フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2013年1月②

2013年01月01日 | しゃちょ日記

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2013年1月16日(水)/その1185◇なごりゆき

 大雪の日とその翌日、
 あるいは嵐や猛暑の日。

 そういう特殊な日には、迷わず営業に飛び出したパセオ黎明期。
 1980年代というのは、そういうドン臭い営業がウケた時代だった。
 十発十中というわけではなかったが、
 その成功率はふだんの倍以上だったと記憶している。
 スポーツ感覚で出掛けたから、それは〝苦行〟ではなかったし、
 資金繰りを助ける成果に、その晩の酒の旨さが身に沁みたりもした。

 いま想えば、防衛本能に基づくあざといパフォーマンスに過ぎないが、
 そういう行動があの時代の若者の特権であり、
 どん詰まりの迷路に風穴を開ける数少ない活路でもあった。

 もろもろの社会変化から、
 現代はそういうやり方が通用する時代ではなくなったから、
 体力や手間を惜しまない単細胞系営業マンには辛い時代となった。

 ところが、時代を考慮しながらも
 人力や工夫を駆使する営業方法というのはあるもので、
 現在のパセオのデザイン、印刷、発送などを担当する若い営業マンたちは、
 それぞれ独自の切り口でパセオの毎月の定期発注を獲得した。

 必要は発明の母。
 不足はいつだって発見を生む。
 何でもかんでも時代のせいにしてはいかんな。
 誰にとっても、今こそが今だ。
 つくづくそう想う、名残り雪の朝。
 ちなみに、〝なごり〟行きの特急ではない。


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2013年1月17日(木)/その1186◇さくら

 結局のところ、彼のすべての恋は成就しない。
 寅さんが本当に愛した女性は唯一、妹〝さくら〟だけだったから。

 ずいぶん昔にそんな評論を読んだことがあり、
 その云い切り方の潔さゆえ、鮮明に論旨を憶えている。

 年末の秀で、テレビの歌番組をBGMに皆でワイワイやってると、
 突然、さくら(倍賞千恵子さん)が登場した。
 フラメンコ協会の立ち上げに精魂尽き果てた三十代末のあの頃、
 新宿厚生年金会館における恒例の倍賞千恵子リサイタルには、
 三年くらい通ったはずである。
 彼女の歌う『下町の太陽』とか『さよならはダンスのあとに』とか
 『さくら貝の唄』『忘れな草をあなたに』なんかが格別に好きだった。
 ただ癒されたかった。当時はそれに尽きたと想う。

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 「あのちっともセクシーではない大江麻理子さん(テレ東アナ)に
  どーしてオレは惹かれるのか?」

 ここ数年来の自分の内の謎が、年末の倍賞さん出現によって唐突に氷解した。
 私は〝さくら〟という空想の女性に心底惚れ込んでおり、
 そのさくらに極めて近しいオーラを発する大江アナに、
 我知らずガッツリやられていたことにその瞬間ようやく気づいたのだった。
 まったく原体験というのは、実にしぶといものだと思う。

 ただ、すべての原体験がその後の人生を左右するかと云えば、それもまた違う。
 昔好んだ対象であっても、今はむしろ嫌いであるものも多いから。
 〝好き〟から〝嫌い〟もしくは〝無関心〟に転じるもの。
 ところが稀に、それ(百花園とか演歌とか)を再び好きになることもあったりして、
 そういう年季の入った好ましい循環には素直に注目したいと思うのだ。

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2013年1月18日(金)/その1187◇ストイックな冬ゆえ桜は美しい・・・はず

 今日は実務に多忙だ。

 大きな営業が2本ある。
 エッセイ連載の原稿チェックが3本、
 校正手配多数、そしてギター楽譜のデザイン入稿9本。
 
 午後は麻布で、小島章司インタビュー取材の同行。
 みゅしゃ(井口由美子)の大型記事(本文7頁)初挑戦だ。
 誰だって最初はド素人なんだから、迷わず当たって砕ければいい。
 踏み込んだ失敗は成功、踏み込まない成功は失敗。

