フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

バッハの無伴奏チェロ(3)[122]

2006年06月09日 | アートな快感





           転機 





              
                                                            イラスト by 八戸さとこ


    「軒を出て犬 寒月に照らされる」(藤沢周平)
                


 どうやら食えるようになったものの、ボロ雑巾のようにくたびれ果てた自分に気づいた時分、なにやら心にさくっと入ってきた藤沢周平さんの忘れがたい名句だ。


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 十代からやりたい放題に暮らしていた私は、さすがに長生きだけはあきらめていた。
 どうやらパセオフラメンコの発行を三年続けた時分(三十ちょい)に、四十まで生きられれば恩の字だと思っていたのは実際のところだ。

 あきれたことに若い私の人生設計には、四十代以降のヴィジョンが存在しなかったのである。
 思い掛けないうれしい誤算に気づいて、四十歳を目前にあわててバッハに還ったのも、今にして想えば防衛本能の為せる業だったような気がする。

 私の二十代三十代は、年がら年じゅう倒産の危機との背中合わせで、来る日もくる日もスリル満点の日常が保証されていた。
 幸いほかに大した用事もない私は年間4、5千時間は仕事に没頭することになる。より正確に云えば、眠りこけてる以外はすべて命担保の大遊びに興じていた、ということになるだろう。

 市場のないところに市場を建設する作業は掛け値なしに楽しかったし、ハンパな頑張りではとても食えない実情が、その作業にさらに拍車をかけてくれたことも事実だ。

 
ったく、楽しいことは“楽”ではねー、と云うのはホントだ


 小せえ器のくせして乱暴にフッ飛ばし過ぎたそのツケは、さしあたってのピンチを脱した四十代に回ってきた。いわゆる燃え尽きシンドロームである。
 結局のところこのおマヌケ社長には、いつまでたっても緻密な組織運営というものが身に入らない。

 「あきらめずに結果を出すなら、好きなようにやりゃいい」

 社員に対するそういう超アバウトなスタンスこそが、リーダーとしての私の限界を表わしている。今もそれは変わらない。 
 もとより人に使われることにも、人を使うことにも適さないタイプの人間である。きっぱり云えば、経営者には最も適さない気弱な一匹狼なのだ。

 悪運に支えられる快適なプライベート環境に反比例するかのように、会社経営は私の実力をそのまんま反映し面白いように低迷をつづける。

 一方では、睡眠不足、運動不足に加えての大酒呑みだ。
 健康診断ではほとんどの数値が最悪で「よく生きてますね」と毎度云われちまったものだが、その数値はものの見事に体調に反映されていた。

 さすがに転機かな、と私は思った。


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 もうひとつ、こんな側面もあった。

 確かに私はゆるい(超緩色系だ)が、才能に恵まれない分を努力でカバーしようとする地道な人間ではある。
 そう在り続けるために、どんなに条件が悪くともやりたい(飽きない)仕事だけを選んでやってきた、不器用だが一所懸命なタイプだ。

 プライベートなら何でもOKなのだが、仕事に限って云うと私の場合、大した努力もしないで不平ばかりたれてるタイプの人が若干苦手だ。社の内外を問わず、そうしたタイプに対して私は冷たい人間だったように思う。

 ところが、本心から好きな仕事に打ち込んでる人というのは、たとえ相手が努力家であろうとなかろうと、彼らを冷たく扱ったりはしないものだ。

 「一所懸命が何もエラいわけじゃない。ただ単に好きでやってるだけなんだけど…」
 
みたいな、そういう純粋なプライドを身に着けているものだ。

 私の場合はそういう彼らと似て非なるもので、好きな仕事に没頭しつつも、何か不公平感みたいなものを感じることもあった。
 哀しいかな、裏を返せばそいつは私が怠け者の一員であることの証明だった。

 つまり、実は私も怠けたかったのに、ビンボー閑なし等で物理的にそれが出来ないために、心の底では怠けることの出来る人を羨んでいた、という構図だったのだろう。
 人は人、自分は自分という風にあっさり自立しきれなかった理由が、そういうガキじみた羨望にあったことに、ある日私は気がついた。

 顔面から羞恥の炎を吹き上げながら、いよいよこりゃあ転機だあっ、と私は思った。


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 そんなこんなを考える日々のBGMは、不思議とバッハの無伴奏チェロであることが多かった。

 もとより“あせり”を煽るような曲ではない。
 ふだん物事を考えない人間に、じっくり考えたくなるような気分をもたらす響きの曲である。

 中でもピエール・フルニエはよく聴いた。

 
苦難をひっくるめて人生を謳歌しようとする彼の無伴奏チェロは、私のサバイバル上の屈託を和らげてくれる特効薬であったのかもしれない。


                    
            [どこまでもバッハを歌いあげようとするフランスの
 
                  名チェリスト、ピエール・フルニエ

 

 四十過ぎの人生というのは、いちど完全燃焼死した私に限って云えば、もともとラッキーなおまけのようなものだった。
 すでに廃物とも云えそうな私は、とてもじゃないが自分にはふさわしいものとは思えないその幸運を、むしろ持て余していたのかもしれない。

 それでも死ぬ気がない以上は生きている。
 いっそのこと、これから先の余生はフリダシに戻って、また昔のように何でもアリでやってみようじゃねえかと、そんな風にも思えてきた。

 ならばここらでひとつ、何か根本的な変化を求めてみようか、そう私は思った。
 四年ほど前のことである。


                 (あと三回もつづく)

 







 


 



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