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ちょっと気になる世間のこと、自分のこと

気になるアレコレ。自己満備忘録。
勝つか、負けるか、やるだけやるさ。

歩きかた

2012年01月26日 | ひとり言
雪道、下り坂の道、上り坂の道、
いろんな道があって、
それぞれ、歩きかたを変えないと、
滑ったり、転んだりする。

時には、歩く靴も変える必要がある。
人生も、それに似てるかな。



余命が分かるときまで、 がんばらないといけないな。

2012年01月25日 | ひとり言
今、余命を宣言されたら、
とんでもない、まだまだ生きたい、
と思うところと、

うーん、
余命10年とか宣言されたら、
残りの時間が分かりやすくて、
やりたいことに集中できるかな、
とか考えるところもある。

いつ死ぬか分からない、
っていうのは、
かなりのリスクだ。

ただ、考えようによっては、
生きることが辛くない人にとって、
死ぬということがわかるのは、
きっと、束縛を感じること。

また、生きることが
辛く感じている人にとっては、
余命が分かるということは、
自由を感じられる日かもしれない。

苦しみ、悲しみ、
退屈、マンネリ…

人間が解放されたい、
と思うものは、
いっぱいある。

自分で乗り越えられるものもあれば、
時間が経たないと、
目の前から消えてくれないものもある。

あと、これだけの日々を、
がまんすればいい、という事実は、

必要なお金とか、
出来ることが限られてくるし、

かえって、人間は、
いろんなことが見えてきて、
集中できるだろうなぁ。

余命が分かるときまで、
がんばらないといけないな。

心は、まだらだ。

2012年01月24日 | ひとり言
心は、まだらだ。

クルマを運転していて、
すんなりと、
道を譲れることもあれば、

私は急いでいるんだ、
と譲ってやるどころか、
強引に割り込むような気持ちに
なっていることさえあります。

自分という、同じ人間ですが、
その時々で、心の断面図は、
違う色をしている感じです。

まだらです。

いい人になったり、
わがままな人になったり、

悪人とまではいかなくても、
自分しか見えなくなると、
まわりに窮屈な思いを
させることになります。

そういう「まだら」な人間が
集まっている社会ですから、

いろんなことが、
事件が、事故が起こるのでしょう。

大人の心が成熟しているから、
いつも正しいとは限らない。
子どもの心が純粋だから、それもまた、
いつも正しいとは限らない。

人それぞれ、
正しいときがあり、
そうじゃないときもある。

まだらな社会だからこそ、
人がその中で
ちゃんと磨かれると、
まだらな部分が落ちていく。

それでも、まだ残っている、
心のまだらさ。

それは、自分と他人を
成長させるために、
あるからなんでしょうね。
自分で面倒くさくもなりますが…

自慢話なんぞ、人は、 あんまり聞きたくない。

2012年01月23日 | ひとり言
うまくいったことを自慢する人もいれば、
うまくいかなかった「経験の多さ」の
「苦労話」をしたがる人がいる。

いずれにしろ、
自慢話なんぞ、人は、
あんまり聞きたくない。

その同じ人間が、
自分については、無意識に
そんな話をしてしまうことがある。

自分の経験だけが、
特別なことはない。

もし、そこに
学ぶことがあるとするなら、

自分が自分の経験だけを
特別だと思っているように、

他人はその人自身の経験だけを
特別なものだと思っている。

その人の心に、自分の美談を
押し入れることなど出来ない。

せいぜい出来ることといったら、
ガマンして聞いてもらうことだろうな。

それを知らないで、
誰彼かまわず、延々と
「自分の話」ばかりする人は、
それこそ、空気が読めてない。

ああ、でも時々、
自分の話に夢中になって、
自分もそんなふうになってるなぁ。

だから、
その話を忍耐して聞いてくれる人が
いるってことは、幸せなことだなぁ。

人にどう思われるか 気にしていると、 発想もちぢこまるんだな。

2012年01月20日 | ひとり言
やっていないことを始める、
やっていたことを止める、
どっちも、新しい発想。

それは、
今までやっていたことを
やり続けるのが当たり前で、

今までやっていないことは
やらないのが当たり前、

と思っている人々には、
とんでもない話なのだ。

そして、面白いのは、
自分がやる、やらない、
だけの話であるはずなのに、

他人がやる、やらないの話
にまで口を出してくる。

自分をみんなに合わせる、
みんなを自分に合わせることを
大切にする人々は、
そういう行動を当たり前にやる。

みんなのことを
考えに入れることは、
思いやりのあることだけど、

みんなの「ため」とか
言いながら、
いろんなことを制限し始めると、
結局、みんなのためにならない、
ってことにもなる。

ただ、今までどおりを
守るだけの話に落ち着くだけ。

発想がちぢこんでいる時には、
自分に閉じこもっているか、
今までどおりのみんなに頼っているか、
そのどちらかだと思う。

買い物の値段は たいそうむずかしい。

高いのか安いのか、 それとも妥当なのか。 買い物の値段は たいそうむずかしい。 それどころか 人生の永遠の課題でもある。 (野蛮な読書、平松洋子) お正月には、 ほとんどの売り場に、 「福袋」が並んでいます。 かなり以前には、 その中身は買ってからの楽しみ、 ということが多かったように思うが、 今は、最初から 分かっていることの方が多い。 福袋っていうより、 ふつうの買い物であり、 問題は、その値段で お得かそうじゃないか、 ってことになっている。 何を、いくらで買うか、 いくらだったから買わないのか、 っていうのは、生き様に通じる。 何かを買う、 っていうのは、 お金と交換するばかりでなく、 それに付き合う時間を作る、 っていうことも含めて 決めていることになりますからね。 逆に買わない、っていうのは、 今持っているものと付き合う時間の方を 大切にするってことだろうし。 お金が流通するようになってから、 買い物は、生きることと同じくらい、 大切なことになっちゃっている。 てきとうにやることもできないし、 逃げることも、 まかせっぱなしも、 できないことだろうなぁ~^^