 夜は吉祥寺で森田志保ライヴ。
 注目のギタリスト、フアン・アントニオ・スアレス〝カノ〟が共演する。
 公演タイトルは『エル・アトランテ』。
 辞書を引いてしばし考えたが、森田の意図は不明。
 だが終演直後、その謎はきっと氷解するだろう。

 その後は地元仲間とおつかれ乾杯と行きたいところだが、訳あって行きつけは休業中。
 冬の厳しさが身に染みるが、自宅直行で忘備録執筆というストイック路線も悪くない。

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2013年1月19日(土)/その1188◇女将の御加護

 すでに十五年通う、地元行きつけ〝秀〟。
 広尾・日赤のホスピスを終の棲家と定めたその愛しの女将。
 小島章司さんの本誌取材同行から帰社して間もなくその訃報が入った。

 昨年暮れ、仲良し四ったりで彼女を見舞った折、その覚悟は決めたはずだったが、
 いざとなればカラッきしダメになるのが私の常だ。
 楽しみにしてた吉祥寺の森田志保ライヴに向かい、
 道を一本間違えピンク横丁に迷い込みこのまま入っちまうかと悪心を起こすが、
 忘備録担当であることと自分も人であることを同時に思い出し、
 欠けた茶碗をご飯粒でつなぐような強い意志で会場にたどり着く。

 森田のライヴは、とりとめのない鬱屈を忘れさせてくれる内容だった。
 彼女の表現空間の密度の濃さを再確認できたことが皮肉に思えた。
 終演後直帰して忘備録を書くつもりだったが、アキラ経由で急きょヒデノリ、サトルも招集し、
 ため息と鼻水ばかりの先行自主通夜をやった。
 みな一様に、優しく厳しく美しい女将の御加護で育った一匹狼の変人どもだ。

 深夜帰宅しパソコンを開くと、すでに相棒ぐらの森田忘備録がウェブにアップされている。
 頼んでもいねえのに援護射撃とは、お若いの、なかなかやるじゃねーのと笑った。

          
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2013年1月20日(日)/その1189◇バーン・ザ・フロアの今井翼

 本日発売、月刊パセオフラメンコ2月号。
 表紙は、絵になる女王マヌエラ・カラスコ。
 鬼才ダニエル・ムニョスの写真が、二次元空間から彼女の真髄を射抜く。

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 さて、この号のフラメンコ公演忘備録の特別番外編として、
 ツバメンコ今井翼が唯一の日本代表としてゲスト出演した
 究極のダンスエンタテインメント〝バーン・ザ・フロア〟について少し書いた。
 
 世界を席巻する超強豪ダンサーたちに楽しげに溶け込みながら、
 あたかも五条大橋の牛若丸のように煌めく今井翼の完全燃焼ダンシングに、
 彼のダンサーとしての本懐本領を視ることが出来た。

 スペイン的ダンスも短く二曲あり、唯一フラメンコなオーラを発する
 そこでの今井翼のリーダーシップは見事に突出していた。
 大リーガーにデビューした頃のイチローを彷彿とさせる
 その雄姿を写真掲載できないのが残念だったが、
 ツバメンコ愛好家はぜひ全国書店で立ち読みを!

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2013年1月21日(月)/その1190◇マヌエラ・カラスコに学ぶもの

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 「嬉しい時でも、はしゃいだ気分の時でもなく、
  何もかもに絶望し、人生が見えなくなってしまった時にこそ、
  私は、マヌエラのバイレが見たいのです」


 こう書き出す東敬子のマヌエラ観に、私の腐った心は号泣していた。
 フラメンコの女王、マヌエル・カラスコを描く東敬子の真情は、
 そのまま〝フラメンコ論〟ならびに〝人生〟の核心を射抜いていた。


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 (パセオ最新号『Con Flamencoより 撮影/ダニエル・ムニョス

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2013年1月22日(火)/その1191◇皮一枚

 「数の論理ではない」

 つい先ほどテロ事件の強硬対応について、比較的好きな番組ホストがそう云う。
 隣国による九州占領を描く村上龍『半島を出よ』を再読したばかりの私に違和感が走る。
 年末に再読した石破茂『国防』の、油断ならぬ国際情勢をシビアに分析する
 冷静な論旨がそこに拍車を掛ける。

