ミゲル・ポベーダ
あれっ……ちがうよなあ。
大切なものを探しているうちに、何を探していたのかさえ忘れちまうことは、ままある。
そんな心のLaberinto(迷路)の奥深く、その行きどまりの扉をそっと開いてくれるようなフラメンコがあるという。
『ミゲル・ポベーダ/東から吹く風』
NUEVOS MEDIOS/1995年
ミゲル・ポベーダは、自らの輝かしいキャリアや慣れといったものに見向きもせずに淡々と、まるで求道者のような謙虚さと真っさらな気持ちでフラメンコに向きあう。
大河のような古典の世界に自らを放ち、そのプーロ(純粋)な空気をたっぷりと吸いこむ。
古(いにしえ)のカンテを繰り返しくりかえし聴き込みながら、そして、幾度もいくども飽くことなく歌ってみる。
現代によみがえらせたいエッセンスとは何か?
過去から現代へ、さらに未来に引き継いでゆきたい核心とは何か?
生彩のないレプリカを歌うなら、それは死に等しい。
際限のない忍耐強い試行錯誤……。
だが、彼は待つ。
……そして、そのときはやってくる。
彼には、自らの新しいフラメンコのヴィジョンが視えている。
これだっ! これを待っていたのだ。
ミゲル・ポベーダは、伝統プーロのいかなる核心に注目し、いかに確信し、いかに革新したのだろうか。
『ミゲル・ポベーダ/フラメンコがきこえる』
HARMONIA MUNDI/1998年
そのカンテは"より良く生きる"ためのものか?
それはポベーダ自身の印を深く刻んでいるか?
彼の歌声が私たちの心をぐぐっとつかむその刹那、すでに彼のカンテは、未来にはばたく新しい生命を獲得している。
その薫りは、むしろほのかである。
その佇まいは、むしろ端正である。
伝統から創造される新しいアルテに、奇をてらうような派手さはない。
永遠を予感させる、フレッシュなそよ風のようでもある。
だがしかし、彼の内面のたぎりは生き生きと、そしてラディカルに燃えている。
『ミゲル・ポベーダ/玄関』
HARMONIA MUNDI/2001年
探しものは意外にも身近にある。
さしあたり、“玄関”あたりから探してみようか。
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