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ちょっと気になる世間のこと、自分のこと

気になるアレコレ。自己満備忘録。
勝つか、負けるか、やるだけやるさ。

時間や努力の配分を 誤らないこと。

2012年06月19日 | 気になる自分
不得意だからといって、
その一つのことを
克服することだけに集中し、
そうしているうちに
得意なことを放っておいたら、

不得意なことが上達しないばかりか、
得意なものさえも衰えてしまう、
っていうことはたまにある。

そうなったら、
なんのための克服だったか、
意味がない。

今は得意に見えるからといって、
それがずーっと得意なこととは限らない。

偶然にも、
今はうまくいっている、
っていうだけのこともあるのだ。

得意なもの、
不得意なもの、
すべてまるごと、
がんばるという集中力や、
努力はなかなか続くものじゃない。

きっと、
人間のそういう力は、
限られているから、
その限られた力や時間を
どう配分するか、

また、そういうことを
がんばっているなかで
予想されるアクシデントで、
どれだけのロスがあるかを
計算に入れてみれば、

「まるごと」ということは、
そう簡単にできるものじゃない。

どれだけのことを期待して、
それぞれに、どれだけの力を注ぐか。

ある意味、ギャンブル的な
要素もあるから、それを
決めなくちゃいけない。

どうなるかは、
やってみるまで分からないし。

時間や努力の配分を
誤らないこと。

これは本当に大切だと思います。


とりあえず、 1つのことから始める。

2012年06月17日 | 気になる自分
完璧にやろうとして、
たくさんのことを
覚えようとしたり、
覚えさせようとして、
うまくいかなかった
という経験が、
誰にでもあると思う。

欲張っていたんだな、
と分かりながらも、
また同じような場面になると、
やっぱり、たくさんのことを
抱えようとしてしまう。

何度か経験していくうちに、
本気で、大切なことを
絞り込もうって
考えられるようになる。

人間は、
多くのことを
覚えようとするよりも、

限られた大切なことを覚えて、
それに集中したほうが賢明だ。

だから、いつでも、どこもで、
たくさんある大切なことの中から、
最も大切なことを1つでも
見つけ出せる才能があったら、
その人の人生は、大きく変わるだろう。

なかなか、
1つに絞り込めない、
決められない、
行動が出来ないとなると、
その人はいつまでも、
多くのことに埋もれたまんまだ。

とりあえず、
1つのことから始める。
それができないで、
多くのことなど出来るわけがないのだから。

迷信そのものは、 なにも悪さはしない。

2012年06月16日 | 気になる世間
迷信そのものは、
なにも悪さはしない。
へぇー、そんな迷信があったんだ、
と受け流されれば、それまでのこと。

占いや予言にも、
それに似た反応で
済ませられることも少なくない。

「うお座のあなたの今日は、
 人間関係で嫌なことが…」
とか言われても、

そんなことは、
「しし座のあなた…」
「さそり座のあなた…」
「ふたご座のあなた…」
に置き換えても通用することであって、

ちょっと気をつけようとか
思えばいいだけのこと。

それに敏感になりすぎて、
感情がしばられたり、
自分や他人に対して
強迫観念みたいなことを思い、
迷惑をかける必要など
まったくないのだ。

迷信も、占いも、予言も、
それ自体が悪さを
しているわけじゃない。

それに縛られ、
狂信的に行動する人間が
乱す要因となるだけのこと。

未来は、ある程度
予想できることかもしれない。
そうだとしても、変わることもある。

うれし涙もあれば、次には、 悔し涙もある

2012年06月14日 | 気になる自分
最近、涙していないです。
本気でがんばっていないか、
感動するものに出会えていないか。
きっと、そのいずれかでしょう。

求めなくては、涙は得られない。
そう思います。

涙が湧いてくるレベルが、
子供の頃からずーっと同じだ、
っていう人もいれば、

心が強くなって、あるいは、
どんどんカタくなって、
ちょっとやそっとのことじゃ、
泣けなくなるっていう人もいると思います。

泣いてばかりいる人生が、
いいとは思いませんが、

泣くくらい、心揺れる出来事に出会う、
あるいは、それくらいがんばる、
っていうのは大切でしょう。

出来ることが
増えていくという時期があり、
うれし涙があります。

出来ていたことが、
出来なくなっていくという時期があり、
悔し涙、悲しい涙っていうのもあります。

うれし涙もあれば、次には、
悔し涙もあるってことで、
人生はいろいろとくり返すと感じます。

だから、泣くときは泣く。
それがいいんでしょう。

向き不向き

2012年06月13日 | 気になる自分
たとえば、
1歳の幼児に、
向き不向きが
分かるわけがない。

3歳、5歳の子どもにも、
同じことが言えるだろうと思う。

それは、やっぱり、
それを判断するだけの
経験をしていないし、
物事を見ていないからだ。

じゃあ、
人の向き不向きが
分かるのはいつからか、
という素朴な疑問もある。

どうなんでしょうねぇ…

もちろん、
自分の向き不向きが
最初から分かるわけがない。

最初は、だいたい、
抵抗感が生じる。

そんな抵抗感に
とらわれないこと、
自分からそれを信じないこと。

がむしゃらに取り組んでから
結論を出しても、遅くないのだ。

つまらない、
ややこしい、
やってられない、
飽きた…なんて思えることが、

もしかしたら、
自分の天職や才能に
つながることだって
否定できない。

いったん、がむしゃらにやってみよう。
それをしている自分を待ってみよう。
それが、最初にやることだ。

買い物の値段は たいそうむずかしい。

高いのか安いのか、 それとも妥当なのか。 買い物の値段は たいそうむずかしい。 それどころか 人生の永遠の課題でもある。 (野蛮な読書、平松洋子) お正月には、 ほとんどの売り場に、 「福袋」が並んでいます。 かなり以前には、 その中身は買ってからの楽しみ、 ということが多かったように思うが、 今は、最初から 分かっていることの方が多い。 福袋っていうより、 ふつうの買い物であり、 問題は、その値段で お得かそうじゃないか、 ってことになっている。 何を、いくらで買うか、 いくらだったから買わないのか、 っていうのは、生き様に通じる。 何かを買う、 っていうのは、 お金と交換するばかりでなく、 それに付き合う時間を作る、 っていうことも含めて 決めていることになりますからね。 逆に買わない、っていうのは、 今持っているものと付き合う時間の方を 大切にするってことだろうし。 お金が流通するようになってから、 買い物は、生きることと同じくらい、 大切なことになっちゃっている。 てきとうにやることもできないし、 逃げることも、 まかせっぱなしも、 できないことだろうなぁ~^^