 自分や身内が人質なら、何としても助け出して欲しいと願うのは当然だ。
 それによって、そのあと何十倍何百倍の数的被害が生じる可能性など
 冷静に考慮する余裕など有るはずもない。
 数の論理で解決されてたまるかと、間違いなく逆上するだろう。
 だが、そこに直面しない多数派の論理はこうなる。
 「お気の毒には思うが、我々を巻き添えにはしないで欲しい」
 
 番組ホストの発言には、日本独特の文化らしい好ましさを感じる。
 一方で貧困や内戦や国際紛争に日々直面する人たちはそれどころではない。
 そのリーダーたちだって「数の論理ではない」とわかっちゃいるが、
 国全体の「多数派の安全」を確保するのに、早期突入は最有力の選択肢なのである。
 あのあたりに生まれてたらテロリストになってたかもしれない自分は戸惑う。

 寄ってたかって自分を阻害するなら、学校で銃を乱射してやる。
 我が国を援助しないなら、核ミサイルをブッ放すぞ。
 そんな状況を好む人などいないが、異様に便利な現代はそういう時代だ。
 
 古今東西、「格差」は人間に様々な厄介をもたらす。
 それを何とか改善しようと発明した神や共産主義は、より悲惨な結果を生んでいる。
 〝マザー(世界を守るコンピューター)〟は人類に愛想を尽かし、
 地球そのものを守る確率が高いような気がする。

 だからと云って、あきらめるわけには行かない。
 古今東西、私たちの先人たちは時代時代の苦難を乗り越え、
 私たちに命のバトンをリレーしてくれたのだから、
 はい、オレらで終わりね、というわけには行かない。
 自分ひとり生きてくだけでも大変なのに、難儀なこっちゃと思う。

 だからこそ、希望が必要なのだと思う。
 ちっぽけでもいいから、自分と同時にほんの少し世界を助ける希望と行動。
 各々がそういう希望をキープしながら、
 ちっぽけであってもそれが行動につながる、
 その事自体に意味があり、バトンを渡せる可能性はそこが起点かと思える。
 国連や政府も信じたいが、まずは自分を信じたい。

 「希望」と「空しさ」の表裏は皮一枚だが、
 その頼りない皮一枚の実態こそが「希望と行動」であり、
 それがオレのフラメンコだと思い込むのも悪くない。


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 2013年1月22日(火)/その1192◇あのカニサレスを驚愕させたイケメン予知能力者

 あの世界最強ラトル&ベルリンフィルとのアランフェス快演で、
 地球中の音楽ファンにその名を轟かせた我らがマエストロ。
 パセオ最新号〝しゃちょ対談〟には、な、何と、
 そのカニサレスが登場してくれた。


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 (2013年2月号〝しゃちょ対談〟より 撮影/北澤壮太)



「ところで、マエストロのこの先の展開において、
 例えばマヌエル・デ・ファリャは当然あり得るよね?」

カニサレス
「あり得るどころじゃなくて、すでにプロジェクトが進んでるんだ(笑)。
 ユージは私のアランフェス演奏を何年も前にグログで予言してくれたけど、
 今度はファリャも当てたね。
 あなたは予知能力者なのか?」

「マエストロのチェスほどじゃないけど、
 将棋は六段だから、先々の読み筋は正確なんだよ。
 千のうち三つは当てる予知能力者なんだ」

「そりゃ凄い!(爆笑)」


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2013年1月23日(水)/その1193◇鬼の口

 決してやり直しのきかない、ただの一度の本番ライブ。
 ジャンケンで云う〝後出し〟は出来ない。
 音楽と同時進行の真っただ中、自らコンパスを産み出す。
 バイレもカンテもギターもパルマも、
 己を信じ仲間を信じ、リスクを恐れず躊躇なく踏み込む。
 それはまるで、自ら鬼の口に飛び込む光景のようにも思える。
 
〝人間復活〟を予感させるニッポンフラメンコの水準は、
 すでに極めて高い領域に達している。
 そういうライヴを観てウェブや本誌に感想文を書くことが実にたやすいと思えるのは、
 自分の定める締切までは、納得ゆくまで何度でも書き直すことが出来るからだ。
 一発勝負に賭け踊り歌い弾き叩くステージ上のアルティスタの、
 つい先ほどまでの舞台袖のあの蒼ざめた表情を忘れることはできない。

