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ちょっと気になる世間のこと、自分のこと

気になるアレコレ。自己満備忘録。
勝つか、負けるか、やるだけやるさ。

情報が不足しているわけじゃないよ。 考えが及ばないだけだ。

2015年08月24日 | 気になる世間
情報が不足しているわけじゃないよ。
考えが及ばないだけだ。

(すベてがFになる、森博嗣)

 
情報が多くても、
少なくても、正しいことが
分からなくなることがあります。

私たちに、
いいアイデアが浮かばないのは、
情報の量が問題とは限らない。

その証拠に、
情報が多くても、
迷うときには迷うし、

それは、情報が少なくても、
同じように迷ってしまう。

結局のところ、
集められた、あるいは、
集まってきた情報を、
うまく消化できなければ、
何も生まれない。

ただ集められた情報に
過ぎないことになる。

それは、趣味、
コレクションみたいなもの。

もしかしたら、
情報を増やそうとする前に、
考えるべきことが
あるのかもしれない。

考えていないだけで、
気付いていないことが
あるのかもしれない。

考える方向を、
考えられる引き出しを、
増やしておくこと。

情報を増やす前に、
そういうことが
大切なんでしょうね。

そういう土台があって初めて、
情報が集まってきたときに、
いい考え、アイデアが生まれる。

がんばりましょう。(p`・ω・´q)

友だちがいないということは 別に問題ないんじゃないのと思っている。

2015年08月08日 | 気になる世間
友だちがいないということは
別に問題ないんじゃないのと思っている。
腹を割って話せる人は、
そんなにたくさんはいない気がする。

(人生とは勇気、児玉清)


 

 

2年ほど前だったかか、
タモリの「笑っていいとも!」
にゲスト出演していた仲間由紀恵さんが、

「友達なかなかいないですよ」

と言ったことから始まり、
タモリさんも、

「友達なんかいなくたっていいじゃないですか」

「そんなにたくさんいなくていいですよねぇ」

「あの歌がいけないですねぇ、
 学校入って友達何人できるかな?って」



「できる時はできるし、
 できない時はできないんだよ」

という話の流れになっていた。

そうだよねぇ~と納得した。

友だち100人できるかな?
なんていう歌は、
たしかに微笑ましいが、
なんとなく可笑しい。

友だち100人の発想は、
ピカピカの1年生ばかりでなく、
ツイッターやFacebookの
「フォロワー数」「友だち数」競争にも
見られる。

友だちがいるフリを
しなければいけない友だちなど、
疲れるばかりだし、
その上、長続きするものでもない。

角田光代さんの言葉に、
すっきりする。ヽ(*´∀`)ノ

「ひとりでいるのが
 こわくなるような
 たくさんの友達よりも、
 ひとりでいても
 こわくないと思わせてくれる
 何かと出会うことのほうが、
 うんと大事な気が、
 今になってするんだよね。」
 (対岸の彼女、角田光代)


友だちがいなくても気にしない、
と言いながら、
ツイッターやFacebookの「数」を
意識していたら、結局同じ。

友だちについて勘違いしてしまうほど、
人間は寂しさに耐えられないんだろうなぁ~(/ω\*)

仕組みというのは必ず変わる。

2015年07月19日 | 気になる世間
仕組みというのは必ず変わる。
何事もずっと続くなどありえない。

(報道の脳死、烏賀陽弘道)

 

 
カセットテープなんて言葉は、
完璧に「死語」になっている。

とは言いつつも、
思い出のテープは持っている。

しかし、
それを再生するカセットプレイヤーが
しばらく使っていないので、
故障の可能性もあるだろうから、
おそらく、聞くことは出来ないだろう。

そもそも、聞きたい音楽は、
レンタルCDからインポートして、
すべてスマホとパソコンに入っている。

今のスマホが壊れても、
パソコンから、
別のスマホやプレイヤーに
コピーするのは難しくない。

ダウンロード購入は、
レンタルCDに比べると、
まだまだ高いから、
私はめったに使わないけれど、

時代が変わって、
新たな仕組みが生まれれば、
使わざるを得なくなるかもしれない。

いずれにしろ、
どんどん変わっていく。

必ずついていかなければならない、
っていうわけでもないが、
柔軟な頭は持ち続けたいものだ。

世はうつり、 人は流れゆく。 変わらないのは 自然だけだな。

2015年07月13日 | 気になる世間
世はうつり、
人は流れゆく。
変わらないのは
自然だけだな。

(伏、桜庭一樹)

