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ちょっと気になる世間のこと、自分のこと

気になるアレコレ。自己満備忘録。
勝つか、負けるか、やるだけやるさ。

発見とは、誰もが 目にしているものを見て、 誰も考えなかったことを 考えることである。

2012年08月05日 | ひとり言
最近、かねてから読もうと思ったアルベルト・セントジョルジュ(生化学者)
の本に、こんな書き出しがありました。




発見とは、誰もが
目にしているものを見て、
誰も考えなかったことを
考えることである。





同じものを見ていても、
気づく人もいれば、
気づかない人もいる。

同じものを見ていても、
気づく瞬間もあれば、
気づかない瞬間もある。

そして、
新発見と言えるところまで
考えが及ぶ人と、
考えが及ばない人がいる。

この差は、
発見できなかった人にとっては、
きっと、かなり悔しいこと。

もしも、
新しいことなんて
何にもないと言って、
ただ通り過ぎてしまったところに、
その発見の種があったりしたら、

自分の見方、
ものの考え方に、
不足があったということを
認めざるを得なくなる。

それは、現実として
不思議なものです。

まったく同じところを
通っていながら、
気づくこと、
気づかないことが
あるわけですからね。

けれども、
あることが発見できなかった、
というだけで、
落ち込みすぎる必要はないと思います。

この世界で、発見されずに
見つけられることを待っているのは、
きっと、無数に近くあるはずですから。

どんなに暗くて長いトンネルでも、 その向こうには必ず明るい出口が待っている。

2012年08月01日 | ひとり言
どんなに暗くて長いトンネルでも、
その向こうには必ず明るい出口が待っている。

だから、そこに
立ち止まっていちゃいけないんだ。
トンネルの中で立ち止まってしまったら、
もうその向こうに光に会うことはできないんだから。






ツイッターでこんな書き込みを見つけました。



特に光が見えないときに
思い出したい言葉ですね。


トンネルの暗さに気づかないうちに、
それを抜け出ていることが出来たら、
どんなにか楽だろうとも思います。

それだけ、苦しみにも気づかないほど、
熱中しているものがあるか、
強いんでしょう。

多分、何度も暗いトンネルを
通っていると、
そうなれるんじゃないでしょうか。

今までのトンネルに、
必ず出口があったように、
このトンネルにも出口があるから、
気にしないっていう感じに…

75歳になってもi-pad

2012年07月18日 | ひとり言
あるTV番組で世界的に活躍するデザイナーの自宅を紹介する番組でのこと。

レポーターがi-pad やパソコンを目にして・・・

「75歳になってもi-pad !?

一瞬怒りを覚えてしまったぞ。

ココロでひとりつぶやいた。


’になっても’って取り消しなっ!」ヽ(`Д´)ノ

先日、100歳で亡くなられた映画監督新藤兼人さんは、95歳のときに英会話も習い始めたと言う。

新しい事にチャレンジするのは、年齢に関係ないと思う。





人生には、 すべてを消すリセットはない。

2012年07月13日 | ひとり言
世の中には、
テレビ、パソコン、
ゲーム機、携帯など、
いろんなツールを利用して、
ゲームを楽しめる環境があります。

そして、
ゲームにハマっちゃう人と、
ハマらないでいる人がいる。

リアルさが
面白いと言う人もいれば、

結局はどこかしら
リアルじゃないから
遊ぶ意味を感じない人もいる。

何度でもリセットできるから、
楽しいと言う人もいれば、

リセットしてもリセットしても、
どうしようも出来ないから、
飽きてしまう人もいる。

リセットというのは、
ゲームにとって、
とても大切な機能だと思う。

すべてを真っ白に戻す、
というのは、
また楽しむために、あるいは、
ゲーム機の調子が悪い時などに、
どうしても必要だから。

けれど、人生には、
すべてを消すリセットはない。

その場その場で試されて、
選択や判断を求められる連続。

リセットはないけれど、
間違っても、それで終りじゃない。

そこからスタートして、
何度でも何かしらに
チャレンジできる一度限りのゲーム。

リセットはないけれど、
スタートなら何度でも出来るはず。

広い世界にゃ 水一杯に 両手あわせる 人もいる

2012年06月22日 | ひとり言
押入れの中を整理してたら、セピア色に変わったシングルレコードの
ジャケットが。おそらく30年くらい前のモノ?



吹越通と言う歌手のものである。


B面の「こころ」と言う曲の歌詞に目が釘付けになった。


熱いみそ汁 炊きたてご飯

どこに不満の 種がある

広い世界にゃ 水一杯に

両手あわせる 人もいる

お前・・・・なるなよ 弱虫に・・










買い物の値段は たいそうむずかしい。

高いのか安いのか、 それとも妥当なのか。 買い物の値段は たいそうむずかしい。 それどころか 人生の永遠の課題でもある。 (野蛮な読書、平松洋子) お正月には、 ほとんどの売り場に、 「福袋」が並んでいます。 かなり以前には、 その中身は買ってからの楽しみ、 ということが多かったように思うが、 今は、最初から 分かっていることの方が多い。 福袋っていうより、 ふつうの買い物であり、 問題は、その値段で お得かそうじゃないか、 ってことになっている。 何を、いくらで買うか、 いくらだったから買わないのか、 っていうのは、生き様に通じる。 何かを買う、 っていうのは、 お金と交換するばかりでなく、 それに付き合う時間を作る、 っていうことも含めて 決めていることになりますからね。 逆に買わない、っていうのは、 今持っているものと付き合う時間の方を 大切にするってことだろうし。 お金が流通するようになってから、 買い物は、生きることと同じくらい、 大切なことになっちゃっている。 てきとうにやることもできないし、 逃げることも、 まかせっぱなしも、 できないことだろうなぁ~^^