 書くのは基本翌日、超多忙な場合でもライヴから三日以内と決めているが、
 中にはそのライヴと自分の対話をじっくり熟成させてから書きたいものもある。
 それを何度かやってみて、より陳腐なものしか書けないことに苦笑した。
 30度のぬるま湯に30度のぬるま湯をどんだけ加えても、
 それ以上熱くはならないことに、そこでハタと気づく。

 ヘボな推敲をなんぼ繰り返しても、フィーリングの貧弱さはカバーできないし、
 一発勝負にすべてを賭けるアルティスタの彼岸(日願)は視えない。
 どうやら、フィーリングの泉そのもののインフラ(温度や質度や霊感)に
 テコ入れを掛ける必要がありそうだ。
 そのキーワードを〝鬼の口〟と推測するが、さあ、果たしてどうか?

                  
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2013年1月24日(木)/その1194◇完成しないジグゾーパズル

 「朝起きると、わくわくしながらパソコンを開きます。
 パセオホームページのしょちょ日記を毎朝楽しみに読みます。
 読者サービスとは言え大変な労力かと存じます」

 暖かな激励メールを稀にいただくたびに私はチョー舞い上がるが、
 やる気にさせるこのような有り難いメールを読んでふと想う。
 それがいつの頃からだったかはハッキリとは憶えてないのだが、
 誰かの為じゃなく、ほとんど自分のために私は書いてる。

 十代後半から四十代前半にかけての私は、
 その乏しい能力と貧しい性格から目を背けるようにしながら、
 サバイバルの必要に応じオールラウンドに展開したものだから、
 おそらくはその反動から、四十代後半には自分が誰だか分からなくなっていた。
 パセオ本体のプロモーションを意図しながら五十で始めたウェブ日記だったが、
 いつの頃からかそれは「オレを発見する旅」に変質しはじめた。

 「ダメだな、こいつっ!」
 そういう私の無尽蔵な悲喜劇を他人事のように眺めることには不思議な安堵があった。
 ボロボロに砕け散った自分の破片を拾い集めるような貧乏くさい作業には、
 私という愚か者を、「おめえはこんな奴だ」と
 現在進行形で分かり易く整理させる効用があった。
 反省してインスタントに完結しようとする方法論が私個人には適さないことも、
 そうした時期に気づいたのだと思う。

 ほぼ毎日書く日課もすでに七年となるが、
 わずかながら「等身大」の意味が分かり掛けてきている。
 そこからの収穫を、パセオの編集や日々の暮らしに溶かし込むことが妙にしっくり来たりする。
 また、その等身大がほんの少しずつフラメンコに向かっていることには好感を覚えたりもする。
 欠けた茶碗をご飯粒でつなげるようなこうした儚いルーティンはずっと続くのだろうが、
 案外と徒労感のないことに不幸中の幸運を感じる。
 老いは寂しいが、なるほど人生はうまくできている。

                           
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2013年1月25日(金)/その1195◇さよなら女将

 ハシが転げるだけで大笑いする明るい気性。
 九州・福岡生まれの愛嬌と鉄火があった。
 人の悪口はいけないとオレらを制しながら、ポンポン人の悪口を云った。
 食べ物の好き嫌いはいけないと力説する、大の偏食家だった。
 暖簾をくぐって女将の笑顔を見る途端、一日の疲れは吹っ飛んだ。
 知らない者同士を結び付ける彼女のインスピレーションは、
 私たち常連にいつまでもつるんでいたい多くのお仲間を獲得させた。

 そういう彼女が先週逝き、出るものはため息と鼻水ばかりだ。
 足を向ければ、誰かしら親しい仲間、あるいは女将とその身内スタッフとの
 ゆるーいキャッチボールで骨の髄まで脱力できる店。
 約束するでもなく自然と集ってしまう一匹狼どもには、
 そういう楽園をいよいよ喪失する事実を実感することも出来ない。