 

 
今日深夜3時近くにちょっと大きな地震
がありました。(´ºωº`)

まったく想像の世界で、
この地球では今のところ、
ありえない話ですが、

もしも、この世の中に、
自然しかなかったとしたら、
地震だろうが、津波だろうが、
噴火だろうが、豪雨だろうが、
ただの自然現象に
過ぎなかっただろうな、
って考えました。

何が起こっても、
誰にも「被害」を
思わせることもなく、
時間が進みながら、
自然がいろいろと
姿を変えていくばかり…

もしかしたら、
人の住んでいない星では、
そんなことが現実として
存在しているかもしれない。

人間が生きることで、
人間が勝手に思い描いて、
その通りに
事が成り行かないから、
被害、損害を受けたと思う。

人間も
自然の一部になれたら、
もっと気楽に生きられる
かもしれない?

でもね、いくらか
自然に対抗する力を
もたないと、

あっという間に、自然の力に
ひねりつぶされるんだろうなぁ。

うーん、やっぱり、
自然の一部になって生きる、
っていうのは、
我欲のある人間には
無理かもしれない。

自然と闘い、
自然と共存しながら、
必死に生きていかないと
いけないんですね。

お金がないなら、 すでにあるもので 勝負すればいいんだよ。

2015年06月11日 | 気になる世間
お金がないなら、
すでにあるもので
勝負すればいいんだよ。

みんな何かを持っている。
なんにもない人はいない。
ちゃんと持っていることに
気づいてないか、それを、
ちっぽけと思っているだけ。

(だいじな本のみつけ方、大崎梢)


 

 

若く見せたい、
いい人に思われたい、
背が高いように見せたい...

見せたい「自分」が
増えすぎると、そのうち、
矛盾が生じてくるかもしれない。

ひとつは、
自分のなかで、

もう一つは、
見ている側の違和感。

きれいごとを言えば、
「素のままの自分で勝負だ」
なんてセリフになるでしょうけど、

ホントのホントで、
「素のまま」の自分を見せても、
また、それを見せた時に
自分の想定外の解釈をされたとしても、
心穏やかにいられる人は、
それほど多くないだろうと思います。

一番は、欲張らないことでしょうけど、
本当の自分が何だか分からないって
いう人に限って、「見せたい自分」を
積み上げがちになるから、
なかなか「欲張り」から卒業できない。

欲張らないって難しいですね。(´∀`*)

買い物の値段は たいそうむずかしい。

高いのか安いのか、 それとも妥当なのか。 買い物の値段は たいそうむずかしい。 それどころか 人生の永遠の課題でもある。 (野蛮な読書、平松洋子) お正月には、 ほとんどの売り場に、 「福袋」が並んでいます。 かなり以前には、 その中身は買ってからの楽しみ、 ということが多かったように思うが、 今は、最初から 分かっていることの方が多い。 福袋っていうより、 ふつうの買い物であり、 問題は、その値段で お得かそうじゃないか、 ってことになっている。 何を、いくらで買うか、 いくらだったから買わないのか、 っていうのは、生き様に通じる。 何かを買う、 っていうのは、 お金と交換するばかりでなく、 それに付き合う時間を作る、 っていうことも含めて 決めていることになりますからね。 逆に買わない、っていうのは、 今持っているものと付き合う時間の方を 大切にするってことだろうし。 お金が流通するようになってから、 買い物は、生きることと同じくらい、 大切なことになっちゃっている。 てきとうにやることもできないし、 逃げることも、 まかせっぱなしも、 できないことだろうなぁ~^^