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ちょっと気になる世間のこと、自分のこと

気になるアレコレ。自己満備忘録。
勝つか、負けるか、やるだけやるさ。

幸せとは 幸せにしたい人がいること

2013年09月01日 | ツイッター
幸せとは
幸せにしたい人がいること

(twitterより)


目標が具体的であれば、
やることもハッキリしているから、
それは果たされやすい。

誰かを幸せにしたい、
という気持ちは高尚だろうけれど、

○○を幸せにしたい、
私の□□を食べる人を幸せにしたい、
とかのほうが、
もっている力を集中させやすい。

人間は、
なんでもできるわけじゃない。

力が限られていて、
関わる人も限られている。

だから、
自分を幸せにしたい、
という選択も
具体的目標の一つだろうけど、

ひとりだけでなる幸せは、
分かち合える人がいる幸せより、
ちょっと薄い気がする。

だから、
幸せにしたい人がいる、
って幸せなんだな。

ときめきがなくなったら、 生きる意味を忘れたことだよ。

2013年08月08日 | ツイッター
ときめきがなくなったら、
生きる意味を忘れたことだよ。

ときめきを忘れないで。

(twitterより)


ときめきは、思い出せば、
心に湧きあがってくるものだけど、
ただ、少しずつ鈍ってくる…

嫌なことが重なったり、
傷つくことを恐れすぎたり、
現実にぶちあがったり、と。

思うのは、何歳になっても、
何らかの「ときめき」がないと、
人生自体がしぼんでいくだろう、
ということ。

仕事柄、いろんな人の顔を見て、
目を見つめることがある。

目は、やっぱり、
いろんなことを語る、
と思う。

後ろ向きな様子、不安定な様子、
心が奥にひっこんで閉じこもっている様子、
何かやましいことを持っている様子…
「ときめき」のない目を覗いていると、
こちらも、そんな気分になりそう。

目には、力があるんだよなぁ。
もし、目がくもっていたら、
その奥で眠っているものを、
呼び起こしてあげたいなぁ、って思う。

何が出来るか分からないから、
まずは、自分の目に「ときめき」を
もたせたいです。

年をとってくると、 食欲は落ちるが 食い意地は張ってくる

2013年07月30日 | ツイッター
年をとってくると、
食欲は落ちるが
食い意地は張ってくる

(twitter より)


私はまだ若いつもりなので、
食欲も食い意地も、
どちらもあるんですが…

目の前にあるだけで、
何か損した気分に
なるんでしょう。
本当は、もう
食べられないのに。

食べ物に限らず、
自分の必要以上を
求める傾向は、
欲張りからくると思う。

せっかく手に入るものだから、
ゲットしないのは、
もったいないでしょう、てな感じ。

日本語オリジナルの、
この「もったいない」にも、
どこかしら、欲張りな面が
あるかもしれません。

だって、何も、人間だけを中心に
考えなくてもいいじゃないですか。

必要以上を求める気持ちは、
知らないうちに、
必要なものを見失い、
それを捨ててしまう可能性に
つながるようにも思います。

必要以上を求めるのは、
やっぱり要注意ですね。

その前に、感謝が大切って
ことでしょうか…

人生の半分は トラブルで、 あとの半分は それを乗り越えるためにある

2013年06月30日 | ツイッター
人生の半分は
トラブルで、
あとの半分は
それを乗り越えるためにある

(twitter より)


ちょっとウンザリする
ような言葉ですが、

なんかあきらめのつく言葉
にも思えます。

もしかしたら、
こんなことも言えるかな。

「人間の半分は、
 トラブルをつくる人で、
 あとの半分は、
 それらを解決する人である。」

いやいや、実際は、
トラブルをつくる人が半数以上、
もしかしたら7、8割に迫る勢い?

なんてことを書いている自分が、
そのトラブル・メーカーの側にいない、
と思い込んでいるあたりが、

世の中に、トラブル・メーカーが
増える原因かもしれない。

いずれにしろ、
トラブルがあるのが、
「普通」の人生であって、
トラブルは必ず起きるんです。

大切なのは、そのトラブルに、
どういう心構えで、
どう向き合っていけるか、
っていうこと。

トラブルがない、
って思い込んでいる時よりも、
トラブルに立ち向かって、
突き進んでいる時の方が
何倍も幸せかもしれません。

この世での一番の宝探しは、人との出会いだと思った。

2013年06月19日 | ツイッター
この世での一番の宝探しは、
人との出会いだと思った。

(twitterより)



私はまだ(もう?ヽ(*´∀`)ノ)67年しか生きていないけれど、
その人生で見つけた宝と言えば、
やっぱり、モノじゃないように思う。

実際、そんなにモノを集めもしないし、
持ってもいないから、そうでしょうが…

じゃあ、本当に、
人が「宝」かと言えば、
探して見つけたというよりも、
今のところ、ちょうど目の前を
通り過ぎてくれた人を
つかまえたというのがほとんど。

もっと必死に探せば、
もっと見つけられるんでしょうか。
ちょっと、そこが疑問です…

それに、宝だとすれば、
たくさんの宝を見つけることがいいのか、
価値ある大きな宝を一つだけでも
見つけるのがいいのか、
人それぞれの考え方、哲学で
選択が分かれるところでしょう。

私は、後者かな。
私にしか見つけられない、
価値ある大きな宝を見つけたい。
もしかしたら、
見つけているかもしれないけれど…

今日も、宝探し、宝探し。
大きな宝の中には、
さらなる宝もあるでしょうからね。

そして、もしかしたら、
別れも、宝なのかも。


買い物の値段は たいそうむずかしい。

高いのか安いのか、 それとも妥当なのか。 買い物の値段は たいそうむずかしい。 それどころか 人生の永遠の課題でもある。 (野蛮な読書、平松洋子) お正月には、 ほとんどの売り場に、 「福袋」が並んでいます。 かなり以前には、 その中身は買ってからの楽しみ、 ということが多かったように思うが、 今は、最初から 分かっていることの方が多い。 福袋っていうより、 ふつうの買い物であり、 問題は、その値段で お得かそうじゃないか、 ってことになっている。 何を、いくらで買うか、 いくらだったから買わないのか、 っていうのは、生き様に通じる。 何かを買う、 っていうのは、 お金と交換するばかりでなく、 それに付き合う時間を作る、 っていうことも含めて 決めていることになりますからね。 逆に買わない、っていうのは、 今持っているものと付き合う時間の方を 大切にするってことだろうし。 お金が流通するようになってから、 買い物は、生きることと同じくらい、 大切なことになっちゃっている。 てきとうにやることもできないし、 逃げることも、 まかせっぱなしも、 できないことだろうなぁ~^^