 昨晩は〝秀〟の脇の上原の坂をエッコラ登る代々幡斎場で通夜。
 永年の仲良し連が、それぞれため息に喘ぎながら呑んだくれた。
 幼くハチャメチャな私を十五年にわたり鍛え癒してくれた女将とは、
 今日このあと11時からの告別式でいよいよ今生の別れとなる。
 四十の急坂に喘ぐあの頃、大好きだった母親を亡くした私は、
 優しく厳しく美しい彼女に、その喪失感の補填を求めていたのかもしれない。

 ため息つけばそれですむ
 うしろだけは見ちゃだめと

 さだまさし『無縁坂』は薄幸の母親を懐しむ哀歌だが、
 秀の女将はそうではなかったことに少し安堵する。
 佳き夫や息子や娘や友人に恵まれた彼女の最期は、
 まるで笑うかのようだったという。
 ため息つけばそれですむ。
 それが本当かどうかはわからぬが、他の手段が私たちには視えない。

                      
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その1196◇明日はあしたの

 いつもと少しだけ景色がちがう。
 陽は差しているのだが、モノトーンに近い感触がある。

 告別式から帰り、家でボロに着替えてパセオに向かう。
 高田馬場を歩くうちに、何処に向かっているのかわからなくなった。
 失ったものの大きさが予測以上の混乱をもたらしていることを知る。
 身体も頭もまるでポンコツのように感じる。
 神田川の水面がモノトーンに見える。
 哀しい色やねんの旋律が脳裏をこだまする。

 遊歩道の階段に腰を下ろし、
 以前にも幾度か、こんな気分で街を徘徊したことを思い出す。
 少なくとも仕事をする気分ではない。
 だが、仕事は待ってはくれない。
 これ幸い!と思うことにしよう。

 ため息つけばそれですむ。
 きっと、明日はあしたの風が吹く。


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2013年1月26日(土)/その1197◇ちゃんこ日和

 キリッとした寒気が頬を刺す冬の終盤。

 土曜の朝のどこかウキウキする気分は捨てたもんじゃない。
 今日はこれからカンタオール石塚隆充、バイラオーラ松丸百合のエッセイ、
 東敬子の新作フラメンコ小説など、春以降のいくつかの連載チェックで出社。

 サクサク終えて大江戸東南部(深川界隈)あたりを散策する魂胆なので、
 ネジ巻いて張り切るつもり。
 明日はフラメンコ協会の新年会、
 来週は公演取材が四本あるから、また少しバタバタする。

 このところ公私ともに痛い連敗が続いていたが、
 昨日の午後、ささやかな朗報が三本ばかりあって、幾分心は軽やかだ。
 元よりフラメンコライフに平穏無事など望むべくもないが、
 いいことも悪いことも、そうそう長くは続かない。
 近ごろは、そういう光と影のコントラストそのものを
 味わいとして捉える力量が問われているような気がする。
 
 このところ重たい酒が続いたから、久々に今日は酒を抜くつもり。
 散歩帰りにスーパー寄って、
 今宵はウーロン茶で、皆して鍋でもつつくとするか。

              
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2013年1月27日(日)/その1198◇激励ついで

 「与党は方向性を間違えている」

 久々に評判の天玉うどんが食いたくなって、
 代々木八幡駅前の人気の立ち食いそば屋に向かうと、
 マイナー野党が街頭演説をやっている。
 少し時間があったので、微かな期待とともに傾聴する。

 部分的な批判には賛成できるところも多々あるのだが、
 肝心の自分らの党の方向性と具体策がまるで視えてこない。
 敵の足を引っ張るだけのいわゆるネガティブ・キャンペーン。
 人心を否応なく腐らせるそういう不愉快な風潮は、
 即刻自主的に終わらせる必要があることに彼らは気づいていない。
 政敵というのは結局、国民を守るための強い味方なのだという視点も皆無だ。
 
 いずれにしても実効力をまるで持たない党であり、
 彼らにしても極悪人というわけでもなさそうだが、
 それにしてもこれが大人のやることかと少し哀しくなってくる。
 平和ボケもええ加減にせんと、そのうち飛んでもないことになる。

