通じる。 何かを買う、 っていうのは、 お金と交換するばかりでなく、 それに付き合う時間を作る、 っていうことも含めて 決めていることになりますからね。 逆に買わない、っていうのは、 今持っているものと付き合う時間の方を 大切にするってことだろうし。 お金が流通するようになってから、 買い物は、生きることと同じくらい、 大切なことになっちゃっている。 てきとうにやることもできないし、 逃げることも、 まかせっぱなしも、 できないことだろうなぁ~^^