 「君たち、もっときちんとやれよ」と、彼らを激励してみる。
 「それと、おめーもな」と、ついでに自分を激励してみる。

                     
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2013年1月27日(日)/その1199◇引き継ぎ

 会場はいつもの中野サンプラザ。
 今宵は、すでに二十何回目かになる協会の新年会。
 この春、いよいよ社団法人となる日本フラメンコ協会。
 協会事務局長の淳ちゃんに、その快挙に対する大型取材(7月号)を申し込む。
 

 「どうせすぐツブれるくせに」

 創った頃には協会も新人公演も、このパセオフラメンコ同様、
 陰に日向にボロクソ云われまくったものだ。
 だが、そこへの怒りのナニクソこそが励みになってくれたのだと、ある時期気づいた。
 近ごろは年齢相応に、進んで悪役を引き受ける局面も多いが、
 ああ、人の世というのはうまく循環するもんだと感心したりもする。

 当時三十代半ばだった私だってあと数年で還暦なのだから、
 あの頃四十代・五十代だった諸先輩方だって、そりゃ当然老けるわな。
 会場に若い世代の姿を多数見つけるとホッと安堵したりする。
 まあ、何でも順番だからな。
 年寄りも若者も、文句ばかりで自分じゃ何もやらねえのは頼りねーぜ。
 フラメンコにゃ、プロもアマも関係ねえしさ。
 この先はあんたらで、あんたららしくやっとくれやと願ってみる。

 この先もおそらく、フラメンコには自動車のような安定はない。
 自力で漕ぐ自転車の安定こそがフラメンコにはふさわしいのだろう。
 三十年前には世間様から何かと白い目で見られたフラメンコだが、
 一匹狼たちが意見の違いを乗り超えゆるやかに連携しながら、
 その本来の実力を世に問い続ける協会は、東半球のフラメンコの砦と云っていいだろう。
 社団化というノロシからは、しみじみとした感慨と骨太な希望が立ち昇っている。

      
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2013年1月28日(月)/その1200◇ローカルラジオ生出演

 世田谷エフエム。
 そんなのあるのも知らなかったが、
 きっとパセオよりは有名だろう。

 スペイン国立バレエの招聘プロモーターから、
 その来日公演のプロモーションを喋ってほしいと依頼され、
 つい今しがたブッツケ本番、10分ほどの生放送出演を終えたところ。
 年末に来日公演のプログラム原稿を書いていたのでそれをまんま喋ったが、
 ノーギャラなのでパセオフラメンコのコマーシャルも遠慮なくぺらぺら喋った。

 以前テレビ取材は幾つか受けたがラジオは初めて。
 普段はユルユルの聴き手側だが、自ら喋る緊張感が案外と楽しかった。
 インタビュアーはホリプロの綺麗なタレントさんだと聞き、
 直前にヒゲを剃って顔を洗い、社会の窓もキッチリ上げて、キモい笑顔で喋ったが、
 そうした私の礼儀正しい繊細な配慮が果たして
 ラジオ生放送の電話取材にどこまで効果的であったかは不明である。


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2013年1月29日(火)/その1201◇リスペクト

 江戸の絵師、巨匠HIROSHIGE(安藤広重)描くところの『逆井の渡し』。

 この風景の集落左あたりに私の生家はあった。
 東京都江戸川区小松川。
 保育園から高校まで、その地名を冠する学校に私は通った。
 小松菜の原産地としてのみ知られる小松川は、
 東を荒川、西を中川(↓)に守られる(?)洪水地帯だった。

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 少年期の私には遠征癖があり、級友どもとたびたび「川向こう」に遠征した。
 千葉寄りの荒川を越えた地域(田舎)には腕っぷしの強い少年が多数おり、
 銀座寄りの中川を越えた地域(都会)には賢い少年が多数いた印象があり、
 川向こうの彼らとトラブルを起こすたびに、
 同郷の仲間たちとの結束が強まった記憶がある。
 幼い私たちにとって、それらは「国際問題」だったのだろう。
 
 大人になって、子供も大人もそうは変わらんと感じたが、
 今また、そのことを強く感じる。
 大人(てゆーかオレ)はやはり、もうちょい知恵を絞らんといかんと思う。
 社会に出てから、国中の人たちと仲良く出来るようになったように、
 もうちょい諸外国の人たちと仲良く出来ますように。

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2013年1月30日(水)/その1202◇明日に向かって撃て
 
 『明日に向かって撃て』

 名曲『雨にぬれても』が流れるあの自転車乗りのシーンや、
 ラストシーンのあの妙に明るく躍動するヤケクソ感には、
 何か重大なヒントが潜んでいる気配を子供なりに感じていた。

 ポール・ニューマン&ロバート・レッドフォードの名コンビによる、
 どうしょうもないナラズ者の物語だが、多感な中学時代に観た映画でもあり、
 何かの折にふと、そのワンシーンを思い出したりする。
 キャサリン・ロスも色っぽかったしなあ。

 原作が実話に基づくものと知り、好奇心はいっそうふくらんだ。
 それがその一、二年後に出逢うフラメンコとの重要な伏線の
 ひとつであったことも今なら分かる。

 そうした明るいヤサグレ感に憧れる資格もない弱虫だったが、かと云って、
 世の中が推奨する普通の世渡りに身を任せる展開も到底自分には無理だと、
 十代半ばの私のマイナー本能は薄々察知していた節もある。

 節度と能力さえあればメジャー派に潜り込める展開もあったろうが、
 しんぱいゴム用、就職試験全敗という結果が、
 自動的に『明日に向かって撃て』的選択肢を運んできた。

 選り好みさえしなければ職には不自由しない時代だったから、
 映画の彼らのように列車強盗・銀行強盗に走る必要もなく、
 「明日に向かって」撃つための生き方をあれこれ試行錯誤することは出来た。
 そうした地平のふぁるーか彼方にフラメンコ(および出版)を発見したが、
 この歳になっても、悟ることなくそうした試行錯誤が続いているところが笑える。

 「突き詰めれば結局、それはひとつということなんでしょうか?」

 2月号の大沼由紀さんのエッセイを読んだ相棒小倉がそう目を輝かせる。
 あのカリスマバイラオーラが選んだテーマは、なんと「BONSAI=盆栽」だったのである。
 何ともつながらない話だが、困ったことに私の中だけでバッチリつながってる。

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2013年1月31日(木)/その1203◇有田圭輔の自然
 
 「これ聴いた舞踊ファンはきっと行きますよ~」

 月曜の生放送で喋ったエフエム世田谷から、その生録CDが送られてきた。
 いよいよ明日から始まるスペイン国立バレエの来日公演について、
 及ばずながら援護射撃を飛ばしたわけだが、
 そのプレイバックを聴く編集部から愛と同情に充ちたお言葉を賜った。
 
 ラジオの電話インタビューなので普段っぽく喋れたが、
 これがテレビの公開生放送だったりしたらまったく自信がない。
 録画であれば撮り直しオッケーという安心感から何とかなりそうな気がするが、
 そんなことじゃあ、ちっともフラメンコじゃないわけで、
 出たとこ勝負でも即興で何とかしようとする、
 そういう普段のスタンスが肝心なんだって改めて思う。

 

 さて、ラジオ生録のCDが届いた昨日の、その晩の有田圭輔ライヴ・イン・六本木。
 高い技術に支えられるそのストレートな熱唱にやられたことは云うまでもないが、
 舞台上の彼の語りの居心地良さにはちょっと驚いた。
 スッキリした話の面白さには四国男児の心意気と笑いが充ちていて、
 サシで呑んでる時の圭輔とまるで同じアイレであることに気づいた。
 ああ、これだよ、これがいいんだよなあ。
 
  pf2012_12_paseo表1.jpg    

 

 いかにもその人らしい魅力が自然に、しかも存分に発揮される光景って、
 どうしてこんなにも美しいんだろう。
 裏方稼業の私はそういう状況創りに貢献することに歓びを感じるが、
 実はそういう〝自然〟が一番難しいってことはわかっている。

 

 その手のオーラを自ら発信できる自分になることは万人の夢かもしれない。
 だからこそフラメンコは在るのかもしれない。
 ささやかながらもそこに近づくカギは、万人の普段の暮らし方の中にあるんじゃないかって、
 そういうアブねえ決め打ちによってフラメンコ本を創るパセオな日々。

 


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